武田鉄矢 妻 節子は年下 元銀行員「子供を抱えバイト生活」馴れ初め

芸能

テレビ朝日「徹子の部屋」に武田鉄矢さんが出演し、結婚した妻との自宅生活を告白。妻の名前は節子さんといい職業は元銀行員、馴れ初めは武田鉄矢さんの大ファンだったこと。

子供は娘2人が誕生し現在は社会人になっているが、生まれた当時は武田鉄矢さんと妻・節子さんはアルバイトで生計を立てていた。

武田鉄矢さんの結婚エピソードとは…

武田鉄矢 妻・節子は年下の元銀行員

武田鉄矢さんが結婚した妻の名前は「武田節子」(旧姓・山田)といい、目鼻立ちが整った色白美人の一般女性です。年齢は武田鉄矢さんより4歳ほど年下。

2人は1974年10月27日に結婚し、翌月にカトリック大名町教会で結婚式を挙げています。結婚式の引出物は、妻・節子さんのことを歌った当時の海援隊の新曲「節子への手紙」のシングルレコードでした。

海援隊の楽曲「節子への手紙」は、妻・節子さんの母親が彼女に書いた手紙をモチーフにしたものです。

結婚当時、武田鉄矢さんの年齢は25歳、妻・節子さんは21歳。2009年11月19日の「朝日新聞」では、妻・節子さんの職業は元銀行員で、実家が熊本県にあり農家出身だと伝えています。

2020年9月25日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」では、妻・節子さんとの長い結婚生活の中で得たという “夫婦哲学” を明かし、視聴者から尊敬の声が多数上がりました。

以前、武田鉄矢さんが心臓の病気で入院した際、背中を拭いていた妻・節子さんが「人生最後の仕事はあなたのおしめを替えること。いよいよこれから人生のクライマックス。あなたは?」と質問。

武田鉄矢さんは「初めて会った21歳のあなたの姿を見ながら生きてきた」と答え、これまでの夫婦生活を振り返りました。

武田鉄矢:「僕の結論は、妻は終着駅を見、夫は始発駅を見ながら人生の列車は進んでいったんだ(ということ)。つまり、同じ席に座っちゃいけないんですよね。互い違いに座ってるところが夫婦の妙なのかな。」

さらにコロナ禍での現在のリアルな自宅生活も…。

武田鉄矢:「この40年近い芸能生活のなかで、こんだけ(自宅で)奥さんと一緒にいるのは珍しいから、まぁ叱られるのなんの…。外出して帰ってくると “手、洗ってない“ って言われ、今あらったじゃないかって言うと “指先だけじゃない“ っていう…。聞こえる水量で何分洗ったかわかるらしくて…。」

妻・節子さんは武士道のように「家事道」をしっかり持っている女性のようです。番組では妻・節子さんへの尊敬の念を語り、直後のインタビューでは感謝を述べています。

武田鉄矢:「パンデミックが世界を覆っている時に、それを防ぎ止める最前線。テレビは『お医者さん』『政治家』と言いますが、私は『妻』でないかと。家族が清潔に健康に暮らすためには、これほどたくさんの細かいルールがあるんだ。それを定められるのは奥さんだけだとつくづく感じました。」

武田鉄矢 妻・節子との馴れ初め~バイト生活~

妻・節子さんは、武田鉄矢さんがアマチュア時代からの海援隊ファン。ライブではいつも最前列で応援してくれたそうです。

武田鉄矢さんはこれまで具体的な馴れ初めを明かしていないため不明ですが、ファンとの接点があるライブ会場で出会った可能性が高そうです。

その後 1972年、高校の同級生2人とついに海援隊としてデビュー。母親・イクさんに向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」が大ヒットして紅白に出場しました。

しかしこの曲以降、ヒット曲に恵まれず人気が低迷。一切仕事が無くなり、給料も4ヶ月無い状態に。これではいけないと思い事務所を辞め、次の事務所への移籍を考えます。

その間、夫婦共に鉄板焼き屋やスナックで、深夜2時まで皿洗いのアルバイト生活。仕事が終わると交通費を節約するため、勤務先の原宿から自宅の恵比寿まで2人で歩いて帰っていたのだとか。

この当時、妻・節子さんは第1子を身ごもっていました。将来に不安を抱きながらの妊娠は精神的に辛いものですが、気丈に振る舞い武田鉄矢さんを支え続けています。

1回 大ブレイクしてからのスランプで、自信を無くしていた武田鉄矢さん。ある時、自宅に1本の電話が…。それはあの有名な山田洋次監督の映画、「幸福の黄色いハンカチ」の出演依頼だったのです。

この出演で武田鉄矢さんは高倉健さんと共演。人生の分岐点となりました。

武田鉄矢 妻・節子との生活を救った高倉健との出会い

2019年7月7日放送の日テレ日テレ「行列のできる法律相談所」では、高倉健さんと山田洋次監督への思いを明かしました。

武田鉄矢さんは演技経験ゼロで、しかも主演は大物俳優・高倉健さん。存在感に圧倒されたといいます。撮影現場ではガチガチに緊張し、芝居を続けていたとのこと。

するとNGの連発で山田洋次監督は激怒。落ち込んでいた時、高倉健さんからこのような言葉をかけられ救われたそうです。

高倉健:「あの男 (山田監督)、伸びない奴は、しごかないんだよ。頑張れよ。」

1977年の映画「幸福の黄色いハンカチ」は数々の賞を取り、ハリウッドをはじめ海外でもリメイクされる大ヒット作品となりました。

武田鉄矢さんもまた、この作品で第1回 日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。今でも山田洋次監督と高倉健さんに心から感謝しているそうです。番組では、山田洋次監督からの手紙が読まれました。

山田洋次監督:「(武田に) 10回も20回もテストをしたのは事実だけど、でも君のつたない演技を超えた存在感。僕はそんな君をカメラを通してみるのが楽しくて仕方なかった。」

目頭を熱くし涙を浮かべる武田鉄矢さん。今こうして芸能界に居ることを有り難く思い、感謝しているとのこと。

大物として存在感がある武田鉄矢さんですが、過去のこのような経験が糧になっていることを知り、胸が熱くなりました。

武田鉄矢 妻・節子の支え~著書出版~

武田鉄矢さんはこれまで、たびたび著書を出版しています。2020年12月17日には「老いと学びの極意」の出版にあたり、「本の話」の インタビューに応えています。

還暦過ぎた秋の日、ふと居間で妻・節子さんとすれ違った武田鉄矢さん。その瞬間、「あれ?なんで妻を好きになったのだろう」と考え込んでしまったそう。

そこで、その謎をノートに書き置いてみたところ、初めて妻・節子さんを見た第一印象と実際の姿に誤解が生じていたことに気づきます。

武田鉄矢:「彼女は私の思っているような女性ではなかった。」

妻・節子さんも同じく武田鉄矢さんを誤解していたとのこと。その誤解していた分量が偶然にも互いに同じで、夫婦に奇跡を起こしたのだとか。

武田鉄矢:「私たちは理解し合って夫婦になったのではなく、誤解し合って間違ったから結婚したのです。」

「老い」に比例して関係がぎすぎすしていく夫婦は、結婚当初の誤解する力が衰えてしまったからだといいます。夫婦互いに分かり合おうとするのはNGで、必要なのは「どう誤解するか」とのこと。

現在、武田鉄矢さんは高齢になった妻・節子さんに「あんたが一番綺麗で可愛かった頃を、いつまでも知ってるのは俺だけだからね」と伝えているそうです。

※ 武田鉄矢さんは2023年7月5日、エッセイ本「向かい風に進む力を借りなさい」を発売しました。

武田鉄矢 妻・節子との子供は何人いる?~年齢・性別・職業~

武田鉄矢さんと妻・節子さんの間には子供が2人誕生しており、いずれも性別は女の子です。

  • 第1子(長女) 菜見子さん、1977年4月生まれ。年齢46歳。(2023年7月時点)
  • 第2子(次女) 空見子さん、1980年2月生まれ。年齢43歳。(2023年7月時点)

年齢差3歳の姉妹。一般女性のため、娘たちの職業など詳細情報は公表されていません。

武田鉄矢 妻・節子と現在の自宅生活「徹子の部屋」

2023年7月26日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に、武田鉄矢さんが「結婚50年に… “合気道“  愛妻と大騒動が!?」と題し出演。

最近、妻・節子さんと精神的に「第2の結婚」をしたと話しました。自宅では洗濯物を巡って大騒動が勃発したといいます。他には高倉健さんとのエピソードも。

映画「幸福の黄色いハンカチ」の試写会では妻の節子さんを招くも、幼い子供を預ける場所が見つからず苦戦。遅れてきた妻・節子さんに対して、高倉健さんが丁寧にあいさつをしてくれたのだとか。

武田鉄矢:「かかとをそろえて女房に向かって。“撮影中は武田君に大変お世話になりました。高倉と申します。本当にどうもありがとうございました” って…そんな方ですよ。」

高倉健さんは妻の節子さんに握手を求めたそうです。節子さんはこの出来事を「人生で一番幸せだった瞬間」と今でも口にしているとのこと。

武田鉄矢さんは流れる涙をぬぐいながら思い出を語りました。

 

2023年7月26日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」武田鉄矢 番組内容詳細

“金八先生”として知られる武田さん。本当は自分は生徒になりたかったんだ…と気づき、一念発起し始めたのが合気道。生徒として80代の先生に教えを受けているという。実はその合気道場は武田さんが師と慕う高倉健さんが訪れていたそうで、あまりの偶然に驚いたとか。健さんとは名画『幸福の黄色いハンカチ』で共演。また当時、演技未経験だった武田さんを役者として見出したのが山田洋次監督だった。今回特別に監督から手紙が…

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武田鉄矢 プロフィール

本名・武田鉄矢 (たけだ てつや)

生年月日・1949年4月11日

出身地・福岡県福岡市博多区

血液型・O型

身長・165cm

学歴・福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程中退

武田鉄矢さんは実家にて父親・嘉元さん、母親・イクさん、12歳上の兄と3人の姉の7人家族でした。大学は福岡教育大学に進学し、7年在籍しますが中退。母親のイクさんが、芸能界で失敗しても大学に戻れるように学費を払い続けていました。

1972年、千葉和臣さんと中牟田俊男さんと共に海援隊でデビュー。1977年、映画「幸福の黄色いハンカチ」で高評価を得て、俳優として知名度を上げます。

1979年にはドラマ「3年B組金八先生」のヒットで、自身が歌う主題歌「贈る言葉」も大ヒット。「金八先生」シリーズでの活躍が評価され、2008年に国立大学法人理事会で特別に名誉学士号を授与。福岡教育大学の特命教授に就任しています。

2012年、連続テレビ小説「純と愛」でヒロインの父親役として初出演。その後、大河ドラマや映画、バラエティー番組に多数出演し、東洋水産「マルちゃん赤いきつねうどん」のCMキャラクターとしても有名です。

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