「ハンターチャンス!」という決めゼリフでおなじみの司会者、柳生博さん。現在、八ヶ岳倶楽部でパワフルに暮らしています。
10月2日、フジテレビ「ノンストップ」に出演し、妻の闘病生活や息子が他界した時の様子を明かしました。
プロフィール
本名・柳生 博(やぎゅう ひろし)
生年月日・1937年1月7日
出身地・日本茨城県稲敷郡舟島村(現在:阿見町)
血液型・O型
身長・175cm
学歴・茨城県立土浦第一高等学校、東京商船大学(現在:東京海洋大学)中退
若い頃は船員を志して大学に入るも、体調を悪くし中退します。その後は俳優になるため、劇団俳優座の養成所へ入所。テレビドラマ「いちばん星」の出演で、知名度が上がりました。
1981年から12年間、「100万円クイズハンター」の司会者として人気になります。番組内での「ハンターチャンス!」という決めゼリフは、柳生博さんの代名詞。
2019年、「日本野鳥の会」の名誉会長に就任しています。さらに「コウノトリファンクラブ」の初代会長にも就任しています。
現在の生活は?妻の病気や息子の死因を明かす
柳生博:「お~い、カメラ回してるならハシゴを支えてよ~」
八ヶ岳倶楽部へ取材に来たスタッフに声をかける柳生博さん。現在もパワフルに動き回っていました。1976年から八ヶ岳に家族で行き来するようになり、完全移住した柳生博さん。
それには深刻な理由があったようです。仕事から帰宅すると、小学4年生の長男・真吾さんが顔から出血していたんだとか。出血した原因を問いただすと、イジメに合っていたとのこと。
柳生博さんが俳優業で、不倫役や犯人役をしたことによっていじめられていたといいます。そこで東京から離れ、自然に触れられる八ヶ岳に行き来し始めました。
すると家族みんな、八ヶ岳に魅了され完全移住。真吾さんも見る見る元気になっていきました。そして1989年に、八ヶ岳倶楽部をオープンさせます。
柳生博:「(草木の)手入れで忙しくて、俳優などやってる場合じゃないじゃん。」
レストランやカフェ、陶芸家などのアーティスト作品が展示販売されたギャラリーも併設。自ら電動草刈機で、広大な敷地の雑草をカット。
柳生博:「秋にはモミジのじゅうだんになって、お客さんがモミジを持ち帰り、思い出ができるんだよね。」
そして何よりもニホンミツバチの飼育がとても楽しい様子。充実した日々を過ごしているようです。しかしそんな最中、4年前に悲劇が訪れました。長男の真吾さんが咽頭ガンを発症。
さらに息子の闘病中に、二階堂有希子という元女優で妻の加津子さんが、認知症を発症してしまいます。そんな過酷な日々を送る中、真吾さんが47歳で他界。
当時は「しんご」の「し」の字も言えないほどショックだったといいます。
柳生博:「どこを見ても真吾がいるんだよね。屋根の上から手を振ったり目に焼き付いてるから、今でも近くにいる気がするんだよ。」
妻の加津子さんは現在、高齢者施設に入所しているとのこと。週に3回、会いに行っているそうです。
柳生博:「機嫌が良ければ、少々ぼけてようが何だろうが、可愛いんだよ。」
実は真吾さんが亡くなったことを、加津子さんは心を閉ざし知らない状態だといいます。家族で困難を乗り越える姿は、胸を打たれました。現在、八ヶ岳倶楽部の代表取締役は二男の柳生宗助さん。
ホームページに掲載されている笑顔が、とても優しく素敵です。