志尊淳 父は司祭 実家はお金持ち 母53歳「母子家庭で3兄弟」

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志尊淳さんの実家がお金持ちである理由は家族の経歴。志尊淳さんの両親は離婚しているが、父親の職業は現在司祭を務める宮崎光といわれている。

志尊淳さんの母親は母子家庭で育てあげ現在は年齢53歳。志尊淳さんの家族構成、父母兄弟のエピソードとは…

志尊淳 家族構成~父 母 兄 姉~

志尊淳さんの家族構成は、父親・母親・兄・姉の5人家族。しかし両親は志尊淳さんが小学生時代に離婚しています。

離婚後は母親が子供たち3人を引き取り、女手一つで育て上げました。父親と現在も連絡を取っているかは不明ですが、母親とは仲良し。

「久々。実家にて。のんびり。」

志尊淳 実家はお金持ちといわれる理由

志尊淳さんの親族は名だたる著名人ばかり。このことから、志尊淳さんの実家はお金持ちだといわれています。

祖父は作曲家・宮崎尚志

志尊淳さんの祖父は作曲家の宮崎尚志(みやざき なおし)さん。映画やドラマの楽曲、野球チーム「広島カープ」の応援歌や校歌など幅広いジャンルで作曲提供し、多くの功績を残しています。

これまで作った楽曲は1万曲を超えるほど。CMソング「スカッとさわやかコカコーラ」や「赤福餅のうた」が有名。

祖母は歌手の中野慶子

志尊淳さんの祖母は歌手の中野慶子 (なかの けいこ) さん。初代「うたのおねえさん」としてテレビにも出演していました。

「いぬのおまわりさん」は祖母である中野慶子さんが初めて歌い大ヒット。NHKで祖父の宮崎尚志さんと出会い 1964年に結婚し、その後もタレント活動していました。

祖母とはよく連絡を取り合うようで、志尊淳さんは自身のTwitterに「ちゃーちゃん(祖母)日記。」としてエピソードを掲載しています。

叔父2人はミュージシャン

志尊淳さんには叔父が2人。いずれも音楽にたずさわる職業に就いています。

  • ミュージシャン (作曲家)の宮崎道(みやざき みち)
  • ミュージシャン (歌手)の宮崎歩(みやざき あゆむ)

2017年放送のフジテレビ「VS嵐」に出演した志尊淳さん。「叔父は嵐と関係がある」と話していますが、これは宮崎歩さんがジャニーズの作詞作曲を手掛けたということ。

◆叔父・宮崎歩が手掛けた楽曲

  • 嵐「ハダシの未来」作詞・作曲
  • KAT-TUN「DRIVE ME DRIVE ON」作曲
  • KinKi Kids「to Heart」作曲
  • V6 「Feel your breeze」作曲
  • 生田斗真「ごめんよ、哀愁」作詞・作曲

志尊淳さんは自身のTwitterでも、叔父が宮崎歩であることを伝えています。

志尊淳 父親は立教大学の司祭か

志尊淳さんの祖父・宮崎尚志さんには3人の息子がいます。

  • 長男・宮崎光 (立教大学の司祭)
  • 次男・宮崎道 (作曲家の叔父)
  • 三男・宮崎歩 (ジャニーズの楽曲を手掛けた叔父)

祖父・宮崎尚志さんの葬儀直後に CD「NAOSHISM」をこの息子たち3人が制作。この中の長男・宮崎光さんが志尊淳さんの父親ではないかといわれています。

CD『NAOSHISM』は父=ヨシュア宮崎尚志の逝去・葬儀を行った直後、2003年5月半ばに家族全員で会合をもち、製作を決定したものです。選曲に関してはほぼ長男・宮崎光司祭、次男・宮崎道(私)、三男・宮崎歩の3人を中心に一晩で決めました。

志尊淳さんはキリスト教関連の授業を行う聖学院中学校・高等学校出身。聖学院は「プロテスタントミッション・スクール」です。

長男の宮崎光さんは立教大学の在学中から池袋チャペルに出向き、礼拝奉仕するオーガニストギルドに加わっていました。そして2011年からは聖職者(司祭)として立教大学の職員に。

キリスト教と関わりの深い司祭である宮崎光さんが志尊淳さんの父親といえそうです。

町の教会の牧師として20年を過ごし、20114月から、懐かしくて新しい母校に舞い戻りました。現在の『日本聖公会 聖歌集』編纂 にも携わり、礼拝学(典礼学)を専門的関心領域としています。

高校時代は8ミリフィルムの自主映画小僧で、映画監督になるのが夢でした。新座キャンパ スの映像身体学科には興味津々です。

引用:立教大学「宮崎光 プロフィール」

しかし現在のところ志尊淳さんの父親が誰なのか、職業などについては明らかになっていません

志尊淳 母親の年齢は53歳「母子家庭で3兄弟育て…」

志尊淳さんの母親は一般人。名前や職業は明かしておらず顔写真も非公開。

しかし、2020年8月20日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」で、志尊淳さんが「母親は50歳の誕生日」と明かしており、年齢はわかっています。

志尊淳さんの母親は1970年8月20日生まれということになり、2023年の誕生日で53歳に。お母さんは志尊淳さんを25歳の時に出産しています。

その後、志尊淳さんが小学生になると両親は離婚。志尊淳さんの母親は女手一つで3人の子供を育てあげました。母親は派遣の仕事で生計を立て、母方の祖母が子供たちの世話をサポートしています。

そんな中、17歳になると志尊淳さんは実家を飛び出して家出。本名でデビューしたことで「志尊」という名前が目立ち、家族ともめていたのだとか。

志尊淳さんは住民票を移して「一人で生きていこう」と決意。1年ほど帰らなかったといいます。

離れてみて家族の尊さ、大事さを感じました。今も、一番大事にしているのは家族です。

母親に苦労をかけたという思いから、今は母親が住む家を建ててあげることが夢だそう。そのことを目標に俳優活動を頑張っているそうです。

◆志尊淳 母親とのエピソード「大笑いされる」

志尊淳:「コンタクトとかリップとか入れているポーチは10年ぐらい使ってましたが、それをこの間母が見て、いつまで使ってるのと大笑いされました。初任給で買ったスニーカーもまだ使ってます!」

母親と暮らした幼少期の志尊淳さん。お母さんが抱っこ!? ↓

志尊淳 兄弟は兄と姉

志尊淳さんには兄と姉がおり3兄弟の末っ子。兄と姉は一般人のため、名前や年齢、職業、顔写真などの情報は公開していません。

しかし志尊淳さんはこれまでインタビューやTwitterで、兄や姉について明かしています。

兄は既婚者

僕の大事な実兄が結婚しました。 信じれない気持ちと信じれないくらい幸せな気持ちが入り混じってますがとにかく嬉しいです。

優しくて頼もしくて素敵すぎる兄貴なのでほんとに良い父になりそうです。 姉も一人増えました。ほんとに嬉しい。 お兄、おめでとう 末長くお幸せに 幸せです。

志尊淳さんの兄への祝福の言葉は、兄弟を大切にしているということが伝わりますね。

2018年11月9日放送のTBS「A-Studio」では、志尊淳さんが高校時代に家出したことを告白。その際、兄がテレビ出演し、当時の思いを語っています。

「住民票も移してしまって、家族でとても心配していました。」

兄もまた弟思いの優しい男性。

志尊淳さんは子供の頃、テレビ番組「さんまのからくりTV」「うたばん」「野球中継」などをよく観ていたそうですが、兄弟でよくテレビの取り合いをしていたというエピソードを明かしています。

姉は海外在住だった

2018年9月30日放送の日テレ「おしゃれイズム」に出演した際、姉とのエピソードを明かしています。

志尊淳:「姉は少し前まで海外にいたため、僕のことを俳優の卵だと思っています。」

当時は2017年のドラマ「きみはペット」や2018年のNHK朝ドラ「半分、青い」などに出演していた志尊淳さん。人気俳優だったにもかかわらず、姉は弟の活躍を一切知らなかった!?

志尊淳さんがディズニー映画「2分の1の魔法」で声優を務めた際も、インタビューでこのように明かしています。

志尊淳:「兄も姉も僕の作品を一切観ないんですよ。だから、“友達に言われて知ったけど、淳って俳優やってるんだ!“ みたいな感じです (笑)。」

けっして弟に無関心というわけではないようです。17歳の時に家出した志尊淳さんを見て、「自立した弟」と認識しているのかもしれません。

志尊淳 太っていた理由は母親の手料理?18キロ減

2019年6月20日放送のTBS「櫻井・有吉THE夜会」に出演した志尊淳さん。太っていた過去を告白しています。

志尊淳さんが太っていたのは中学時代。野球部を引退した時に70キロあったのだとか。そして2か月で18キロのダイエットに成功。

この後、原宿を歩いていると大手プロダクション20社以上からスカウトされたそうです。

しかし全て断り、ワタナベエンターテインメントの養成所に入学。今は体質が変わったようで、体重も落ち着き太らなくなったようです。こんな変貌を遂げていたとは驚きですね。

番組では18キロ痩せた中学3年生の夏休み明けの写真が公開されました。志尊淳さんが痩せた理由は母親に「1キロ痩せたら1000円あげる」と言われたから。

ダイエットコーラだけで、ひたすら走ったといいます。1日1食の間食なし。倒れて点滴を打ったこともあったとか。

志尊淳:「中学生だからアルバイトはできないし、お金はほしいし…(笑)」

志尊淳さんは小学生時代から野球少年。キャッチャーで4番を務めていました。しかし太っていたせいか、まったくモテない日々。番組では同級生が出演し、当時について明かしています。

「今の体型からは想像できないくらい太ってた。中3の夏休み明け、急に18キロ痩せて投稿してきて “脂肪吸引疑惑“ が流れた。」

志尊淳さんが太ったのは、母親の手料理が美味しいことも理由だったかもしれませんね。

志尊淳 家族が支えた病気・心筋炎

2023年6月16日放送のNHK「あさイチ」に志尊淳さんが出演。2021年3月、急性心筋炎で入院した当時について振り返りました。

志尊淳:「1カ月は、ほぼ寝たきりでしたね。気付いたらICUにいて、“もしかしたら死んでしまう可能性もあって…”っていう話を聞かされて。」

急に立ち上がったら、聞いたことのない心臓の鼓動がして息ができなくなったのだとか。目の前が真っ白になり、病院へ行くと即入院。

投薬治療のため寝返りも打てず、ずっと泣いて過ごしたといいます。病床では「これをもっとやっておけばよかった」「もっとこうしたかった」と考える日々。

母親や兄、姉に対する思いも強まったようです。

志尊淳:「やっぱり周りを大事にしたいとすごく思いましたね。」

急性心筋炎から復帰した後には新型コロナにも感染。志尊淳さんは仕事にも家族にも、向き合う姿勢が激変したと話しました。

志尊淳 母親も病気・くも膜下出血で倒れ…

2023年10月20日放送のTBS「A-Studio+」に志尊淳さんが出演し、母親とのエピソードを告白。番組では志尊淳さんの祖父や祖母、母親と兄が出演し取材に応じました。

ショートヘアのスレンダーな母親。志尊淳さんが心筋炎になった際は、病床からLINEで遺書が届いたといいます。

志尊淳:「いつ悪化するかわからないから、“死ぬ前に何かしたいこと“ と思った時に、僕は家族に何か言葉を伝えたいと思って。」

遺書を読んだ志尊淳さんのお母さんは大泣き。大変つらい出来事にもかかわらず、当時の志尊家は家族が次々と病気になってしまったのだとか。

志尊淳:「僕が病気する3か月前に、おばあちゃんが片目を失明しちゃって、僕が病気したあとに母親がくも膜下出血で倒れたんですよ。」

奇跡的に後遺症は残らず、今は元気になったそうです。医師から「お母さんは死ぬかもしれない」と告げられ、意識もうろうで運ばれる母親を目の当たりにした志尊淳さん。

当時は親子で死に直面し、壮絶な時を送りました。命の大切さをあらためて実感し、今はお互いに「健康でいてくれるだけでいい」と、平穏な日々に感謝しているといいます。

志尊淳さんは新ドラマ「フェルマーの料理」でカリスマシェフ役。自宅では毎日手料理し、じゃがいも15個で包丁の練習をしているとのこと。

祖父と祖母にナポリタンを手作りし、よろこばれたと話しました。今後も苦労を重ねた志尊淳さんの活躍を応援したいですね。

◆志尊淳さんは病気後、ひとり暮らし生活でも激変。詳細はこちらからどうぞ ↓

志尊淳 プロフィール

本名・志尊淳(しそん じゅん)

生年月日・1995年3月5日

出身地・東京都

血液型・A型

身長・178cm

学歴・聖学院高等学校卒業

15歳頃、渋谷・原宿を歩いていた時は合計20社からスカウトされたという志尊淳さん。2011年に俳優デビュー。

2014年、テレビ朝日のスーパー戦隊シリーズ「烈車戦隊トッキュウジャー」で主演に抜擢され、2017年、「春のめざめ」で舞台初主演を務めました。

2018年、NHK「女子的生活」ではトランスジェンダーの役で話題に。この作品では演技が評価され、文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門で「放送個人賞」を受賞しています。

ドラマ「潤一」「金魚姫」、映画「先輩と彼女」「ドルメンX」「さんかく窓の外側は夜」などで主演を務め、NHK連続テレビ小説「らんまん」や大河ドラマ「青天を衝け」に出演。

2023年はドラマ「unknown」「ミステリと言う勿れ 特別編」「フェルマーの料理」などに出演しています。

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