野口健 娘はハーフ?母エジプト人 父は外交官「兄弟4人 実家の家族構成」

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野口健さんの娘・野口絵子さんがハーフ美人だと話題に。実際には野口健さんの母親がエジプト人で父親が純日本人のため、娘・野口絵子さんはクォーター。

野口健さんの娘・野口絵子さんのハーフ説を紐解く母親や父親について「徹子の部屋」で語った。実家の家族構成、兄弟とは…。

◆野口健さんの公式 X (旧:Twitter) より

野口健 実家での家族構成~父・母・兄・弟・妹~

野口健さんの家族構成は父親、母親、兄、弟、妹。父親と母親が離婚し、その後に再婚しているため家族構成は複雑です。

野口健さんの父親の名前は雅昭さんといい結婚歴が2回。野口健さんは初婚相手との子供で、母親の名前はモナさんといいます。

父親の再婚相手は容子さんといい、野口健さんの2人目の母親。兄弟には兄と弟、妹がおり、腹違いなどを含めると家族構成は6人に。

野口健さんの幼少期は、父親の仕事の都合でアメリカやサウジアラビアで過ごすことになり、日本に初めて移り住んだのは4歳のとき。

幼稚園や小学校に通い始めると日本語がうまく話せず、容姿の特徴をからかわれるなどイジメを受けたそうです。

母親のモナさんからは「やられたらやり返せ!」と放たれ、決して可哀そうだと慰めてくれることはなかったのだとか。

でも、泣きながら家に帰ると、アラブ人の母ちゃんは「目には目」「歯には歯」だから「徹底的にやりかえせ」と。そんなことできるわけないのですが、母ちゃんは「相手はひきょうなんだから、何をしてもいい」とも言いました。

引用:2019-08-24「ウィズニュース」

そんな中、父親の仕事の都合で小学生の途中からエジプト・カイロに家族で移住。

しかし小学6年生のときに父・雅昭さんと母・モナさんが離婚し、カイロ日本人学校小学部からイギリスの立教英国学院小学部に転校することになりました。

この頃には母・モナさんの教育もあってか、たくましくなり、いじめられっ子から悪ガキへと変貌。立教英国学院の高等部になると先輩とケンカをして停学処分に。

この停学中、日本へ強制帰還させられた野口健さん。意外にも父・雅昭さんからは怒られず、「ひとり旅にも出て頭を冷して来い」と促されたのだとか。

暴れん坊を自宅に閉じ込めておいても、ろくなことはない。「イライラしながら家にいるより、旅に出て、ゆっくり自分の行く末を考えろ」

引用:アルピニスト・野口健のおやじ 雅昭さん:2

しばらくして大阪の親戚の家に身を寄せた野口健さん。関西地方をひとり旅しているときに立ち寄った本屋で、冒険家・植村直己の著作「青春を山に賭けて」に出会い、アルピニストを目指すことになりました。

登山家になったのは植村直己さんの影響もありますが、もとは母・モナさんの教育法によって、たくましく成長したことかもしれません。

野口健 父親の職業は外交官

野口健さんの父親、野口雅昭さんは会津若松出身。職業はエジプト公使、イタリア公使、イエメン大使、シドニー総領事、チュニジア大使などを務めた東大出身の元外交官です

外務省本省と世界各地の大使館・総領事館・政府代表部に勤務し、外国との交渉や文化交流、情報分析や邦人保護活動を行う公務員。

父・雅昭さんは政府開発援助 (ODA)にも取り組んでいました。

政府開発援助(せいふかいはつえんじょ)とは

発展途上国の経済発展や福祉の向上のため、先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと

そんな父・雅昭さんと母・モナさんの馴れ初めは、外交官時代のエジプト大使館勤務だったとき、父がモナさんから見初められたことでした。

当初、両親は仲睦まじく暮らしていましたが、野口健さんはあるとき母・モナさんが街中で父親とは別の男性と腕を組んで歩いている姿を目撃してしまいます。

その後、母・モナさんの不倫が原因で、父・雅昭さんは離婚を決断しました。そして1990年に容子さんと出会い、再婚しています。

野口健さんの公式 X (旧:Twitter) より

野口健 母親は2人~野口健はハーフ~

父親は会津若松出身で日本人ですが、生みの母・モナさんはギリシャ系エジプト人のため、野口健さんはハーフ。しかしネット上には、次のような情報も。

エジプトとレバノンのハーフでエジプトでは少数派のコプト教徒だった父親とトルコ出身でギリシアとフランスのハーフだった母親との間に生まれており、四カ国のクォーターとなる。

引用:Wikipedia

ただ、野口健さんが以前に講演会で講師を務めた際、インタビューで自身を「ハーフ」だと明かしています。

野口健:幼少期、ハーフであることをからかわれ、いじめられていた僕に、「自分の身は自分で守れ!」と厳しい言葉をかけて鍛えてくれた母親のおかげで、あきらめない強い心を持てたのだと思います。

引用:Speakers

父・雅昭さんが再婚した妻は京都出身の容子さんといい純日本人で、野口健さんにとって2人目の母。父・雅昭さんと容子さんはイエメン大使の勤務時代に入籍しています。

当時、母・容子さんは39歳で野口健さんは停学中の高校生。育ての母として苦労があったようです。

◆実母:モナさん

野口健さんの母・モナさんの職業はサウジアラビアでサウド家の「ガヴァネス(女家庭教師)」で、旧姓はタドロスといい、古代エジプト・ヘリオポリス出身。

仕事人間の父・雅昭さんとは気が合わずに離婚に至りました。その後、母・モナさんはカナダに移住。

2007年放送のテレビ朝日「グレートマザー物語」の企画で24年ぶりに来日し、野口健さんにとっては8年ぶりの再会となりました。

野口健:「成田の空港でかあちゃんがゲートから出てくるまでは、とても緊張した。実の母でありながら、色々な思いがあっただけに再会が実現するまではドキドキ。しかし、いざ会ってみると、ブランクを感じさせないというか、ものすごく自然にお話しができた。」

引用:2007-01-27 野口健さんの公式ウェブサイトより

長い月日を経ての再会は深く心に刻まれたようです。

2人目の母:容子さん

野口健さんが高校2年のときに突如として母親となった容子さん。外交官夫人として夫をサポートし、自身も愛情いっぱいに育ててもらったようです。

そんな義母・容子さんに対しては尊敬の念を抱いているのだとか。感謝の思いが尽きない母・容子さんですが、2006年11月24日に癌のため他界されています。

がんを宣告されてから闘病生活が続いていた。一時、歩けないほど症状が悪化したものの、つらいリハビリを必死にこなし階段を上れるようになった。

担当医師もその驚異的な回復力は1000人に一人だろうと驚いた。亡くなる直前に緊急入院し薄れていく意識の中で「もう一度リハビリして元気になる」と話していた母。厳しい状況の中、最後まで諦めていなかった。

厳しい母でしたが、いつでも本気でした。そして全てに筋が通っていた。私の母になってくれた事に心から感謝しています。私も母のように強く生きていきたい。お母さん、ありがとう。

引用:2006-12-21 野口健さんの公式ウェブサイトより

野口健 兄弟は兄1人、弟1人、妹も

野口健さんは4人兄弟。父親と母親が再婚しているため、その後兄弟が増えています

  • 父・雅昭さんと母・モナさんの長男:5歳年上の商社マンでイラン在住の兄「哲也」さん
  • 母・モナさんと不倫相手との子供:異父弟の「いさむ」さん
  • 母・モナさんと再婚相手との子供:妹

野口健さんは気づけば4人兄弟の次男に。母・モナさんの不倫相手は「絵の勉強がしたいから」と雇った講師でした。

その後に妊娠までしてしまったため、野口健さんは弟が生まれて来るまで「どっちが父親なの?」とハラハラしていたそうです。

結果、「いさむ」と名付けられた野口健さんの弟は不倫相手の子供とわかり、父・雅昭さんにはまったく似ていなかったのだとか。

このあと母・モナさんは再婚し、娘が誕生するも夫と不仲になり離婚しています。

貧しい暮らしとなった母・モナさんの代わりに、異父弟妹の大学進学費用などはアルピニストとして有名になっていた野口健さんが援助することに。

野口健さんはかなり複雑な家庭に育っています。

野口健 娘がハーフ美人だと話題に~慶応大へ~

野口健さんですが現在は可愛い一人娘・野口絵子さんがハーフだと話題に。※ 野口絵子(読み方:のぐち えこ)

娘の絵子さんは14歳のときに、2019年放送の日テレ「メレンゲの気持ち」に親子で出演し、顔出しをしました。

堀の深い顔立ちをした野口健さんの娘ということで「ハーフなの?」と注目を集めています。

2024年では20歳になり、慶応義塾大学総合政策学部に在学中。2023年4月5日、野口健さんが自身のインスタグラムを更新し、大学入学への思いを綴っています。

「小学生ぶりの日本での学生生活は新鮮だろうね。高校はNZ。大学はどうするのかな?と思っていたら『日本の大学に入学したい』と。内心、ホッとしたかな」

「中高とズッと海外で遠かったのでね。これからはちょくちょくと一緒にご飯でも行けますね。あと、八ヶ岳も」

「大学生活中に1年間ぐらい休学して僻地の国々など世界放浪の旅に出るのもあり!。一人旅は人生について考えるものでね。世界を歩きながら『見て、感じて、知る』のは大切。現場に行かなければ本当の事はわからないしね。僕は8年間、大学生をやっていましたが、あれはあれで意味があったね」

同時に、娘・絵子さんの入学式会場前でのスーツ姿の写真をアップしています。

◆野口健さんの公式 X (旧:Twitter) より

野口健 娘はハーフでなくクォーター

実際には野口健さんがハーフで、娘・絵子さんは母親が日本人のため、ハーフではなくクォーターになります

  • 父・野口健さんは日本人とエジプト人のハーフ
  • 母・野口靖子さんは宮城県出身の日本人

野口健さんは1995年の22歳のときに、ネパールに住む未成年の女性と結婚(事実婚)。子供は誕生せず、2年後に離婚されています。

その後 2003年、30歳のときに加藤靖子さんと再婚。宮城県・仙台出身の一般女性ですが、ライターの一志治夫氏の妻の従姉妹とのこと。

そして2004年2月、長女・絵子さんが誕生しました。中学より父親の母校であるイギリスの立教英国学院に通学し、寮生活を送った絵子さん。高校はニュージーランドにある学校に通っています。

アイドル並みの可愛らしさがありますが、2019年放送の日テレ「メレンゲの気持ち」では、芸能界にはあまり興味がないと話していました。

幼い頃から親子で八ヶ岳などへ登山合宿に出ており、学生時代は学校が休みに入ると実家に戻り、父親と登山。

そんな野口健さんと娘・絵子さんが番組で明かした自宅は、山梨県にある築200年の古民家で、色々と改装して外装がオシャレです。部屋には世界中で集めたアンティークがたくさん。

エベレストに登頂した時の旗やカメラコレクションがあり、ちょっとした「野口健 博物館」に。

食事は野菜中心のエジプト料理。モロヘイヤの煮込み等ヘルシーな物を食べているようです。娘の絵子さんは父親を尊敬し一緒に登山をする仲。今後の活躍が頼もしいですね。

野口健さんの公式 X (旧:Twitter) より

野口健 娘のハーフ説が明らかに~両親を語る~

2024年3月15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に野口健さんが出演。黒柳徹子さんから母親が2人いて生みの親はエジプト人、2人目の母親は日本人、父親は日本人で中東専門の外交官と紹介されました。

いじめを受けていた幼少期について触れると、母・モナさんの教育法を明かしています。

野口健:「幼稚園の頃ですね、”外人” っていじめられてね。(母は) “殴られたら10発殴り返せ” と。10倍返しですね。そういう母ちゃんでした。」

母・モナさんは画家の職業に就いており、番組では現在の顔写真が公開されました。また、小学6年生のときの両親の離婚についても言及。

野口健:「母ちゃんと彼氏が手をつないで歩いているところを見ちゃってね。」

野口健さんはこのとき一緒に歩いていた友達に「健の母ちゃんじゃない?」と指摘されるも、バツが悪いため否定したといいます。

野口健:「おやじはダメージ受けてましたから。”母ちゃんが男の人を作って出て行ったんだから、おやじも次の僕の母ちゃんを見つけてくれ” と言って。」

野口健さんは一緒に女性を選ぶことを条件に再婚を後押し。「おやじ、あの人は気が強そうだよ」などとアドバイスし、何人か見た結果、容子さんを迎え入れたそうです。

父親が再婚した当時、野口健さんは高校生。母・容子さんが突然、思春期の息子を持つことになるため、野口健さんは容子さんに「父の再婚に賛成しています」と手紙を書いたのだとか。

生活を共にすると母・容子さんは厳格者で、父親が出勤するときは一緒に見送るよう言われたといいます。

そんな叱咤激励してくれる容子さんが若くして他界してしまったと、寂しい胸の内を明かしました。

一方、さほど厳しくなかったという父・雅昭さん。とにかく野口健さんが言われてきたのは、「物事について表面的なA面ではなく、努力しないと見えてこないB面を見ろ」ということ。

野口健:「観光地のピラミッドはA面、ちょっと行きますとスラム街があって、そこはB面。世の中には必ずA面とB面があって、おまえはB面を見ろと。」

野口健さんが現在行っているゴミ拾いなどの環境活動や教育支援活動は、父・雅昭さんの言葉に重みを感じ、影響しているとのこと。

2024年元旦に起きた能登半島の震災においては、寝袋8000個プロジェクトを行っています。

父親の言葉を忠実に今も人助けする思いやりある野口健さん。娘の絵子さんにもきっと “かっこいいパパ” として届いていることでしょう。

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◆2024年3月15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」野口健 番組内容詳細

アルピニスト・野口健さんがゲスト。

現在20歳の長女も登山家で、昨年1月にヒマラヤの6000m級の山に一緒に登るほどの実力だという。

その数カ月後、同じヒマラヤのマナスルで九死に一生の体験をした野口さん。途中で呼吸困難になり、一刻も早く下山しなければならない状態に…。

たまたま別の隊が呼んでいたヘリに助けられたが、もう少し遅かったら命の危険もあったという。

ほか、エジプト人の生みの母や2番目の母との話、父に教えられた人生の教訓などを語る。

野口健 プロフィール

本名・野口健 (のぐち けん)

生年月日・1973年8月21日

出身地・アメリカ マサチューセッツ州ボストン

身長・169センチ

学歴・亜細亜大学国際関係学部

職業:肩書・登山家。亜細亜大学客員教授。山梨県観光大使。茅野市縄文ふるさと大使。総社市環境観光大使。おおつき大使。三菱自動車アンバサダー。防衛省広報アドバイザー 。NPO法人富士山クラブ理事長。NPO法人ピークエイド理事長。

現在は千葉市、山梨県・大月市の2拠点生活を送っている野口健さん。

父親は元外交官、母親はエジプト人でハーフです。小学6年の時に両親は離婚。当時、イギリスの立教英国学院に通っていました。高等部時代に先輩とケンカをして、停学処分。

その時に植村直己さんの本を読んだことがきっかけで登山家になります。大学8年間、登山を続けて25歳の時にエベレストの登頂に成功。

現在、講演会で講師としても忙しい野口健さん。NPO法人PEAK+AIDの代表としてヒマラヤや富士山の清掃活動をし、環境問題にも取り組んでいます。

そして教育支援やヒマラヤの学校建設・森林づくり、戦没者の遺骨収集なども。

2024年はテレビ静岡「テレビ寺小屋」、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」、TOKYOFM「コスモアースコンシャスアクト 未来へのメッセージ」などに出演。

◆野口健さんの公式 X (旧:Twitter) より

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