竹内まりや山下達郎 馴れ初めはサイン拒否「最悪な印象」年齢差 結婚年

音楽

【2024年10月】竹内まりやさんと山下達郎さんの馴れ初めは同じ所属事務所での出会い。きっかけは楽曲アレンジャーを山下達郎さんが担当したことだった。

竹内まりやさんと山下達郎さんの年の差は2歳。ふたりが結婚したのは1982年、竹内まりやさんが山下達郎さんに初めて出会ったとき拒否されたこととは…

「竹内まりや45th Anniversary」公式 X (旧:Twitter) より

竹内まりや & 山下達郎 結婚したのは1982年~年の差2歳~

竹内まりやさんと山下達郎さんの年齢差は2歳。ふたりが結婚したのは1982年、竹内まりやさんが27歳、山下達郎さんは29歳でした。

山下達郎さんは1976年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロ・デビュー。1980年の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなり、竹内まりやさんより先に人気アーティストに。

竹内まりやさんは1978年にデビューするもまだ大学生。デビューシングル「戻っておいで・私の時間」を発表すると、美しい容姿からアイドル的存在になり注目を集めます。

そして1979年、日本レコード大賞新人賞を受賞。ふたりの結婚はビッグアーティストカップルとして話題を呼びました。

しかし竹内まりやさんは人気で、デビューしてからずっとテレビ番組などに出演するなど多忙な日々。しだいに生活リズムに違和感を覚え、山下達郎さんとの結婚前に休養宣言しています。

およそ3年間の休養期間でしたが、結婚生活では山下達郎さんに支えられながら自宅で作曲や作詞の仕事をしていました。

いつの間にか自分が消耗して、歌うことに疲れてしまって。体も心も休めて、自分がやりたいことを思い切りやろうと思いました。

旅をしたり、デパ地下で心ゆくまで食料品を選んだり……。”自分の時間”を取り戻していきました。そうしたら、「ああ、もう一回ちゃんと音楽をやろう」という心の状態が訪れたんです。

引用:J-WAVE NEWS

このように竹内まりやさんと山下達郎さんは結婚発表するも、新婚当時は順風満帆ではありませんでした。

竹内まりや & 山下達郎 馴れ初め~同じ事務所に所属~

竹内まりやさんと山下達郎さんの馴れ初めは、同じ事務所に所属していたこと。

1976年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロ・デビューした山下達郎さん。当時の所属事務所は「アワ・ハウス」でした。

「アワ・ハウス」は山下達郎さんのソロ・デビュー後、資金難に陥り倒産しています。 その後、山下達郎さんは「パシフィック音楽出版 (PMP) 」に在籍。

そして1978年、自身の所属事務所「ワイルド・ハニー」を東京・渋谷神宮前に設立しました。

竹内まりやさんと山下達郎さんがどの事務所で音楽活動を共にしたのかは不明ですが、出会いは必然的で運命だったようです。

高校時代の竹内まりやさんはビートルズが好きでよく音楽雑誌を読んでいました。その影響で音楽雑誌の編集者を志します。

しかし友人の杉真理さんのレコーディングにバック・コーラスで参加したことがきっかけでミュージシャの道へ。

大学時代には「第8回ポプコン関東・甲信越大会」に出場したり、23歳のときには「ロフト・セッションズ」に参加。

そして1978年、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING」で音楽界デビューを果たしました。

このとき所属していた事務所が山下達郎さんと一緒だったのです。先にデビューした山下達郎さんは憧れの先輩。

竹内まりやさんは山下達郎さんに初めて会うと「サインを書いてほしい」とお願いしたそうです。

しかし山下達郎さんから断れ、逆に注意されてしまいました。そのため竹内まりやさんにとって山下達郎さんの第一印象は最悪。

この件については2022年11月13日の「週刊文春」で、「ヤなヤツ~!竹内まりや&山下達郎夫妻 第一印象は最悪だった “サイン帳事件”」と題して詳細を伝えています。

竹内まりや & 山下達郎 馴れ初め~楽曲アレンジャーを担当~

憧れの山下達郎さんにサインをもらえなかった竹内まりやさんですが、このあと楽曲のアレンジャーを担当してもらったことで親密になっています。

当時、デビューしたばかりで新人だった竹内まりやさん。かわいらしい姿から自信の意に反してアイドル的存在になり悩んでいました。

山下達郎さんは今後のイメージ作りや事務所での金銭面など、あらゆる相談にのってあげたのです。

もともと山下達郎さんの性格はよく「江戸っ子気質で跳ね返りが強い」「ガンコで自信家」「短気でキレやすい」などと言われていますが、このときは先輩として竹内まりやさんにやさしくサポート。

楽曲のアレンジャーとしてレコーディングを重ねると、いつしか恋人関係になりました。

「彼の言っていることは一理あるなと思うことが多かった。話してみるとノリがけっこう合って面白い。だったら結婚しても面白いだろうなと。」

そんな竹内まりやさんはラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」で、山下達郎さんへ恋心を抱いたきっかけを明かしています。

  • きっかけはアン・ルイスさんの「リンダ」という曲をわたしが書いたときに、彼がコーラスでやってきたこと。
  • 彼は仕事が立て込んでいたのに、徹夜で1人多重のコーラスをずっとやってくれて、その姿を見て、「あぁ〜この人誠意があるな」って。
  • その辺からちゃんとお付き合いをしましょうみたいになりました。

「リンダ」は竹内まりやさんと山下達郎さんが結婚する2年前の1980年8月にリリースされたアン・ルイスさんの19枚目のシングル。

しっとりした曲調で大ヒットし、カラオケでよく歌われています。

竹内まりやさんは2019年放送の「関ジャム」のインタビューで「アレンジャーは曲のかなめを握っている」と話しました。そしてこのとき、山下達郎さんとのアレンジメント秘話を語っています。

◆シンプルな歌詞 (言葉) を多く取り入れている理由は?

「昔は欧米のポップスが訳詞化されたとき、「けんかをやめて」などのシンプルなタイトルが多かった。椎名林檎さんのような歌詞にも憧れるけど、自分のキャラには合わないのでオーソドックスな言葉を選んでいます。」

還暦をすぎて若い人とのズレを気にする部分も。しかし世代すべてが共通する感情を見つけたいとのこと。こうした思いから、幅広い年齢層に共感されるわけですね。

「純愛ラプソディ」は、なぜダブル歌唱にしたの?

「ちょっと歌に自身がなかったからなんです。アレンジも穏やかで、シングルでやるには強さが足りないなと自身で判断しました。”アレンジャーは曲のかなめを握っている”、それを山下達郎でできることをすごくありがたいと思っています。」

山下達郎さんへの愛情を込めた手作り料理も、一流アーティストを支える創作活動。互いを信頼し尊敬し合い、竹内まりやさんと山下達郎さんは今も夫婦関係が良好です。

曲作りをどのように分担しているの?

デモの段階で具体的に音像が見えていて、この楽器を入れたいと山下達郎さんに伝えるのだとか。

山下達郎さんが別のアイデアを出してくることもあるようですが、コードなど生理感にないものは自分が希望したものに戻してもらい、最終的には自身で決断。

竹内まりや:「許容していくと曲が山下の世界になってしまうので。」

こうした音楽ができるまでの夫婦のやりとりは興味深いですよね。竹内まりやさんの偉大さは、このような言葉からも感じ取れます。

竹内まりや:「達郎自身の音楽とちがう部分がある接点を持つことの面白さが、私のプロジェクト。夫との化学反応も楽しいです。」

竹内まりやさんが作る歌詞は、長い年月が経っても自然体で心に入ってきます。いつまでも色あせないのは最先端にとらわれず、変わらないものを続けて行こうという気持ちが強いから。

EIGHTJAM」はたびたび竹内まりやさんの特集を組み、2024年10月にも出演しています。

EIGHTJAM」公式 X (旧:Twitter) より 

竹内まりや & 山下達郎 馴れ初め~才能を感じたこと~

山下達郎さんは竹内まりやさんと出会う前、「自分がプロデュースした歌手のアルバムがヒットしない」という悩みを抱えていました。

そんな中、竹内まりやさんが悩みを打ち破ります。1987年、山下達郎さんのプロデュースによりリリースした「REQUEST(リクエスト)」が初のミリオンセラーを記録。

山下達郎:「ようやく自分も一人前のプロデューサーになれたと、胸をなでおろしました。」

こうして竹内まりやさんと山下達郎さんの共同制作が大ヒットしたことで、互いにパワーを感じたようです。

それは竹内まりやさんが結婚前に活動休止し、復帰の準備を始めたときも。

ある日、竹内まりやさんが「書き溜めていた曲がある」と山下達郎さんにカセットのデモを渡しました。

そして最初に聞いたのが「プラスティック・ラヴ」。腰を抜かして驚いた山下達郎さんに竹内まりやさんは次々と楽曲を持ってきたのです。

「これなら全曲、彼女の作詞作曲でアルバム一枚作れるじゃないか!」

そこで完成したのが竹内まりやさんの復帰第1作となる「VARIETY(ヴァラエティ)」でした。今でも山下達郎さんは竹内まりやさんの才能を絶賛しています。

「竹内まりや45th Anniversary」公式 X (旧:Twitter) より

竹内まりや & 山下達郎 馴れ初め~結婚式の写真画像~

竹内まりやさんと山下達郎さんは仕事を共にすることで出会い、その後にウェディングドレスとタキシード姿で結婚式を挙げています。

そんな2人の貴重な姿を「スポニチ」が掲載。竹内まりやさんと山下達郎さんはとても幸せそうな笑みを浮かべていました。

Photo by スポニチ

竹内まりや & 山下達郎 馴れ初め~デートは首都高一周~

2014年9月10日にアルバム「TRAD」をリリースしたとき、竹内まりやさんはインタビューで山下達郎さんとの馴れ初めとなったデートや結婚生活を語りました。

「彼の車で、東京の首都高速を一周したのが初デートかな。」

「夜を徹してよくおしゃべりしました。今もたいして変わらないかも(笑)」

山下達郎さんは車好き。免許が取得できる18歳の誕生日に教習所に通い始めています。

これまで乗ってきた山下達郎さんの歴代車は、最初がおじにもらったというサニークーペ。2番目は友達が買えずに山下達郎さんが買わされたホンダの赤いプレリュード。

そして3番目がアウディ。都会的な車を乗りこなしていました。このあと、実は熱を入れていたBMWの乗り換え、1990年頃からはしばらくBMW320に乗っていたそうです。

竹内まりやさんとデートしたときの車種は不明ですが、今後、年をとったらポルシェを予定しているという山下達郎さん。車内ではどんな曲を流しているのでしょうか。

山下達郎さんといえば、夏の海沿いをドライブするのにぴったりな曲「Ride On Time」が有名。きっと竹内まりやさんと爽快なドライブを楽しんでいたにちがいありません。

インタビューではほかに、竹内まりやさんが夫婦生活円満の秘訣について「先天的なお互いの相性と価値観の一致、そしてたくさんの会話」と答えています。

結婚生活では夫婦でレコーディングスタジオの帰りに、深夜営業のスーパーによく寄るのだとか。

自宅では最近観た映画や文楽のことなど、日常の中で見聞きするすべてのことについて会話。クリスマスには焼いたローストチキンを囲み、家族でプレゼント交換をしているそうです。

日頃、山下達郎さんとは議論を闘わすことはよくあるそうですが、夫婦ゲンカには発展しないという竹内まりやさん。

そんな山下達郎さんの魅力について「人間的にも音楽的にも、まっすぐで誠実なところ」だと話しました。今後も夫婦の共作で、ファンの心を癒してほしいですね。

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山下達郎 プロフィール

1953年、東京・豊島区池袋生まれ。中学時代にベンチャーズに影響を受けて音楽活動を開始しました。そして、大学在学中に大貫妙子らとシュガーベイブを結成。

1975年、シュガー・ベイブとしてシングル「DOWNTOWN」、アルバム「SONGS」でデビューします。

1976年、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロ・デビュー。1980年の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなり、注目を集めました。2024年現在もツアー「PERFORMANCE 2024」を開催。

竹内まりや プロフィール

1955年、島根県簸川郡大社町杵築南(現在の島根県出雲市大社町杵築南)出身。慶應義塾大学文学部英米文学専攻を中退し、シンガー・ソングライターとして活躍します。

作詞や作曲も手がけ、昭和から令和までのアルバム売り上げ1位を獲得。80年代の曲「プラスティック・ラブ」は海外で人気となり、動画再生回数が4300万回超えに。

2021年、全国6大都市アリーナツアーを実施し、2024年は45周年記念。アルバム「Precious Days」をリリースしています。

「竹内まりや45th Anniversary」公式 X (旧:Twitter) より

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