米津玄師 父の職業富士通か 母は内職「貧しかった」兄弟 実家家族

音楽

歌手・米津玄師さんの実家はお金持ちといわれている。米津玄師さんの父親の職業はコンピューター会社勤務、母親は教員免許を取得したが内職でチラシ折り。

米津玄師さんの兄弟は姉が1人いて家族構成は父・母・姉の4人家族だ。実家の場所や家族エピソードとは…

◆米津玄師さんのインスタグラムより

米津玄師 家族構成~父親・母親・姉~

米津玄師さんの実家での家族構成は父親、母親、姉の4人家族。1991年、徳島県にて4500グラムで誕生しました。

父親や母親と暮らした幼少期は、引っ込み思案で内向的だったという米津玄師さん。家にこもり、あまり人と話すことがなかったといいます。

米津玄師:「まわりの人間が何を言っているのかわからないところがあって。投げかけられても、それに対してどう返したらいいかわからないし、何が正解かわからないっていう感覚がすごいありました。」

このとき心を埋めてくれたのは絵を描くこと。米津玄師さんは漫画家になることを夢見ていました。

米津玄師:「音楽をやりたいと思ったのは中学生くらいから…それまで漫画家になりたくて…」

しかし、好きな漫画「NARUTO -ナルト-」の原作者・岸本斉史先生のエッセイを読んで、ハードな生活を送っていたことを知ると断念。

米津玄師:「これは大変だな、とうてい自分には務まらないって。」

しだいに音楽に魅了され、中学時代にはスピッツやBUMP OF CHICKENに憧れて友達3人とバンド活動。米津玄師さんはギターボーカルを担当していました。

米津玄師:「18歳ぐらいまでは緩やかにやってたんですけど、だんだんやっぱり、”向いてないな” っていうのが自分でわかってきたというか、人と一緒に何かやるっていうのが根本的にすごい苦手で…」

そして、ひとりでパソコンやボーカロイドの音楽制作を始めてみると意外と自分だけでできることに気づきます。その後はニコニコ動画で「ハチ」名義で作品をアップ。

米津玄師さんの両親は「歌手・米津玄師」の誕生までをそっと見守り、応援し続けていました。

今では多忙でなかなか帰省することができないという米津玄師さん。上京して以来、一人暮らし生活を送っています。

2024年8月25日放送のTBS「日曜日の初耳学」では、実家を離れたひとり生活を次のように明かしました。

  • 基本的に10時間睡眠
  • 中華とカレーと寿司が好きで、いつもウーバーイーツでローテーションしながら注文
  • 「ココイチ (CoCo壱番屋)が世界で一番うまいカレーだと思う」

実家に帰れば「おふくろの味」を楽しめるかもしれませんが、今は宅配食がメインのようです。

米津玄師 実家の場所は徳島市津田町

米津玄師さんの実家の場所は「徳島市津田小学校」「徳島市津田中学校」を卒業しているため、川と海に囲まれた自然豊かな町「徳島県徳島市津田町」として知られています

 2019年4月28日の「Smart FLASH」では、米津玄師さんの実家の場所を次のように伝えました。

徳島県徳島市。木材業の工場が立ち並ぶ港町に、米津は生まれた。幼稚園、小・中学校は自宅の近く。絵を描くのが好きな、物静かな少年だった。

引用:2019年4月28日「Smart FLASH」

徳島市津田町は港町。釣りや潮干狩りなど海のレジャーはもちろん、海関係の仕事もたくさん。米津玄師さんは潮の香で目を覚まし、1日を過ごしたようです。

近くには津田港フェリーターミナルがあり海水浴場も。そんな米津玄師さんの地元はライブハウスが少なく、あまりライブを観に行くことができませんでした。

米津玄師さんは地元を離れて音楽活動するため、そして美術の才能を磨くために大阪芸術大学附属大阪美術専門学校に入学しています。

◆グーグルマップ「徳島市津田町」

米津玄師さんの実家近くの津田コミュニティセンターでは、今もいろんなイベントが行われいます。

「徳島市」公式 X (旧:Twitter) より

米津玄師 父親の職業(仕事)は富士通勤務か~名前・年齢~

米津玄師さんは父親の名前や年齢について一切明かしていません。ただ、米津玄師さんは33歳なので、父親が30歳のときの子であれば年齢は63歳になっているようです。※2024年8月時点

実家では父親と会話をすることがなかったという米津玄師さん。インタビューでは父親について、次のように触れました。

米津玄師:「父親とあんまりしゃべったことがなくて。24年間生きてきた中で、父親と会話した時間をギュッと絞ったら1時間くらいしかないんじゃないかなというふうに思ってて」 

「どこに勤めてて、みたいなのは一応知ってはいるんですけど、何やってるのかも知らないし、具体的にどういう人間なのかまったく知らなくて。だから、いまだによくわかんないんですよね(笑)」

引用:2020-10-23「ライブドアニュース」

米津玄師さんの父親の職業については2019年4月26日の「日刊ゲンダイ」が「コンピーター関連の社員」の仕事に就いていることを伝えました。

ネット上では米津玄師さんの実家は徳島県にあるため、富士通の徳島支店に勤務しているとの噂が広まっています。

徳島支店は全国的にみて小規模支店で平均年齢は52歳。徳島勤務が長いメンバーがいてアットホーム。しかし大規模組織変革に伴い、富士通の徳島支店は廃止になるとの話もありました。

しかし2021年4月の組織再編の中、「富士通 徳島支店」は「富士通Japan 徳島支社」と名を変えて再出発しています。

また、米津晋次さんという元富士通の著書を出版されている60代の男性がいますが、米津玄師さんの父親かどうか定かではありません。

【米津晋次】1962年生まれ。大学卒業後SE(システムエンジニア)として富士通に勤務。オフィスコンピュータの事務用アプリケーションソフトの開発に従事。

こうした様々情報から、米津玄師さんの父親は「富士通勤務」ではないかと言われています。
「富士通 Tokushima Hub」は、地元の「津田町」からほど近い「かちどき橋」にあり、米津玄師さんの実家から車で10分です。
◆グーグルマップ「富士通 Tokushima Hub」徳島県徳島市かちどき橋2丁目29−1

米津玄師 父親が職業富士通で「実家がお金持ち」といわれる理由

コンピュータ、通信機器、OA機器関連業界の有名企業と平均年収は、エンジニアの種類にもよりますが平均390~928万円が相場。

もし米津玄師さんの父親が富士通であるなら、高額な年収を得ているようです。

富士通の平均年収は、2024年3月期の有価証券報告書によると「965万円」。富士通の年収は、IT業界の中でも2倍近い平均年収となっています。

そのため、富士通に入社するのも容易ではありません。こうした年収を踏まえ、米津玄師さんの父親は高収入であると予想され、「実家はお金持ち」といわれています。

「富士通」公式 X (旧:Twitter) より

米津玄師 母親の職業(仕事)は内職チラシ折り~名前・年齢~

米津玄師さんは母親の名前や年齢についても非公表。年齢は父親同様、米津玄師さんが現在33歳なので、母親の年齢は30歳で出産しているならば63歳に。※2024年8月時点

また、米津玄師さんの母親は何の仕事に就いているのか職業が話題ですが、内職でチラシ折りをしていました。

そして2017年10月29日 J-WAVE「UP LIFESTYLE COLLEGE」では、米津玄師さんが母親は美術の教員免許をもっていることを明かしています。

米津玄師さんの絵の才能は母親ゆずり。

◆米津玄師さんのインスタグラムより

また、米津玄師さんは絵の才能を活かし、イラストを描いたTシャツを発売。米津玄師さんが書き下ろしたイラスト “母と子” は、「TOUR空想」のオリジナル絵柄です。

2019年1月10日にはそんな米津玄師さんの父親と母親に「週刊文春」が取材を行いました。両親は事務所から取材を止められていると話し、短時間でのインタビューとなっています。

「取材はお断りしてくださいということなので、すみません。」

このとき米津玄師さんの父親は「紅白歌合戦は見ない、関心がない」と話すと、母親が次のようにフォローしています。

いえいえ、そんなことはないんですけど、私たち両親は温かく遠くから見守っていくだけです。

学生時代は内向的な性格のため、同級生になじめなかった米津玄師さん。音楽で夢をつかむため実家を飛び出しました。

母親は心配しながらも息子を信じ、寂しい気持ちを抑えながら見送ったことでしょう。

米津玄師 母親の職業(仕事) 内職チラシ折り「貧しかった…」

米津玄師さんの父親がコンピーター関連の会社で働いていることから、「実家はお金持ち」との噂が広まっていますが、実は真逆な生活を送っていたようです。

「今になって思い返してみると、精神的にも肉体的にも貧しい家庭だった。」「母親はチラシを作る内職をしており、決して恵まれた家庭環境ではなかったようだ。」

引用:2020年1月14日「週刊女性PRIME」

さらに「玄師」という個性的な名前もあり、子供の頃はいじめにあっていたという米津玄師さん。4500グラムという体重で生まれたこともトラウマになっていたそうです。

父親との関係や同級生との関係、成長するとともに生きることに居心地の悪さを感じるように。

そして米津玄師さんは20歳になると、「なぜこんなに人とコミュニケーションがうまくとれないのか」と疑問を抱き病院へ。

すると医師から「高機能自閉症」と診断されたそうです。心が貧しい気持ちになった理由は病気を患っていたからでした。

「高機能自閉症」とは

コミュニケーション能力に乏しかったり、こだわりが強いといったことなどが特徴の病気

家族や同級生となじめなかったのは当然のこと。

自宅で内職をする母親の姿を見ても、人とは違う自分にコンプレックスを感じていたため、米津玄師さんは自分のことで精いっぱいだったのです。

米津玄師 姉は一般人~職業・名前・年齢~

米津玄師さんの兄弟は何人いるのか話題ですが姉が1人います。名前や年齢、職業を明かしておらず、一般人のため仕事先や結婚についても非公表

ただ、2023年8月4日の「音楽ナタリー」では、米津玄師さんが姉とのエピソードを語っています。

米津玄師さんが初めて観た映画は小学1年生のときの「もののけ姫」。腕や首がふっ飛ぶシーンは「なんてものを観たんだ」と衝撃を受けたといいます。

そんなインパクトからか、映画館での情景も鮮明に覚えているのだとか。

当時は実家の近くに映画館がなく、父親の車に乗って姉と3人で映画館へ。映画館に入る前にはマクドナルドに寄ってハンバーガーを買い、その紙袋を座席の下に置いて観ていたそうです。

米津玄師:「暗い中、スクリーンの光を浴びてその茶色い紙袋がぼんやり見えた光景もすごく覚えていて…それくらい強烈に残っている体験でした。」

また、2016年9月29日のJ-WAVE「BEHIND THE MELODY ~FM CAMEDA」では、米津玄師さんが「姉はピアノを習っていた」と話しています。

実家では兄弟仲よし。米津玄師さんはよく間違って弾く姉のピアノを横で聴いていたそう。米津玄師さんが音楽に触れた原点は姉のピアノだったかもしれません。

そんな姉はあるときを境に母親とよくケンカをするように。米津玄師さんはそれから家族の雰囲気も一転したと話しています。

米津玄師:「母親とお姉ちゃん、仲がいいときはほんと仲がいいんです。ケンカするっていうことはその分距離が近いってことだし、それは父親も一緒で。姉と母親と父親はわりと普通に仲良くて。」

母親と姉のケンカを見ると、米津玄師さんは「家庭内で空気のような自分より、ケンカできるだけマシ」と思い、蚊帳の外にいるような感覚になったのだとか。

思い返せば家族と会話することもなく、ケンカすることもなく、空気みたいな存在で「居場所がない」と思うことが多かったそうです。
米津玄師:「だからこそ、いなくてもいい存在なのかなとか…」

苦悩の日々を送った米津玄師さんですが、今は音楽仲間がたくさんいる日本代表の歌手。今後の活躍を応援したいですね。

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米津玄師 プロフィール

本名・米津玄師 (よねづ けんし)

生年月日・1991年3月10日

出身地・徳島県徳島市

血液型・О型

身長・188センチ

学歴・徳島県立徳島商業高等学校 卒業、大阪芸術大学附属大阪美術専門学校 中退

2009年、「ハチ」という名義でボカロPデビュー。2012年に本名の米津玄師としての活動をスタートしました。

2018年、TBS金曜ドラマ「アンナチュラル」の主題歌「Lemon」をリリースすると “ミリオン” を達成し、「第96回ドラマアカデミー賞」にて最優秀ドラマソング賞を受賞。

2019年5月、菅田将暉「まちがいさがし」をプロデュースし、2020年には5thアルバム「STRAY SHEEP」をリリースしています。

アルバムは同年の国内年間アルバムランキングで軒並み1位を獲得。そして「第71回 芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)」を受賞しました。

これまで「Lemon」「アイネクライネ」「LOSER」「ピースサイン」「灰色と青 (+菅田将暉)」「orion」「Flamingo」「打上花火」「春雷」「パプリカ」「馬と鹿」「感電」、Foorin「パプリカ」、菅田将暉への楽曲「まちがいさがし」などが1億再生超えに。

2024年はNHK連続テレビ小説「虎に翼」主題歌として「さよーならまたいつか!」、映画「ラストマイル」主題歌として「がらくた」などを提供。

6thアルバム「LOST CORNER」をリリースし、TBS「初耳学」に出演しました。

米津玄師さんの公式 X (旧:Twitter) より

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