木梨憲武 実家 母が他界 父妹の現在「木梨サイクルは営業中」家族構成

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木梨憲武さんの実家での家族構成は父親、母親、妹の4人家族。母親は他界し、父親・作三さんは年齢92歳になった現在も自転車店「木梨サイクル」を経営している。

木梨憲武さんが「A-Studio+」に出演し家族を語る。母親はどんな女性だったのだろうか…。

木梨憲武 実家での家族構成~父・母・妹~

木梨憲武さんの実家での家族構成は父親、母親、妹の4人家族

木梨憲武さんの父親の名前は「木梨作三 (きなし さくぞう)」さんといい、現在の年齢は92歳。※2024年1月時点 父・作三さんの職業は自転車店「木梨サイクル」の会長です。

木梨憲武さんの母親と妹の名前や年齢、職業については公表していません。

父・作三さんの顔写真は木梨憲武さんが自身のインスタグラムで公開しているものの、母親と妹の顔写真はこれまで公開したことがなく画像は一切なし。

しかし、木梨憲武さんは実家でのエピソードをたびたびメディアで明かしています。1962年、東京・世田谷区に生まれた木梨憲武さん。当時から父・作三さんは「木梨サイクル」を経営していました。

1階には店舗と家族4人が暮らす4畳半の部屋があり、2階には他の2家族が住んでいたのだとか。

「自転車屋さんの一軒家に3世帯がいました。奥にお風呂があって、みんな外に一回出て、お風呂入って。そういうのが生まれ育った環境ですね。」

「最高に楽しかったです。『せめーなー』とか1回ぐらい言うんだけど、毎日の生活だから、言ったところでね。」

引用:2022年3月6日「Red Chair」

こうした環境で過ごしたため、子供の頃から「狭い」「不便だ」などネガティブなことを言わない性格になったそう。

中学生になると2階の家族が出ていき、すべて木梨家が使えるように。4畳半の部屋は木梨憲武さんの部屋となり、初めてベッドで寝ることができたといいます。

ベッドといってもビールケースを並べてベニヤ板を置いたもの。テーブルはタイヤの上にガラスを置いて作り、当時はそれでもうれしかったそうです。

そんな生活の中、小中学校ではサッカーに夢中になり帝京高校を目指しました。

子供の頃は欲しいものがすぐ手に入るという環境ではなかったのです。ただ、両親からの愛情は深く感じて育ちました。

2018年、映画「いぬやしき」の舞台挨拶に登場した木梨憲武さんは、司会者から「皆さんにとってのヒーローは?」と質問されると「父親」と答えています。

木梨憲武:「父の作三です。僕と同じ顔をしています。本物のジジイです。祖師谷大蔵で自転車屋をやっています。冬場のパンク修理、真水でやってます。」

木梨憲武 実家「木梨サイクル」は現在も営業中

「木梨サイクル」は木梨憲武さんの父・作三さんが1961年に創業。当初は東京都世田谷区千歳台にありましたが、2004年10月に同じく世田谷の祖師谷に移転しました。

父・作三さんが今も店に立ち、開店当時から変わらないスタイルでみんなから愛されている下町の自転車店。店内にはいつも約50台以上の自転車が並んでいます

また、店の脇にある階段を上がった2階には喫茶店「なごみ堂」があり、レトロな空間が魅力の人気スポット。

「木梨サイクル」での父・作三さんの業務は、パンクの修理や自転車に関するご相談。木梨憲武さんはテレビ番組でたびたび「木梨サイクル」について触れており、番組名になったことも。

フジテレビにて2001年11月から約1年ほど、毎回ゲストを招いてロケ先でトークするバラエティ番組「木梨サイクル」が放送されています。

番組では「木梨サイクル」の実際の店舗をオープニングの舞台として使用。毎回ゲストに自転車をプレゼントしていました。

そのため、「木梨憲武の実家は自転車屋さん」ということは有名です。

「木梨サイクル」ホームページ

◆木梨サイクル 場所・アクセス

実家住所:東京都世田谷区祖師谷1丁目37-8

アクセス:小田急線祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩約5分

電話番号:03-3483-2689

営業時間:10:00~19:00

定休日:毎週火曜日

※ 変更になる可能性あり

グーグルマップ「木梨サイクル」

自転車販売以外にも「木梨サイクル」ブランドとして特製オフィシャルグッズを販売しています。木梨憲武さんはグッズ販売を始めた理由を次のように明かしました。

木梨憲武:「木梨家の長男なので、将来的に家業を継ぐというのが昭和の流れ。自転車屋なので、パンク修理やブレーキパッドを変えたりもするんですが、それだけじゃなくて、お客さんにお土産がてら何か作りたいなと思ってスタートしました。」

過去には「木梨サイクル×イセタンメンズ」でコラボのポップアップショップを展開。入店の行列情報がファンのSNSで次々とアップされ、キャップは早々に完売となっています。

木梨憲武 実家「木梨サイクル」【画像】

ホノルルセンチュリーライドへ向けて始動することを報告。
「木梨サイクル」と「JAL」の企画として参加したようです。このとき、「木梨サイクル」の店内の写真を添えて投稿しました。
「ホノルルセンチュリーライド」とは
初心者やお子様連れのご家族から本格派ライダーまで、どなたでも楽しめるファンライドイベントです。
カピオラニ公園をスタート/フィニッシュとし、マカプウ、ハナウマ湾、マウナルア湾、カネオヘ湾などの美しい海岸線、熱帯植物が茂るコーラウ山裾野など、変化に富んだコースを走り抜けます。

木梨憲武 父は現在「年齢92歳」顔写真を公開

2021年12月21日、木梨憲武さんが自身のインスタグラムを更新。父・作三さんが90歳の誕生日を迎え、親子のツーショット写真を公開しました。

12月20日。
木梨サイクル会長!90歳!
チャリ作三!
私が30年、生きていたら、こんな感じ!
会長とヒップホップはじめます!
チーム名は「KC90・60」
〜商店街の人はだいたい友達!! Peace

文章はまるでラップ調。ノリノリの木梨憲武さんの前で、冷静な表情をしている父・作三さんが印象的です。

「商店街の人はだいたい友達」というフレーズから、木梨憲武さんは「木梨サイクル」の看板息子として愛されていることがわかりますね。

親子の貴重なショットに、フォロワーからたくさんのコメントが寄せられました。

  • パパさん、そっくり‼️パパさん90歳ですか?おめでとう㊗️ パパさん長生きしてください
  • 作三さん。90歳おめでとうございます いつまでも健康でお元気でいらしてくださいませ!
  • 最高に素敵なツーショットですねー
  • 作三さん、久しぶりに拝見しましたが、やっぱり、ノリさん、そっくりですね!

木梨憲武 母が他界~生前葬を考える~

木梨憲武さんの母親は現在他界されています。いつ他界したのか、病名など死因は明かしていません。

過去に出演した旅番組で「伊豆エリアは母の実家があったなじみの土地」と話しているため、木梨憲武さんの母親は静岡県伊豆出身ということは分かっています。

最近母親について触れたのは 2024年1月27日。都内で「みなさんのおかげです 木梨憲武自伝」(小学館)発売記念の取材会を開催し、自身の「最期」について語ったときでした。

「最期」を考え始めたきっかけは、主演ドラマ「春になったら」で “3ヶ月後にこの世を去る父” を演じたこと。さらに木梨憲武さんの母親の葬儀が影響したようです。

「周りも、自分が急にこうなったらどうしようかなと考える年代にきている。(ドラマの設定と同じように)自分も娘がいて。

じゃあ、自分ならどうしようかなと。うちのおふくろのお葬式に行った時も、新しいスタイルないかなと考えたんですが、自分だったら楽しいパーティー形式の葬式になんないかなって。

でも、死んでからパーティーやられても、自分は参加できないじゃないですか。つまり、元気がいい最後の状態の時に、みんなにごあいさつしたい」

引用:2024-01-27「ORICOM NEWS」

木梨憲武さんは生前葬を望んでいるとのこと。

実は、芸能界にはすでに生前葬を行って現在も生きている著名人がたくさん。ビートたけしさん、桑田佳祐さん、テリー伊藤さん、小椋佳さん、カンニング竹山さん、SMAPなどがいます。

木梨憲武さん初の自伝「みなさんのおかげです 木梨憲武自伝」では家族や結婚、とんねるずの結成秘話など人生を振り返る内容も。

そうした考えをまとめていくうちに、「最期」への思いが熱くなったのかもしれません。

人は必ず命尽き果てるもの。思いが詰まったパーティー形式の生前葬、木梨憲武さんの満足いくスタイルが見つかるといいですね。

木梨憲武 兄弟は妹1人

木梨憲武さんの兄弟には妹が1人。実家の「木梨サイクル」については多く語っていますが、妹についてはインタビューやテレビ番組などでほとんど語っていません。

ネット上では、木梨憲武さんの妹の名前が「幸子」で、「結婚して自転車屋に嫁いだ」との情報もありますが、真相は不明です。

木梨憲武さんが妹について触れないのは、「語ることを控えてほしい」という妹さんの意向を汲んでのことかもしれません。

ただ、木梨憲武さんの地元では有名兄弟。

「(ノリさんは) 小学生の頃、商店街主催のボウリング大会で大人顔負けの球を投げていた」と、近所の精肉店の店主も子供の頃から2人をよく見てきました。

木梨憲武さんの妹さんもきっと地元好き。地元を愛する木梨憲武さんをいつも応援していることでしょう。

木梨憲武 母親の知られざる思い「A-Studio+」

2024年2月2日放送のTBS「A-Studio+」に木梨憲武さんが出演。45年超しに亡き母の新事実を知ることになりました。

番組では高校時代にお世話になった御年85歳の恩師、古沼貞雄さんに取材。先生は元帝京高校サッカー部の監督で、全国高校選手権6回、全国高校総体3回制覇の名将です。

木梨憲武:「東京大会の決勝戦に、高校3年のときに出させてもらって…」

以前、久しぶりに他の番組で古沼先生と再会することになった木梨憲武さん。高校時代に選手として試合に出させてもらったことへの感謝を伝えたのだとか。

木梨憲武:「”試合に出させてもらってありがとうございます” って。”俺の個人技ですかね、それで俺を出させてくれたんですか?” って聞いたの。そしたら先生が、”いやぁ~違うよ、おまえのお母さんが一生懸命やったから出してやったんだよ” って。」

木梨憲武さんは母親がどんなふうに一生懸命にやったのか、あやふやのままで知りませんでした。番組では、あらためて古沼先生が母親のエピソードを初告白。

実は高校2年生の時、友人たちと喫煙しているところを古沼先生に見つかり、停学処分になった木梨憲武さん。サッカー部も退部の危機になりました。

木梨憲武さんは母親に気づかれないよう、毎日サッカー部のユニフォームをわざと汚して帰宅。しかし、母親というのはほんの些細な子供の異変に気づくもの。

危機を知った木梨憲武さんの母親は、古沼先生の自宅へ。先生は不在だったため、かわりに古沼先生の奥様に家の前で土下座をしたといいます。

古沼先生は帰宅すると、奥様から「お母さまが来たけれど、ちゃんと助けてあげて」と告げられ、木梨憲武さんの選手としての道を検討。

木梨憲武:「じゃあ…そのあとだね、(自分も) 先生の家に行って “もう1回やらせてください” って言ったの。」

MC 笑福亭鶴瓶:「ほんまに知らんかったの?(先生の家に) お母さん行ったの。」

木梨憲武:「知らない。今初めて知って驚いてるけど。」

MC 笑福亭鶴瓶:「(お母さんの) 墓行ってこい、明日!墓の前で土下座せえ!」

木梨憲武:「墓行ってくる…(手を合わせて) “鶴瓶さんの落語が聞き取りづらい” って。うまく聞こえますようにって…(笑)」

古沼先生によれば、木梨憲武さんに「もういいよ」と伝えているのに、毎年お中元やお歳暮を贈ってくるといいます。

たくさんのサッカー部員を見てきた古沼先生ですが、そうしたことをするのは木梨憲武さんだけなのだとか。

母親の土下座といい、木梨憲武さんの先生に対する贈り物といい、熱意のような何か通ずるものを感じる親子。

“木梨憲武さんのサッカー人生は、母親なしでは語れない!” 衝撃の新事実が明かされた放送回となりました。

家族はもちろん、スタッフなど周囲に対しても愛情深く接する木梨憲武さん。それは、母親が愛情あふれる女性だったからかもしれません。

関連記事:安田成美 & 木梨憲武

◆2024年2月2日放送のTBS「A-Studio+」木梨憲武 番組内容詳細

笑福亭鶴瓶と藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)のダブルMCがゲストの素顔に迫るトーク・バラエティー!!

2人はそれぞれ独自の切り口やテーマをもとに、ゲストの家族や親友など関係者を自ら極秘取材!視点と感性が異なる2つの方向からのアプローチでゲストをさまざまな角度から徹底調査!

知られざるエピソードや、ほかではみられないゲストたちのありのままの素顔を引き出します!

木梨憲武 プロフィール

本名・木梨憲武 (きなし のりたけ)

生年月日・1962年3月9日

出身地・東京都世田谷区千歳台

血液型・O型

身長・178センチ

学歴・世田谷区立塚戸小学校、世田谷区立千歳中学校、帝京高等学校

木梨憲武さんの実家は父親が自転車店「木梨サイクル」を経営。1977年、帝京高校へ入学するとサッカー部に入部し、野球部の同級生である石橋貴明さんと出会います。

高校時代はバラエティ番組「TVジョッキー」の一般参加コーナーに出場し、5代目チャンピオンに。同番組のグランドチャンピオン大会で石橋貴明さんが友情出演し、テレビ初共演を果たしました。

1980年、「お笑いスター誕生!!」にコンビ「貴明&憲武」として出場。途中で「とんねるず」に改名すると10週勝ち抜き、グランプリを獲得しました。

1984年、「オールナイトフジ」に出演すると知名度を上げ、「夕やけニャンニャン」にレギュラー出演して大ブレイク。

その後は単独ライブ「NORITAKE GUIDE LIVE」を開催したり、映画「いぬやしき」で主演を務めています。

2019年、ソロ歌手として音楽活動を開始。自主レーベル「木梨レコード」を立ち上げました。2020年より音楽フェスを開催し、これまでに個展も開いています。

2024年はドラマ「春になったら」に出演し、著書「みなさんのおかげです 木梨憲武自伝」を発売。

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