安田成美 父の介護で別居報道 実家の母は店経営「兄弟と生い立ち」

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安田成美さんの実家での家族構成は父・母・兄・姉・妹の6人家族。両親や兄弟の名前や年齢、職業は公表していないが、実家の両親は「有限会社カトウ」で飲食店を経営していたことがわかっている。

安田成美さんの生い立ちや実家がお金持ちといわれる理由とは…

木梨憲武さんのインスタグラムより

安田成美 実家の家族構成~父・母・兄弟~「生い立ち」

安田成美さんの実家での家族構成は父・母・兄・姉・妹の6人家族。

1966年、東京都大田区大岡山に生まれた安田成美さんは「美しく成るように」という思いが込められ、父親に「成美」と名付けられました。

その後、4歳になると家族で東京・荒川区に移住。幼稚園に入学すると初恋を経験し、その男の子と一緒に仮面ライダーごっこをして遊びました。

そして公立校・第六瑞光小学校に入学。当時は仕切りたがり屋で、学級委員や生徒会長、学芸会の演劇監督を務めています。小学校を卒業すると同時に安田成美さんの地元である東京・文京区へ移住。

公立校の文林中学校に入学し、子供の頃から習っていた習字で校内の書道大会にて毎年入賞しました。また、中学時代は学習塾に通い成績はトップクラス。

そんな安田成美さんの父親はときに厳しく、手をあげて叱ることもあったのだとか。

厳格な父が目を光らす中、もともと女優になる夢を持っていた安田成美さんは中学3年生のときにスカウトされます。

両親の許しを得て、女子美術大学付属高校入学後に「劇団青年座」の養成所に所属。高校2年生のとき、約7,500人の中から映画「風の谷のナウシカ」のイメージガールに抜擢されました。

歌手デビューするなど仕事量が急激に増え、学業との両立が難しくなり高校を中退。

しかし当初から大学進学を考えていたため、高校中退後も大検合格を目指して勉強を続けていました。

その後、私立大の明治学院大学に合格。入学したものの若手女優として人気が上昇し、CMやドラマに引っ張りだこ。通学する時間が無くなっていき、最終的には大学2年生のときに中退しています。

19歳のときには木梨憲武さんとの交際をスタートさせましたが、父親が大反対。結婚の許可を得るのに7年もかかったとのこと。その後、安田成美さんは28歳だった1994年に入籍しています。

安田成美 実家がお金持ちといわれる理由

安田成美さんの実家は「お金持ち」といわれています。その理由は次のようなことから。

  • 父親が民団の幹部との噂
  • 両親は都内でレストラン経営や不動産業を営んでいた

父親が民団の幹部であるかは噂止まりですが、実際に安田成美さんの両親は「有限会社カトウ」を経営しており、麻雀荘や喫茶店、不動産などを運営していました。

その後、安田成美さんの父親が心臓病を患ってしまったため、2000年頃にはレストランなどをすべて閉鎖しています。

飲食店を経営する方の年収は平均より高いため、安田成美さんの実家はお金持ちといわれているのでしょう。

◆飲食店経営者の年収

『日経レストラン』の調査によると、飲食店経営者の平均年収は627万円だという。これは国税庁が発表した「令和3年分民間給与実態統計調査」で明らかになった給与所得者の一人当たりの平均給与443万円と比べても随分と高い数字だ。

引用:2023年01月23日 「飲食店ドットコム」

また、不動産の年収もIT企業や医薬品企業など他の業界の中では高収入となっています。

不動産経営者の年収

「不動産・戸建て・マンション」業界の平均年収は第5位の822万円となっており、全業界平均の662万円を大きく超える額となっています。

引用:2023-11-13「キャリアトラス」

こうしたことから、安田成美さんの実家はお金持ちといわれているようです。

安田成美 父親~名前・年齢・職業~

安田成美さんは父親の名前や年齢、職業はもちろん、親子エピソードもほとんど明かしていません

ただ、安田成美さんの父親が在日韓国人で「朝鮮総連」や「韓国民団」などの上層部という情報だけが出回っています。

これは安田成美さんの本名が『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(朴一、講談社、2011)によって、「韓国籍の在日コリアンである安田(本名、鄭成美)」と公開されたため。

また、木梨憲武さんとの結婚式に安田成美さんが韓国の正装「チマチョゴリ」を身にまとったため噂になったようです。

安田成美さんは自ら在日韓国人だと明かしたわけではありませんが、ネット上では本名が「木梨成美」以外にもうひとつ、「鄭成美(チョン・ソンミ)」であったことでも知られています。

2人の結婚式は取材陣をシャットアウトする極秘挙式。様々な憶測を呼んでしまったようです。

そんな安田成美さんの父親は脳こうそくを患い、2012年10月に帰らぬ人となりました。

安田成美 母親~名前・年齢・職業~

安田成美さんは母親とのエピソードについて語っておらず、名前や年齢、職業なども一切公表されていません。ですが親子というものは年を重ねると似てくるもの。

子供3人の母親となった安田成美さんの生活ぶりを見れば、実母がどのような女性だったのか想像できます。

2024年2月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」では安田成美さんが出演し、子育てエピソードを語りました。

子供3人、長男28歳、次男24歳、長女も20歳になり、子育てもひと段落。家族そろっての夕食の時間はなかなか持てないのだとか。

安田成美:「 (夫婦) 2人だけのときもあるし、長男が帰ってきたときは3人だし、いろいろ、バラバラで…」

ひとり時間が増えた安田成美さんは今、手芸やお習字に没頭。番組では木梨憲武さんのために作った赤いレース編みの帽子や、娘さんからリクエストされたというグラニースクエアの帽子を披露。

また、ネコ耳の白い帽子をかぶった娘さんの写真が公開されました。

安田成美:「 (娘は) 憲武さんに似てるっていうと怒るんです (笑)」

安田成美さんの子供たちへの愛情は想像以上。手間を惜しまず家族に尽くしているようです。このあと、20歳のときに出演した映像が流れ、母親について語っていたことがわかりました。

安田成美:「(小さい頃は) 母が見えないと泣いていたんですよ。寝る前は “もう、お母さんはどこにも出かけないんだな~” って安心していたんです。」

ママっ子だった安田成美さん。母親がいないという寂しさから、いつもコタツの中で泣いていたのだとか。

そうした経験があるからこそ我が子といつも一緒に過ごし、思いきり愛情を注いでいたのかもしれません。

2024年2月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」安田成美 番組内容詳細

木梨憲武さんと結婚30年になる女優・安田成美さんがゲスト。3人の子どもは全員20代になり、自分の時間は趣味を楽しんでいる安田さん。スタジオでは、夫と娘に作った手編み作品のほか、習字も披露。

娘はどちらかというと夫の性格に似ていて相性がいい。昨年、夫と娘と3人で行ったハワイ旅行では、娘の思わぬ行動に半ベソ状態だったそう。

現在、歌手・俳優・アーティスト活動と多方面で活躍している夫の木梨さん、家での立ち位置は時代によって変化している。

子どもが小さい頃は一緒に遊ぶ「高校生の兄貴」、最近は一番下の「末っ子」になった。今日は、家族で行った外食の話や夫婦2人になった時の“理想の暮らし”なども語る。

◆マイナビニュース公式 X (旧:Twitter)より

安田成美 兄弟は兄・姉・妹~名前・年齢・職業~

安田成美さんは4人兄弟。兄や姉、妹の名前や職業はもちろん、兄弟エピソードを明かしていませんが、年齢は兄が2歳上、姉が1歳上、妹が4歳下ということがわかっています

  • 兄:59歳
  • 姉:58歳
  • 妹:53歳

※ 2024年2月時点

2020年3月11日、「ハルメク365」が安田成美さんにインタビュー。父親が厳格な安田家、堅実な気質家系が伝わるものとなっています。

私は一度決めたらやり遂げないと気が済まない性格のようで、どんなに肉体的にしんどくなってもやりきってきました。

スケジュールを見て「これなら、お弁当と朝食を作った後、お夕飯の支度も済ませて仕事に行くことができる」と自分で計算をして行動しています。

子どもたちには、私が家にいられなくて寂しい思いをさせちゃうかもしれないけど、お腹すいたのに食事がないなどの不自由な思いは絶対にさせたくないので、そこはきちんと守って両立させています。

引用:2020-03-11「ハルメク365」

安田成美さんの兄弟も同様に責任感あるタイプではないでしょうか。

安田成美 別居報道の真相は父の介護

安田成美さんと木梨憲武さんに別居報道が出たのは2012年6月。離婚秒読みと言われていました。しかし、別居生活を送っていたのは父親の介護が理由。

2012年11月27日、「女性自身」が当時の夫婦生活を伝えています。

2011年の秋、安田成美さんの父親が脳こうそくで倒れ、車イス生活に。10年ほど前にも心臓病で入院していたことから、“今回は助からない” と覚悟したそうです。

泣きながら木梨憲武さんと話し合いを重ね、実家に戻って介護に専念することにした安田成美さん。

当時、安田成美さんは映画「任侠ヘルパー」で車椅子の母親を介護する役を演じていました。このあと舞台公演も控えており、超多忙。

父親を気にかけながらも周りには一切つらい表情を見せなかったといいます。そんな中、6月に「木梨 ひとり 超高級ホテル生活」と題して別居報道。

別居を疑われてしまったのは、父親の介護施設を探すことに忙しかったためでした。

「実は、安田さんは過密なスケジュールの合い間を縫っては、木梨さんと都内の介護施設を探していたんです。

両親がマンションに引っ越したとはいえ、この先、母親1人で父親の介護をするのは無理があります。

そこで、安田さんは実際に自分の目で見て納得できる施設を探そうと、何カ所も介護施設を見学して回ったそうです」(前出の知人)

引用:2012年11月27日「女性自身」

10月になり、ようやく良い施設が見つかるも父親の容体が急変し、同月に他界されています。

この介護を通じて夫婦の絆が深まったという2人ですが、実は過去に、本当に別居危機があったと告白。

2024年1月27日、木梨憲武さんが初の自伝「みなさんのおかげです 木梨憲武自伝」の取材会に登場し、詳細を語りました。

木梨憲武:「(なるさんから)強く詰められたわけではないですけど、なんとなく穏やかな生活の中で、きっと私の行動に問題があったのでしょう。内容はわからないのですが、深く反省しております。」

人気で多忙の頃は、番組の収録が終わるとお酒を飲んで遊び歩いていたという木梨憲武さん。そうした飲みの席では番組の新しいコーナーも生まれていたのだとか。

木梨憲武:「なかなか(なるさんと)会うタイミングがないときだったかもしれないのですが…。実はそれだけじゃないのかもしれないな。」

安田成美さんから深い原因は聞かなかったそうですが、険悪ムードが続いた時期があったようです。

木梨憲武:「(なるさんが)なんか言ってるんですけど…入ってこないようにしてるんです (苦笑)」

安田成美 両親や兄弟と暮らした実家の場所

安田成美さんは中学入学と同時に家族で東京・文京区に移住し、出身地は文京区。

出身中学校が東京都文京区内の公立校「文林中学校」だったことから、安田成美さんの地元は通学範囲である千駄木付近といえます

千駄木には昔ながらの商店街や神社など、下町の風情が色濃く残されており、地元を挙げてのお祭りも盛んに開催。

東京23区の中で最も犯罪件数が低く、千駄木は治安の良さも魅力です。安田成美さんはそんな古き良き文化を大切にしている落ち着いた街、千駄木で育ちました。

文林中学校出身で千駄木を地元として過ごした有名人には、ほかに元競泳選手の北島康介さんやラグビー選手の松島幸太朗さんも。

実家の街並み、父親の厳格な人柄、母親としての安田成美さんを見ると育ちの良さを感じますね。今後も応援したい女優さんのひとりです。

グーグルマップ「東京都文京区・文林中学校」

◆関連記事:安田成美 & 木梨憲武

安田成美 プロフィール

本名・木梨成美 (きなし なるみ) ※旧姓:安田

生年月日・1966年11月28日

出身地・東京都文京区

血液型・B型

身長・168センチ

学歴・文林中学校卒業、女子美術大学付属高校中退、明治学院大学中退

中学3年生のときにスカウトされ、1981年にCM「花王ビオレ」でデビュー。翌年16歳のときにドラマ「ホーム・スイート・ホーム」でドラマ初出演を果たします

1983年、「風の谷のナウシカ」のアニメ映画化にあたり募集されたイメージガールのオーディションで約7500人の中からグランプリを獲得。

1984年、同映画のイメージソング「風の谷のナウシカ」で歌手デビューしました。

1989年には主演ドラマ「同・級・生」で大ブレイク。以降も「ヴァンサンカン・結婚」や「素顔のままで」などの主演作がヒットしています。

1994年、映画「そろばんずく」の共演をきっかけに「とんねるず」の木梨憲武さんと結婚。2004年頃からは東京・麻布にて、夫婦で「3116GALLERY CAFE」というカフェを経営。

2023年はNHK Eテレ「地球ドラマチック」のナレーターとして活動し、2024年はシングル「風の谷のナウシカ (2024 ver.)」を細野晴臣さんがプロデュースし、リメイクされリリースしています。

◆「木梨サイクル」公式 X (旧:Twitter)より

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