中田英寿 韮崎高校時代から驚異の原動力!「ヨーロッパでやりたい…」

 

中田英寿さんは現在、日本酒を世界に広めるため、“JAPAN CRAFT SAKE COMPANY”という会社を立ち上げ活動しています。日本のサッカーを世界に広めた先駆者。

すでに高校時代から世界の自分を見据えていました!TBS「バース・デイ」では中田英寿さんを特集。

プロフィール


本名・中田 英寿(なかた ひでとし)

生年月日・1977年1月22日

出身地・山梨県甲府市

血液型・O型

身長・175cm

学歴・韮崎高校卒業

8歳の時に兄の影響で、サッカー少年団に入りました。中学生の時には、U-15(15歳以下日本代表)に選抜。フィジカル面が評価され、世界大会などは全て飛び級で出場する才能の持ち主!

17 歳・高校時代


山梨県の韮崎高校に通う中田英寿さん。他の高校生よりズバ抜けた目標を持っていました。

「海外のサッカーは日本と比べても数段うまい所があったりするから、できればヨーロッパとか行ってやりたい気持ちはありました」

当時は、海外選手となることはありえない状況でした。ようやくJリーグができたばかり。海外を視野に入れている高校生などいなかったでしょう。サッカーの未来を見据えて計画もしっかり立てていたようです。

“U-17・U-19 の代表入り、アトランタ五輪出場”

この目標を見事にクリア。ヨーロッパ遠征を経験したことで、世界への思いはより強まったんだとか。

19 歳・スーパーゴールの数々

「オリンピックへ、アジアで勝ち取って出てもボロ負けしたら意味はない。自分を世界の場でアピールするチャンス」

10代から強い気持ちと自信があったのですね。世界を夢見ることで自分を奮い立たせ、スーパーゴールは生まれ続けました。

21 歳・日本サッカーの司令塔

21歳になった中田英寿さんは、日本サッカーの司令塔。1998年6月、W杯の初出場に導きました。そして1998年7月にはイタリアのセリアAに移籍。海外での挑戦を試みます。

このあと、続々と日本サッカー選手は海外で活躍するために移籍。

中田英寿さんは日本選手が世界で活躍できるよう、道を切り開いた先駆者となりました。もし一番乗りの中田英寿さんが本場ヨーロッパで活躍できていなければ日本人の海外移籍はここまでなかったかもしれません。

引退後に世界を旅する中で見つけた、「日本酒」の世界。現在もなお、チャレンジし続ける中田英寿さんは永遠のスーパースターですね。

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