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氷上のプリンス、羽生結弦さん。
プーさんを抱きながら見せる笑顔は
かわいいですね。
一方で、試合では真剣な眼差し。
カッコいい!
そのギャップに、
女性ファンはメロメロですよね。
そんな羽生選手の子供時代から、
現在までの成長ぶりを
いいとこ取りでピックアップします!
Contents
小学6年生
当時11歳、可愛らしい口調で
こんな事を言っていました。
出典:フジテレビ「平成スポーツ命場面SP」
「幼稚園の頃からずっと遊べないんで」
「でも一番スケートが楽しいと思うから、
だからオレはそれでもいいかな」
みんなに綺麗なところを
見てもらいたいと話していました。
遊びたい気持ちもあるけど、
スケートへの向上心が
この頃から強かったようですよ。
「学校では、みんなを笑わせるおチャラけキャラだそうです」
照れくさそうに話す姿。
みんなを気づかう明るい性格は、
今でも健在ですね^^
中学時代
中学生になると、グッとお兄さんに。
世界ジュニア選手権に出場したため、
卒業式はたった一人で
別の日に行いました。
出典:フジテレビ「平成スポーツ命場面SP」
「中学生活が終わり、いよいよ高校生になるんだなと。
また新たに頑張っていこうと思いました」
そんな決意をして、
高校生になった2011年、東日本大震災が起こります。
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高校時代
2011年3月11日、東日本大震災。
この時、仙台のホームリンク「アイスリンク仙台」で
練習中だった羽生結弦さん。
一般の方もリンクで滑っていたため、
一緒に避難しました。
この経験から、
"地元、宮城のために金メダルを取る"と決意。
ホームをカナダに移し、
猛練習を積み重ねます。
「本当は仙台に残っていたかった」
被災した方たちを"置き去りにしてしまう"
という感情からの言葉。
さぞかし複雑だったでしょうね。
出典:Wikipedia
初出場で、銅メダルを獲得します。
高校卒業後から現在
2014年、19歳でのことでした。
ソチ五輪で金メダル!
日本男子、初の金メダル。
「震災の後にスケートができず、やめようと思った」
「生活することすら精一杯でギリギリの状態だった」
精神的に追い込まれた状態での快挙。
本当に素晴らしいですよね。
出典:フジテレビ「平成スポーツ命場面SP」
その後、
2015年のGPファイナルでは、
さらに世界記録を塗り替えて男子初の3連覇を達成。
史上初の300点超えを出しました。
そしてこのまま、
平昌オリンピックを狙おうとしていた矢先のこと。
2017年11月、練習中に右足首じんたい損傷。
五輪出場まで、あと3か月の出来事でした。
しかし2018年、平昌オリンピックに出場!
66年ぶりの連覇を達成しました!!
出典:フジテレビ「平成スポーツ命場面SP」
フリーの演目、「SEIMEI」は力強く
羽生選手の成長ぶりを感じさせましたね。
大きなプレッシャーもある中、
堂々とした演技でした。
被災者含め、日本中が心奪われ
感動をもらいました。
羽生結弦選手の生き様は、
たくさんの人に勇気と希望を与えていますね。
今後、ファンとしても精一杯、
選手生活を応援したいですね。
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