諸星和己 アイドル時代はローラースケートでバク転して歌唱


今までのジャニーズの中でも、トップクラスの7人組アイドルグループ「光GENJI」。

中でも飛びぬけて人気だったのが諸星和己さん(43)です。どんな人気ぶりだったか、若い世代は知らない方が多いのでは!?たまにバラエティーに登場し、過去の栄光を披露する諸星和己さん。

若い世代の方から、昔ファンだった方に向けて現在の様子をお伝えしたいと思います!

経   歴


諸星和己さんのご両親は、10代の頃に離婚されています。そんな諸星和己さんは中1の夏休みに、家出をして上京。

そして原宿駅前で、ジャニー喜多川さんに直接スカウトされました。とってもラッキーですよね。そしてかなりイケメンだったのでしょう。1987年に光GENJIとしてレコードデビュー。

諸星和己さんの愛称は「かーくん」でした。1995年に光GENJIは解散し、それと同時に諸星和己さんは個人事務所を設立。ジャーニーズを辞めています。

以後、渡米して一人の時間を過ごします。そしてセルフプロデュースでCDを発売したり、グリーンカードやダイエットマスターの資格を取得。

2007年、つんくプロデュースの歌「なぁ」はヒットしました。週間オリコンチャート1位に!現在は、アメリカで歌手活動し、たまにバラエティーに出演。商業プロモーションも手掛けたりしているようですね。

アイドル時代は?


光GENJIといえば、ローラースケートでバク転して歌う姿は有名です。これでローラースケートが小学生に広まり、流行りました。

でも諸星和己さんは、ローラースケートでケガをして松葉づえ姿で歌っていることが多かったです。出すたびに歌がヒットし、「パラダイス銀河」という曲で第30回の日本レコード大賞を獲得。

アラフォー世代の人は、みんな口づさめるほどでは!?

バレンタインには、10tトラックに40台分のチョコレートが届いたとか。8割以上が諸星和己さん宛て! みんなあの笑顔にメロメロでした。

ちなみに2011年のバレンタインチョコは、37個だったそうです。光GENJIは、短い期間だったけど爆発的人気だったのです。

爆発的人気で、ファンに夢を与えた諸星和己さん。

東日本大震災復興支援で、元光GENJIメンバーの佐藤寛之さんと、山本淳一さんでチャリティーイベントに参加。好感が持てる姿もありました。

これからも活躍の場を広めていってほしいですね。

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