松島トモ子さんには現在まで結婚歴はなく夫 (配偶者)や子供はいない。テレビ朝日「徹子の部屋」では松島トモ子さんが結婚して夫を持たない原因を告白した。
それは松島トモ子さんの母親が関係。松島トモ子さんの父親や母親、兄弟など実家家族とは…
◆「松島トモ子 STAFF INFO」公式 X (旧:Twitter) より
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松島トモ子 父と母の結婚~家族構成・兄弟など~
松島トモ子さんの実家での家族構成は、父親と母親、兄弟はおらず3人家族でした。
松島トモ子さんの父親の職業は三井物産に勤務する会社員。母親は志奈枝 (しなえ)さんといい、しっかり者の女性です。
両親が結婚し、第一子となる松島トモ子さんを授かったときは戦時中。父親は松島トモ子さんが生まれる2ヵ月前、現地召集を受けてシベリアにて捕虜になってしまいます。
「必ず帰って来る」と言って家をあとにした松島トモ子さんの父親。死因は不明ですがシベリア抑留中に帰らぬ人となりました。それは母・志奈枝さんと結婚して半年後のこと。
松島トモ子さんは終戦の年、「旧満州奉天(現:中国瀋陽市)」の満鉄の病院にて誕生。以後、母・志奈枝さんは女手一つで松島トモ子さんを育て上げました。
当時25歳の母・志奈枝さんは、まだ生後10か月の松島トモ子さんを戦後の苦境にもかかわらず、笑顔と子守唄で愛情を精一杯に与えてくれたといいます。
幼少期の松島トモ子さんは栄養が足りず病弱な子。母・志奈枝さんは、もともと音楽やダンスが好きだった松島トモ子さんをダンススタジオに連れて行きました。
すると驚くほどの早さで上達し、松島トモ子さんは3才半で初舞台を踏むことに。可愛らしい女の子が見事に踊る姿は、日比谷公会堂の観客をどよめかせました。
噂が広がり、“小さな豆バレリーナ” として全国の映画館で紹介されると、映画のオファーが舞い込んできたそうです。
母・志奈枝さんが娘の才能を早くに見出したことで、松島トモ子さんはトップ女優となりました。
亡き夫を思い続け再婚もせず、母・志奈枝さんは「女優・松島トモ子」に生涯尽力を注いでいます。
週刊文春2月28日号「新家の履歴書」松島トモ子(女優・歌手)は昭和20年7月、満洲国の奉天(現瀋陽)生まれ。
母に抱かれて引き揚げ船に乗り、翌年6月やっと日本へたどり着き、東京・目黒の母の実家に。母の父、つまりトモ子の祖父は松島博二(広島県出身―拓大13期、もと三井物産香港支店長)だ。
松島トモ子本人が「祖父は拓大でスポーツマンでした。相撲が強かったそうです」と百年史編纂室あて手紙を寄せてきたこともある。(宮澤)
松島トモ子 結婚せず夫や子供がいない原因は母親?
2021年3月3日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した松島トモ子さん。母親が選んでくれたという素敵な着物で登場しました。
さらにスタジオには祖母が買ってくれたという “ひな飾り” が飾られ、華やかな雰囲気に。思い出の品であるこの “ひな飾り”を今まで大切に保管してきたとのこと。
当初はお内裏様 (おだいりさま)とお雛様だけだったようですが、母親が毎年かざり物や五人ばやしなどを買い足し、増やしてくれたといいます。
松島トモ子さんは、全部そろえば結婚できると思っていたのだとか。
昔は女の子にとって最高の幸せは「結婚すること」と言われていました。「将来、幸せな結婚ができますように」という願いを込め毎年飾られます。
ただ、松島トモ子さんのひな人形は三人官女だけがいない状態。
松島トモ子:「なぜか (母は) 三人官女だけをそろえなかったんですよね。」
2段目の三人官女は、“結婚式の証人” を意味していますが…これをそろえなかったことで、結婚から縁遠くなってしまった!?
母親は松島トモ子さんの子役時代からマネージャーを務めていました。親子一緒にいられるからとマネージャーの仕事を引き受けたといいます。
松島トモ子さんのために運転免許も取得。ドライバーとしてもサポートしていたとのこと。娘を人一倍かわいく思い、大切にしていたのかもしれませんね。
松島トモ子 結婚に影響?ライオン事故
高校時代にアメリカ留学から帰国すると、たくさんのオファーが舞い込んだ松島トモ子さん。“かわいいトモ子ちゃん”を求められ、やりたい仕事ができず、ギャップを感じてうつ病のような状態に。
そんな中、語学力を生かした海外レポーターの仕事を見つけます。
1986年、テレビ番組の仕事でケニアへ。ナイロビのコラ動物保護区でラクダの肉で餌付けされ、人に慣れた7頭のメスライオンの群れと接触しました。
子ライオンと戯れていると…
パッチリした目の松島トモ子さん、ライオンにとって大きな眼球が脅威に感じたようで、母親のライオンが噛みついたといいます。
そしてさらに、その10日後にはヒョウに襲われるという衝撃のアクシデント。
保護されているメスヒョウをスタッフと共に見に行った松島トモ子さん。突然背後から襲われ、首の骨の “ガリッ”っという音が聞こえたとのこと。
第四頚椎粉砕骨折と診断され、少し違えば死も。
ヒョウに噛まれた原因は、松島トモ子さんが保護区のスタッフと仲良くしていたことで、ヒョウに嫉妬心が起きたからのようです。
松島トモ子:「あぁもうだめだと……。ライオンに襲われた時は、日本で報道される前に母に伝えないと心配すると思ってね。母は取り乱したりせずに冷静に受け止めてくれましたね。」
子役時代から活躍を見守ってきてくれた母親、志奈枝さんのことを一番に気にかけたようです。
うつ状態になったり、ライオンの事故が起こるなど波乱の人生。結婚のタイミングを逃してしまったのかもしれません。
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松島トモ子 結婚せず母との介護生活
2016年、松島トモ子さんは母親の志奈枝さんと一緒に「徹子の部屋」へ出演したこともありました。
しかしこの出演直後、母親が見る見る重度の認知症になっていったといいます。見えない物が見えたり、非常に凶暴になってしまったとのこと。
発症から約半年後、レビー小体型認知症と診断され要介護5に。
2021年3月3日放送の「徹子の部屋」では、2月に100歳を迎えた母親との介護生活を明かしています。
松島トモ子:「“ママおめでとう。100歳でございます。ご感想は?” って言ったら、“絶好のお日和でございますこと” って言って(笑)」
国から銀杯が贈られたといいます。自宅で肉料理やお刺身、シャンパンで乾杯。ワインをおかわりしたり、霜降り牛肉を食べたいと母親に要求されることもあるのだとか。
松島トモ子:「もう、やってられないと思いながら(笑) どっかで猫を何枚もかぶってたのかな~(笑)」
母親の志奈枝さんは昔は上品なレディー。最近では「腹減った~」と言うこともあるようです。数年前には驚くような出来事も。
松島トモ子:「私につかみかかって首を絞めようとしたりね、ある日は包丁を持って私を追っかけてくるんですよ。“一緒に死にましょう” って。」
病気とはいえ、実母のこの行動はショックだったでしょうね。もし母親に刺されて死んだら、翌日の新聞記事に載るんじゃないかと心配したのだとか。
松島トモ子:「“ライオンとヒョウに襲われた松島トモ子!今度は実母に襲われる!!” とかっていうね。」
こうした経験をしても、しばらくは「母親を病気と信じたくない」「認められない」と受け入れられなかったといいます。現実を理解しなければと、壮絶な介護生活を送っていました。
松島トモ子 結婚し夫よりも母「今は天使」
介護を頑張る前向きな松島トモ子さん。「徹子の部屋」では本音を漏らすこともありました。
松島トモ子:「できれば、(母親の) 息が止まっていてくれればいいなと思ったことは、1度や2度ではないです。」
それほど過酷な介護生活を送っていたのですね。
松島トモ子:「(介護してると) 母が毎日、石のように重くなってくの。っていうのも、私が年取ってるのね。」
しかし、いいものを発見したのだとか。
松島トモ子:「あのね、訪問入浴サービス。」
母親の部屋にバスタブを入れ、看護師やヘルパーが入浴させてくれるそうで、とても楽になったといいます。松島トモ子さんは今回のこの介護生活を著書にされました。
「老老介護の幸せ」(飛鳥新社)
朝5時に起床し母親のオムツ交換。ハードな介護生活の中で書き物の仕事はできるのか不安もあったようですが、 “少しの時間でも母親から逃れられる” との思いから取り組んだようです。
介護生活を振り返り、泣いたり、笑ったりしながら書いたとのこと。当初は著書のタイトルに「老老介護の地獄」や「老老介護の残酷」と付けようと思っていたといいます。
しかし先方の出版社に “それじゃ誰も買ってくれないですよ” と言われ、「幸せ」にしたのだとか。
松島トモ子:「冗談じゃない。“私、不幸です” って言ったの (笑)」
「でもね今、(介護生活が) 5年たったんですよ。そしたら本当にね、“老老介護の幸せ” って思えるようになりました。母は天使。可愛いの。」
子役から活躍できたのは、マネージャーでもある母親・志奈枝さんのサポートがあったから。松島トモ子さんはこれ以上にない親孝行をしていたのでした。
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松島トモ子 結婚し夫を持たず闘病を優先
2021年10月6日、松島トモ子さんが自身の公式ブログ「ライオンの餌」にて、母・志奈枝さんが亡くなったことを明かしました。死因は老衰。素敵な親子関係が伝えられていたので、当時は悲しみが広がりました。
「100歳の母が10月4日に亡くなりました」
2023年6月6日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」では、松島トモ子さんが母・志奈枝さんの他界後の生活を告白。
77歳という年齢で、住み慣れた一戸建てからマンションへ引っ越したことを明かしています。
新居のマンションを探すだけでも一苦労。自宅にある大荷物の整理はとても大変だったといいます。
さらに、長年悩まされていた形性股関節症の手術を2022年に決意。今ではすっかり快適になったとのこと。
母・志奈枝さんの最期をみとり、自由時間が増えたことで、両足に人工股関節を入れる手術に踏み切ったのだとか。手術後は階段をすんなり上ったり下りたり、走ることもできるように。
今まで母・志奈枝さんの介護を献身的に行った松島トモ子さん。今後は自分のために、楽しく素敵な時間を過ごしてほしいですね。
松島トモ子 プロフィール
本名・松島 奉子 (まつしま ともこ)
生年月日・1945年7月10日
出身地・満州国奉天
血液型・A型
身長・155cm
学歴・目黒区立東根小学校、ザ・マスターズ・ハイスクール
生後すぐに終戦となり日本に引き揚げ、東京都目黒区で育ちました。3歳からバレエを開始。映画館の劇場ニュースで、通っていたバレエ研究所が取り上げられ、その映像を見た阪東妻三郎さんにスカウトされます。
松島トモ子さんは子役時代から大活躍。1949年に芸能界デビューし、映画「獅子の罠」に出演しました。
1953年、楽曲「村の駅長さん」で歌手デビューを果たし、人気雑誌「平凡」でグラビア活動したことも。
大東学園高校在学中にミュージカルを学ぶためアメリカへ留学。帰国後も数々のオファーが来る人気者でした。
「ひょっこりひょうたん島」の声優を務め、石垣食品「ミネラル麦茶」のコマーシャルは幅広い世代から注目を集めています。
2024年、黒柳徹子さん司会の長寿番組、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演。