畑正憲ムツゴロウ 妻・純子 馴れ初め「僕が死んだら」現在もカップ麺~娘や孫と~

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ムツゴロウこと畑正憲さんが享年87歳で死去。2018年6月18日放送の日テレ「有吉ゼミ」に出演した際、私生活を告白。

中学時代に知り合った妻・純子さんとは23歳の時に結婚。子供が1人誕生し、孫がバレエダンサーとして世界第2位を獲得している。

毎晩かならず行っていたこととは…

【 株式会社マイナビ出版の将棋「将棋情報局編集部」公式Twitterより 】

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子 馴れ初め「ボロ屋3畳一間」

畑正憲さんは5人兄弟の3番目。一番上と一番下の兄弟が戦死したといいます。戦争中だった子供の頃、医者の父に連れられて満州に移り住むと、キジやハト、魚を捕らえ食していたのだとか。これが動物との初めての出会いでした。

その後、日本の幼年学校に通うため小学2年生の時に父親と日本に戻ります。戦争が終わると、男女共学がスタート。当時、中学生同士の恋愛は禁止されていましたが、畑正憲さんは好きな女性と相思相愛になり、中学2年生の時から愛を育みました。

その女性こそ現在の妻・純子 (じゅんこ)さんです。畑正憲さんは恋愛をする中、同時に勉学に励み、太田県立日田高校から東京大学理学部に入学。

当時のデートの様子を妻・純子さんがこのように話しています。

妻・純子:「(デートは) ほとんど図書室か、その勉強部屋だったかな。ムツさんが大学に行ってからでも、そんなに大っぴらに会うことがなかったのよ。たまに本屋さんで待ち合わせして会ったりね。」

畑正憲さんは大学を卒業した直後、23歳の時に入籍しました。戦争を経て日本の将来がまだ見えない中での結婚。畑正憲さんは家庭教師と塾のアルバイトをかけもちして家計を支えます。

その暮らしぶりは大変貧しく、妻・純子さんとの新婚生活は池袋にある家賃三千円の3畳一間のボロアパート。ちゃぶ台さえも置けず、段ボール箱をテーブル代わりにしていたのだそう。

妻・純子:「2人で一緒に生活できるだけで幸せです。」

まだ稼ぎの少ない時に結婚を決意しましたが、これには理由があったようです。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子と大学卒業直後に結婚した理由

大学を卒業してすぐに結婚へ踏み切った理由は、満州時代からの経験が大きかったから。戦時中の何ひとつ頼るすべが無い時代、どさくさ紛れに生きるという自信だけは強かったのだとか。

「1つの物をひとりで食べるのも、ふたりで食べるのも変わらない」

将来への金銭の組み立ても一切考えず、行き当たりばったりで過ごしていたとのこと。そして、もう一人の理由は、妻・純子さんの大病。
畑正憲さんがちょうど大学に入学した頃に大病を患ってしまったといいます。2年半ほどサナトリウム(療養所)に入るという闘病生活があったのだとか。

こうした体調を心配し、畑正憲さんは妻・純子さんがパートに出ることをとめたこともありました。妻・純子さんに対しては大病を患ったからこそ、愛おしいという気持ちが強いようです。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子の結核「僕が死んだら…」

妻・純子さんの大病の病名は結核。昔から結核は不治の病とされていましたが、畑正憲さんは「絶対に治る」と信じて妻・純子さんを待ち続けました。

その思いは2年半にも渡りましたが、妻・純子さんは奇跡的に回復。その後、妻・純子さんは畑正憲さんと一緒に暮らすため上京します。

妻・純子:「2人で一緒に生活できるだけで幸せです。(アパートは) 共同お炊事、共同トイレ、みたいなところ。」

この言葉は、妻・純子さんの畑正憲さんに対する深い愛そのもの。たとえ三畳一間のアパートでも、2人は幸せだったのでしょう。

妻・純子さんの「死」は畑正憲さんにとって恐怖。「もし自分が死んでしまったら、妻に同じ思いをさせてしまう」と、生き抜く気持ちは人一倍強かったようです。

過去に事故で指先を失った畑正憲さん。字や絵を書くのに不便ではなかったそうですが、右手のリハビリのため思い切ってニュージーランドへ行ったのだとか。

現地の人たちは家族で長い休みをとる習慣があり、テレビや新聞、ラジオもない山や海で過ごすといいます。そんな旅が生き抜く力を与えてくれたそう。

妻・純子さんを守るため、現代を生き抜くために必要だと感じた北海道への移住を決意しました。

畑正憲:「都会での人の生活は変質してしまっている。人として生きる基礎になる力が失われている気がする。」

結婚後、畑正憲さんの実家にて両家で会食。後に畑正憲さんは子供が誕生することから、しっかりした企業に勤めなければと出版会社「学研」に就職します。

ある程度の稼ぎを得た36歳の時、動物との共存を求めて北海道へ妻・純子さんと子供と共に移住しました。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子との結婚生活~北海道へ移住~

畑正憲さんは誰もいないような土地が好きで、娘が誕生すると毎年夏に2週間ほど家族旅行で北海道のスキー場へ行っていたのだとか。

そんなある年、3歳の娘さんが北海道の山道で虫に刺されてしまい、「娘は日頃自然と触れ合うことなく生活してる」と考えさせられ、畑正憲さんは今の生活の変化を決意。

「自然を浴びて生活しないと心が育たない…」

そして36歳だった1971年に北海道へ移住。翌年、東京ドーム14個分の土地を購入し、「ムツゴロウ動物王国」を立ち上げます。妻・純子さんと共に、日本古来の道産馬などを繁殖させていく計画を立てました。

それがいつのまにか、犬、猫、牛、ニワトリなどの動物がどんどん増えていったのだとか。気がつけば500匹以上の動物と40人のスタッフに囲まれ、共同生活を送ることになったようです。

出版社「学研」に勤めていた頃は手取り10万円ほど。しかし執筆の仕事が次々と舞い込んできて、資金繰りには困らなかったそう。妻・純子さんと娘さんの生計を支えることもできたのです。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子との子供は何人いるのか

畑正憲さんと妻・純子さんの間には子供 (長女) が1人誕生しています。名前は津山明日美さんといい、現在の職業は北海道東部の中標津町にある「ムツ牧場」の経営。

津山明日美さんは学生生活が終了すると畑正憲さんが営む「ムツゴロウ動物王国」で働き始めました。2004年に開園した東京・あきる野市の「東京ムツゴロウ動物王国」もサポート。

その後、「東京ムツゴロウ動物王国」はスポンサー企業の経営が破綻して客足も伸びなかったため、2007年に閉園してしまいます。

「東京ムツゴロウ動物王国」の動物たちやスタッフすべてが北海道に戻り、畑正憲さんは借金3億円を背負いました。この苦悩を娘の津山明日美さんも乗り越えています。

その後、「ムツゴロウ動物王国」が「ムツ牧場」へと縮小すると、津山明日美さんは結婚した夫と共に「ムツ牧場」の運営を担当。高齢になった畑正憲さんを最期まで支え続けました。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子との子供~親子エピソード~

津山明日美さんは幼少期に親子3人で神奈川県の横浜で暮らしていました。当時、生き物を大切する気持ちが強く、魚が食べられなかったといいます。

ある日の食事中、「かわいそうで食べられない」と告げると、畑正憲さんは魚嫌いを克服すべく家族全員での無人島移住を決断。

津山明日美さんは気が乗らなかったようですが、小学5年生の時に北海道東部にある厚岸郡浜中町の嶮暮帰(けんぼっき)島に移住しました。

それこそ電気も通っておらず、島では自給自足。津山明日美さんはそんな環境から、自然に魚が食べられるようになったのだとか。

北海道への移住は、娘の津山明日美さんがきっかけだったのです。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子との孫は世界2位「毎日カップ麺」

娘の津山明日美さんは津山剛さんという男性と結婚し、4人の子供が誕生。

  • 長男、森さん
  • 長女、風花さん
  • 次女、舞花さん(1993年12月24日誕生)
  • 次男、飛来さん(1995年10月14日誕生)

畑正憲さんは晩年、自宅には犬1頭と猫1匹しかおらず、動物以上に孫を溺愛していたようです。2018年6月18日放送の日テレ「有吉ゼミ」では、タレント活動している孫の津山舞花さんと共演しました。

当時、津山舞香さんは24歳。とても美人で、ニューヨークやドイツで活躍しているバレエダンサーだと紹介されています。18歳の時には世界大会の日本代表になり、世界2位に輝いたことも。

畑正憲さんはそんな可愛い孫に対して、出会うたびに一貫数千円もする高級寿司をごちそうしていたとのこと。番組では、当時83歳の畑正憲さんの私生活も明かされました。

月に50食、毎晩かならず寝る前にはカップラーメンを食べ、麻雀が大好きだという畑正憲さん。孫の津山舞香さんに「祖父は牛の尿を飲んだりとんでもないことばかりするので、ムツゴロウの孫として見られるのが嫌で隠していたことがあった」と告白されています。

畑正憲:「困ったことがあったら相談しなさい。」

孫の津山舞香さんにかなりの溺愛ぶり。動物たちを超える存在のようです。

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子と北海道からYou Tube

畑正憲さんは亡くなる直前まで、You Tubeチャンネルにて動画を配信していました。最近では、第96回から始まった偉大な女性マッシャー(犬ぞりの操縦者のこと)・スーザン・ブッチャーの元を畑正憲さんが 訪ねた際の続きを配信。

スーザンへのインタビューを始めたムツさん。 まずは、ラブラドールのドクター、テンシア(第103回に登場します)の犬ぞりでの遭難や、 南極のタロー、ジローについての考えを聞きながら、少しずつ彼女との心の距離を 縮めていきます。

寡黙だったスーザンも少しずつ心を開いてくれるのでした。 そして話は段々核心に。 「長い長いレースが終わる頃、あなたのウキウキした気持ちは犬たちに伝わりますか?」 「犬の話、気持ちは分かりますか?」 と聞いたムツさんに、 「それはいっしょに生きてりゃ分かるよ。」 と答えたスーザン。

犬を愛する二人、意気投合します。 最後に、川で犬たちと遊ぶスーザンの姿を見つけたムツさんは、そこに 彼女と犬たちのつながりの深奥を見た気がしたそうです。 なぜなのか。 どうぞお楽しみに。

聞き手 スタッフ 明日美 カメラマン ツンタ ムツゴロウ動物王国オフィシャルサイト http://mutsugoro-okoku.com/ ムツゴロウの656公式Instagram https://www.instagram.com/mutsugoro656/

【 You Tubeチャンネル「ムツゴロウの656」より 】

 

畑正憲(ムツゴロウ) 妻・純子が喪主~死因は心筋梗塞~

2023年4月5日、畑正憲さんが心筋梗塞のため他界されました。北海道の自宅で倒れ、搬送先の病院で死去。87歳でした。葬儀は親族で行い、喪主は妻・純子さんが務めます。

畑正憲さんは2017年に心筋梗塞で倒れ、その後は入退院を繰り返していました。最近は自宅で療養していましたが4日に体調が急変したとのこと。

You Tubeで拝見したお元気そうな姿から、他界されたことがショックでなりません。子供ながら、ムツゴロウさんの動物への愛の深さを感じ、優しい気持ちにさせてもらったことを覚えています。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

畑正憲(ムツゴロウ) プロフィール

本名・畑正憲 ( はた まさのり)

愛称・ムツゴロウ

生年月日・1935年4月17日

出身地・福岡県福岡市

血液型・A型

身長・161センチ

学歴・大分県立日田高校、東京大学理学部

大学卒業後は大学院理学系研究科修士課程に進学。その後、「学習研究社」(現在:学研ホールディングス)の映像部門に勤務します。企業拡大化や社風が合わず退職すると、1967年「われら動物みな兄弟」を執筆し作家デビュー。

1971年、北海道厚岸郡浜中町に移住すると、翌年「ムツゴロウ動物王国」を開園。1980年よりフジテレビにて「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」としてシリーズ放映され、注目を集めました。

卓越した麻雀の腕を持ち、日本プロ麻雀連盟の相談役も務めています。

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