2008年の長野オリンピックから正式種目になったスノーボード、ハーフパイプ。今後の活躍を期待されるのは平野歩夢選手です。
そんな平野歩夢選手を支える家族とは? 画像と共に紹介!
スポンサーが付く前はどのような環境で実力を磨いたのでしょうか。
幼い頃から強者ショーン・ホワイト選手に実力を認められる平野歩夢選手!
平野歩夢 プロフィール
生年月日・1998年11月29日
出身地・新潟県村上市
血液型・O型
身長・165cm
学歴・村上市立村上第一中学校卒業、開志国際高等学校アスリートコース、日本大学スポーツ科学部
種目・スノーボード/ハーフパイフ、スケートボード
4歳の時に兄の影響でスノーボードを始めます。両親の懸命な支えもあり、小学4年にしてスポンサーBURTONが付きプロ契約。世界の強豪たちと戦い始めました。
2011年、小学6年の時にはBURTON US OPENで優勝。見事な滑りから世界中の注目を集めるきっかけとなりました。
2012年もこの大会で連覇優勝し、2013年にはX Gamesという世界最高峰のスポーツの祭典でショーン・ホワイトに続いて準優勝。
2013年シーズンは史上最年少で「ワールド スノーボードツアー」のチャンピオンに輝いています。
2014年のソチと2018年の平昌、2年連続でオリンピック銀メダルを獲得。夏のスケートボードでも好成績を収め話題に。
過去にない驚きの実力!ワールドカップに出場していないのにナショナルチーム入りを果たすという、異例の選手です。
平野歩夢 兄弟も選手!
平野歩夢さんは男3兄弟の次男です。兄の英樹(えいじゅ)さんは3歳年上。弟の海祝(かいしゅう)さんは4歳年下とのこと。
平野歩夢さんの兄弟2人も選手として活躍されています。
兄・平野英樹(ひらのえいじゅ)
平野歩夢さんがスノーボードを始めたのは兄がきっかけ。英樹さんは2001年頃からスノーボードを始めています。その後 2008年からプロに転向。
中部地区大会2位、全日本選手権大会2位、Burton US Open2011年 7位などの記録を残しました。
平野歩夢の兄・英樹 高校時代【画像】
2020年に結婚され、2021年には子供も誕生しています。英樹さんのSNSには結婚する4年前から奥さまが写っており、周囲から結婚が噂されていました。
現在は男の子のパパになり、ますますスケートボーダーとしての活躍に力を入れていることでしょう。
生年月日・1995年7月23日
出身地・新潟県村上市
血液型・O型
身長・165cm
種目・スノーボード(ハーフパイプ)→スケートボード(パーク)に転向
弟・平野海祝(ひらの かいしゅう)
弟の海祝さんもまたスノーボーダー。
2021年のスノーボード全日本ジュニア選手権ハーフパイプでは1位を、スノーボード全日本選手権では3位を獲得しています。
さらに2018年、スケートボードの日本選手権パークにて6位入賞。まだ若いことから今後の期待の星!活躍が注目されています。
生年月日・2002年10月14日
出身地・新潟県村上市
血液型・不明
身長・165cm
学歴・開志国際高等学校、日本大学スポーツ科学部(2022年、在学中)
種目・スノーボード/ハーフパイフ、スケートボード/パーク
弟の海祝さんのことが大好きだという平野歩夢さん。また海祝さんは「平野歩夢の弟」といわれることに嫌悪感があるんだとか。
でも普段の3兄弟はとても仲良し。平野歩夢さんが15歳の時にメダルを獲得した際、海祝さんは「本当に最高でした」と笑顔で答えています。
平野歩夢さんが平昌オリンピックでメダルを取った際、兄の英樹さんが喜びを投稿しています。↓
平野英樹・平野歩夢・平野海祝【画像】
平野歩夢 父親の仕事は居酒屋とパーク運営
激しい点灯も恐れない、強い精神力の持ち主に育て上げた平野歩夢さんの父親。いったいどのような方なのでしょうか。
平野歩夢さんの父親は平野英功(ひらの ひでのり)さんといい、これまでの経歴を見ると、スケートボードにかなり力を入れていることが分かります。
◇ サーフィンのプロを目指す
◇ 20代前半で準公務員を辞め、サーファーショップを経営
◇ スケートボードパークを新潟県で設立
◇ 2021年、日本スケートボード連盟の副理事に
父親の仕事 その1「日本海スケートパーク運営」
父親がスケートボードパークを設立したことで子供たち3兄弟はスケートボードを開始。この「日本海スケートパーク」は父親が800万円の借金をしてまで建てたもの。
父親の英功さんは宿泊費を浮かせるため車中泊をしたり、リフト代を節約するため雪山を歩いて登ったといいます。そんな血と涙と汗で建てられた日本海スケートパークは平野歩夢さんにとって最高の練習場所となりました。
この日本最大級の屋内スケートパークは、老朽化した市民会館を800万円で改修したもの。ハーフパイプのコースと同じような半円筒状の中、ローラーが付いたスケートボードで技や高さの練習ができるようです。
「日本海スケートパーク」の場所
〒958-0037 新潟県村上市瀬波温泉3丁目4−10
父親の仕事 その2「居酒屋の経営」
父親はパーク運営以外にも、居酒屋経営で家計を支えています。“食べログ“ での口コミも上々。
※ 口コミ 一部抜粋
宿泊先の宿で夕食を外で食べるにはどこがおすすめか聞くとこちらの名前が先ずあがりました。雰囲気は地元の方が訪れる憩いの場ですね。人の良さそうな店長との会話も楽しく過ごせます。どれもこれも美味しい料理。しかもとてもリーズナブル。魚介がとても美味しい。
※「地酒」イメージ画像
オーナーが平野歩夢さんの父親で、店長は別の方だそうです。近くに立ち寄った際には訪れてみたいですね。
電話 0254-52-0010
交通・日本海東北自動車道「村上瀬波温泉IC」から車で約11分
JR羽越本線「村上駅」から車で約10分 村上駅から2,010m
居酒屋 波具(バグ)
「居酒屋 波具」の地図はコチラ ↓
父親の仕事 その3「サーファーショップ店主」
プロのサーファーを目指すため、22歳頃に準公務員を辞めた父親の英功さん。サーフィンの練習をしながらサーファーショップの経営を始めました。
子供が生まれると英功さんは一緒になってサーフィンを楽しんでいたそうです。しかしある時、長男の英樹さんが海で溺れてしまい、海に入らなくなってしまったとのこと。
これを期に、平野家はサーフィンからスケートボードにシフトチェンジ。現在は日本海スケートパークの運営と居酒屋経営がメインのようです。
平野歩夢 父親・母親【画像】
平野歩夢さんの試合を応援するご両親。この画像はソチ五輪の時で、2022年時点では父親が51歳、母親は49歳になられるようです。
平野歩夢 父親・英功(ひでのり)さん、母親・富美子(とみこ)さん
平野歩夢さんは「イケメン」と言われていますが、母親が超美人。名前は平野富美子(ひらの とみこ)さんといいます。
手作りのお弁当などこまめに作り、専属の栄養管理は母親の富美子さんが担当。平野歩夢さんは10代の頃、遠征先で日本食(母親の手料理)が恋しくなったことも。
現在、母親の富美子さんは、日本海スケートパークで「夢キッズ」を担当。夫婦で未来のスケートボード選手を育てているようですよ。
父親は平野歩夢さんのことを練習を行うスキー場まで片道40分ほどかけて送迎。母親もかなりサポートし、努力をされました。
オリンピック選手を育て上げる親には、やはり努力と苦労があるようです。今後とも平野歩夢さんの活躍を応援したいですね。