葛西紀明 妹と父の病気とは?最愛の母を火事で亡くす。結婚や彼女を姉が告白!


長野五輪を見て育った世代を引き連れ、ソチ五輪で16年ぶりに
メダルをつかんだジャンプ団体・レジェンド葛西紀明選手(41)。

40代にして頑張る姿は、日本に大きな元気を与えましたね。
ですが驚きは、それだけではありませんでした。

葛西選手の人生を知ることで、「レジェンド(伝説)」と呼ばれる
意味や理由をあらためて実感した方も多いようです。

葛西選手の壮絶な人生について、お伝えいたします。

「後輩にメダルを取らせたかった」と嬉し泣きする場面は印象深いですね。

プロフィール


葛西紀明(かさい のりあき)、41歳
生年月日・1972年6月6日
出身・北海道上川郡下川町
身長・176㎝、体重・59kg
血液型・AB型
家族・父、母(享年48歳)、姉、妹

最高ジャンプ記録は224m!よく見る130mより遥かな飛距離ですね。
そんなジャンプ競技との出会いは、小学3年の時だったようですよ。

1992年、19歳で初めてアルベールビル五輪に出場し、団体4位に。
以降、冬季五輪の出場は、ソチを合わせて史上最多の7回です!

本人、意欲満々の平昌五輪(2018年・韓国)が今から楽しみですね^^

妹と父の病気とは?


葛西選手の父親は、もともと体が弱く働けなかったため、以前から
母親の幸子さんが仕事を掛け持ちして、生計を立てていました。

そんな中、小学3年の葛西選手はジャンプと出会い「やりたい」と
両親に伝えますが、お金がかかると反対されました。

しかしどうしてもと押し切り、板やユニホームなどは知人のお下がり
をもらい、貧しい生活ながらジャンプを始めたそうです。

今とは違い?おとなしい少年だったようですが、
反対を押し切り通すほど、ジャンプに夢中になったのですね。

貧しいながらも19歳で五輪出場するなど、家族が一丸となる中、
6歳下の妹・久美子さんが「再生不良性貧血症」という難病を発症。
余命5年の宣告を受けます。。。絶望感は想像を絶するでしょうね。

でも葛西選手は気持を切り替え、妹のために1994年(当時21歳)の
リレハンメル五輪で金メダルを目指します。

結果は惜しくも団体・銀メダルでしたが、
自分のために懸命に闘う姿、妹さんは勇気づけられたでしょうね。
その後、病状は回復に向かっていったようです。

ところが喜びはつかの間、母親に悲劇が訪れてしまいます。。。

最愛の母を火事で亡くす。


家計を支え、ずっと優しく見守ってきてくれた最愛の母・幸子さん。

1996年に放火に巻き込まれ、大やけどを負ってしまいます。
その後しばらく、闘病生活を続けますが、
1997年、享年48歳という若さで他界されてしまいしました。

妹の難病、さらにこれ以上にない悲劇。。。あの葛西選手の笑顔から
このような壮絶な過去は、想像してもみませんでした。

ですが葛西選手は悲しみを、すぐに長野五輪に切り替えたようです。
母と妹のために金メダル。。。

ですが結果、直前に足首を捻挫し団体メンバーから外れてしまいます。
「悲運のエース」と呼ばれる理由は、こういうことからきたのですね。

聴いただけでも体が硬直するような事実、
葛西選手はこの苦難を乗り越えて、今回のメダルを手にしていました。

壮絶な人生、ソチのメダル獲得後に知った方も
多いのではないでしょうか。

結婚や彼女を姉が告白!


葛西選手は平昌五輪(2018年・韓国)にも出場し、その時には
「結婚して奥さんと子供を連れて行きたい」と言っていますね^^

でも姉・紀子さん(44)いわく、葛西選手は数年前までずっと
「結婚願望は無い。だけど自分の子供は欲しい」と話していたとか。

お姉さんのお子さんをとても可愛がっているようですよ^^

41歳で独身ですが、過去に彼女はたくさんいたらしく、みんな美人
だったとのこと。お姉さんが言っているので間違いないでしょう^^

ジャンプ一筋、それに壮絶な出来事。。。
今までは、結婚を考えるゆとりがなかったのかもしれませんね。

たとえ現在、彼女がいなくたって今の葛西選手ならモテるでしょうから
4年後の五輪までに子供も間に合いそうですね!

葛西選手は後輩思いで人柄の良い、
ただの「おじさんジャンパー」ではありませんでした。

壮絶な過去を背負いながら、日本五輪代表をまとめ上げる
技量あるジャンパー。今後も頼もしいですね^^

インタビューで「バカヤロウ」とビートたけしのモノマネする姿を見て
からの壮絶な人生。。。大変、驚かされました。

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