カルーセル麻紀 父母兄弟11人「化け物って殴られ」実家 家族構成

芸能

“オネエ界のドン” であるカルーセル麻紀さん。実家での家族構成は父親、母親、兄弟9人の11人家族。父親の職業は日本通運の仕事を、母親は93歳で死去している。

カルーセル麻紀さんは現在、姉と自宅で2人暮らし。実家の両親や兄弟姉妹の年齢や職業、家族エピソードとは…

映画『一月の声に歓びを刻め』公式 X (旧:Twitter) より

カルーセル麻紀 実家での家族構成~父親・母親・兄弟姉妹~

カルーセル麻紀さんの実家での家族構成は父親、母親、兄弟姉妹の11人家族。兄弟は4男5女おり、カルーセル麻紀さんは上から5番目です。

実家は二間の長屋。父親は会社員でしたが大家族を支えるのは大変でした。

カルーセル麻紀さんは小学校時代、自分のおこづかいを稼ぐため新聞配達のアルバイト。最初は夕刊の配達だけでしたが、その後は朝刊の配達や営業、集金もやるように。

そして当時はボーイソプラノの声がいやで、実家近くで大声を出し、潮風でわざと喉をつぶしていたのだとか。

女の子っぽい雰囲気だったため、小学校では同級生から「(女の) なりかけ」というあだ名が付けられてしまいました。

しかしカルーセル麻紀さんは甘え上手。番長的な強いの男の子に仕返ししてもらったそうです。地元の海岸には漁師がたくさんおり、小学校3年頃はダンスを教えてもらったことも。

カルーセル麻紀:「小学校のときマンボとかジルバを踊れたんですよ。”あんた女の子みたいだね” って、よく言われてました。」

このとき両親は息子の変化に気づき心配していましたが、それをよそにカルーセル麻紀さんは14歳のとき読んだ三島由紀夫の小説「禁色」や美輪明宏さんに刺激されます。

15歳になると父親や母親から離れ家出。年齢をごまかし札幌市のゲイバーに勤務しました。その後も13都市のゲイバーやキャバレーを転々として19歳のとき大阪に落ち着いています。

そして1963年、21歳のときに芸能界デビュー。30歳のときには完全な女性になるため、海外で性転換手術を受けました。

子供の頃、父親にはよく叱られていたそうですが、母親はいつでもカルーセル麻紀さんを受け入れていたようです。

カルーセル麻紀 実家の場所は北海道釧路市錦町

カルーセル麻紀さんの実家の場所は北海道釧路市大楽毛西2-30-7。

母親が亡くなったことで、2005年5月5日に「四国新聞」がカルーセル麻紀さんの実家の住所を伝えました。

平原きぬゑさん(ひらはら・きぬえ=タレントのカルーセル麻紀さんの母)5日死去、93歳。北海道出身。自宅は北海道釧路市大楽毛西2の30の7。葬儀・告別式は7日午前10時から釧路市若草町21の17、釧路ベルコ会館で。喪主は長男貞男(さだお)氏。

引用:2005年5月5日「四国新聞」

カルーセル麻紀さんは地元にある「釧路市立旭小学校」や「釧路市立北中学校」の出身。中学卒業後は「釧路北陽高校」に進学するも5カ月で中退しました。

いろいろな思い出が詰まった町ですが遠洋漁業や炭鉱があり、とてもにぎやかだったそうです。

当時から繁華街があり、そこにはキャバレーやクラブが乱立。カルーセル麻紀さんにとって刺激的な地元でした。

家から歩いてすぐのところに、幣舞橋(ぬさまいばし)という橋があって、そこに着いた船によく遊びに行っていました。

引用:2024/5/25「日テレNEWS」

「幣舞橋」は北海道3大名橋のひとつ。釧路十景であり、日本百名橋のひとつにも数えられています。

釧路の北大通と釧路市大町の間を流れる釧路川にかかっており、欄干には「四季の像」が配置。カルーセル麻紀さんはいつもこの「幣舞橋」を眺め、家族と過ごしていました。

夕陽の美しさから写真撮影に来る人もたくさん。カルーセル麻紀さんの実家は釧路の名所「幣舞橋」の近くにあるようです。

◆釧路の名所「幣舞橋」

  • 住所:北海道釧路市北大通
  • 交通:JR根室本線釧路駅から徒歩約10分

グーグルマップ「幣舞橋」

「釧路市スポーツ課」公式 X (旧:Twitter) より~カルーセル麻紀さんの実家付近【画像】

カルーセル麻紀 父親の職業 (仕事) は日本通運株式会社

戦時中を生き抜いた父親はカルーセル麻紀さんが生まれると、「アメリカと徹底的に闘える男になれ、男に徹する男になれ」という願いを込め、「徹男」と名付けました。

カルーセル麻紀:「残念ながら親の意に反して、”女に徹する男” になっちゃったけどね(笑)」

そんなカルーセル麻紀さんの父親の名前は不明ですが、職業は「日本通運株式会社」の仕事に就いていたようです。のちに父親は享年77歳で死去

カルーセル麻紀:「父親はサラリーマンをやってました。周りはみんな漁師さんで、うちだけでした。」

日通社員とはいえ大家族を養うのは大変。カルーセル麻紀さんの教科書はすべて兄のお下がりでしたが、男臭いため嫌だったそうです。

さらにお小遣いもなく、自分で新聞配達のアルバイトを開始。

北海道は寒いのに夏は蚊に食われ、自転車は買えず徒歩での配達でした。親に「あれ買ってほしい」とお願いしたことはなく、すべて自分で買っていたといいます。

そんな自立心あるカルーセル麻紀さんですが、若い頃に軍隊を経験した父親は厳格で、イタズラをすると木刀やハサミで叩かれ、スカートを履くと窓から放り出されていたのだとか。

そして子供の頃は毎朝「水くみ」の手伝いも。

何しろ厳格で硬派な昔の父親でしたから、息子が女になるなんて、天地がひっくり返るほどのショックだったと思うわよ。

引用:2012年2月17日「さりとて」

小学生のうちから母や姉のマスカラや口紅で化粧して学校に通学。父親に見つかるたびに「この化け物が!」と言われゲンコツで殴られていたとのこと

カルーセル麻紀:「木刀で追いまわされたけどやめなかったわね。そんな父が夏祭りのときだけは、わたしの女装を許してくれるの。」

夏祭りにだけ許してくれる父親。心のかたすみでは、カルーセル麻紀さんを受け入れていたようです。

映画『一月の声に歓びを刻め』公式 X (旧:Twitter) より

カルーセル麻紀 母親の職業は不明、93歳で死去

カルーセル麻紀さんの母親の名前は平原きぬゑ (ひらはら きぬえ) さんといい職業は不明

2003年、90歳のときにはテレビ番組「情報ツウ」にVTR出演し、カルーセル麻紀さんについて語ったこともありましたが、2005年5月5日に享年93歳で死去されました

前述したように母親の他界は「四国新聞」で取り上げられています。

平原きぬゑさん(ひらはら・きぬえ=タレントのカルーセル麻紀さんの母)5日死去、93歳。

引用:2005年5月5日「四国新聞」

カルーセル麻紀さんの母親の葬儀は釧路市若草町にある「釧路ベルコ会館」で執り行われました。喪主は長男の平原貞男(ひらはら さだお)さんが務めています。

2005年5月4日にカルーセル麻紀さんが「母の命日」と題して自身のブログを更新。母と子のやり取りが伝えられ、母・きぬゑさんの人柄がうかがえるような投稿でした。

カルーセル麻紀:「お母さんはどの子が一番可愛いですか?」

母・きぬゑ:「どの子も皆同じように可愛いよ。例えば貴女にも10本の指があるでしょ。その中のどの指を切って無くなっても同じように痛いでしょ。それと同じで私にとってどの子がいなくなっても哀しいし、どの子も皆同じように可愛いのよ。」

戸籍を変えたことも「麻紀の人生だから麻紀の思うように生きて行けば良い。私にとって男でも女でもなく麻紀は私の子供だから」と話してくれたのだとか。

今まで聞きづらかったことを知ることができ、カルーセル麻紀さんは母親の大きな愛情と理解をあらためて感じたそうです。

ブログでは「皆さんも子を思い親を大切にしてください」とメッセージを添え、締めくくりました。

死と隣り合わせの性転換手術は全然怖くなかったというカルーセル麻紀さん。2012年2月17日、「さりとて」のインタビューでは他にいつも恐れていたことがあったと話しています。

カルーセル麻紀:「いつか、かあさん死んじゃったらどうしようって…考えただけで泣けてくるほど、母さんっ子だったから。」

母・きぬゑさんが亡くなったときは悲しさや寂しさ、辛さで絶望の日々。生前、母・きぬゑさんはカルーセル麻紀さんを深い愛で救ってくれたようです。

私を一番理解して、何をしても庇ってくれて、許してくれて、愛してくれた母さんがいたから、どんなに辛い目にあっても、マスコミに叩かれても、自分を信じて強く生きて来られたの。

引用:2012年2月17日「さりとて」

カルーセル麻紀さんの母親・平原きぬゑさんの写真画像はありませんが、カルーセル麻紀さんの若い頃とそっくりで美人だったのではないでしょうか。

カルーセル麻紀さんの母親は若い頃とそっくり?【画像】

カルーセル麻紀 兄弟は何人いるのか~兄弟構成~

カルーセル麻紀さんに兄弟は何人いるのか、兄弟構成が話題に。9人の兄弟姉妹ですが職業は不明で、名前や年齢も一部しかわかっていません

  • 長男(兄):名前は平原貞男(ひらはら さだお)
  • 長女(姉)
  • 次女(姉)
  • 三女(姉)
  • 四女(本人)カルーセル麻紀さん
  • 次男(弟) ※ カルーセル麻紀さんより下の兄弟は順不同
  • 三男(弟)
  • 五女(妹)
  • 六女(妹)

カルーセル麻紀さんの下には弟2人、妹2人がいることのみわかっており上記は順不同。兄弟には年齢が6歳離れた兄や2歳上の姉がいることがわかっています。

子供の頃は2つ年上の姉に洋服を借りたり、おはじき遊びやお手玉をしていたというカルーセル麻紀さん。自分のことを「アチシ」と言っていたのだとか。

女の子のようだったため、兄弟からは「男のくせに!」と叩かれたことも。そんなカルーセル麻紀さんは親族のことを考え、30歳まで本名を言うことはありませんでした。

カルーセル麻紀:「兄弟や親戚に迷惑かけるのがいやでね。」

しかし、カルーセル麻紀さんの一番下の妹が結婚するとき、母・きぬゑさんが思い切って相手の両親に告白。

“実は、この子の兄にひとり変なのがおりまして…あの、カルーセル麻紀ってご存知ですか? 実は、この娘の兄なんです”

そう伝えると、相手側の両親から「カルーセル麻紀さんの大ファンなので、ぜひ結婚式に出席していただきたい」と返ってきたのだとか。

カルーセル麻紀さんはそれまで身内の結婚式を欠席していましたが、母親の一声で一番下の妹の式に親族として初めて参列できたそうです。

カルーセル麻紀 兄弟姉妹【画像】姉の誕生日会で祝福

2010年3月19日、カルーセル麻紀さんが「姉のバースデー」と題して自身のブログを更新。姉の誕生日を東京・自由が丘の「鮨幸」で祝ったことを明かしています。

昨日は東京のハマグリ会【私が名づけた女だらけたグループ】のメンバーと自由が丘の鮨幸で姉の誕生日のお祝いをしました

美味しいお鮨とシャンパンでのバースデーは最高の思い出に。このあと二次会では、戦後の雰囲気が味わえるスナック「青い旗」へ行ったのだとか。

深夜3時まで姉と共にカラオケを楽しんだようです。

カルーセル麻紀さんの公式ブログより

2024年3月24日にはカルーセル麻紀さんが「姉が米寿になりました」と投稿。一緒に「鮨タカミツ」に訪れたことを伝えました。

1100万円のシャンパンに舌鼓。2次会は東京・六本木の「TABIYA」でカラオケを熱唱したようです。

カルーセル麻紀 姉(次女)は現在88歳~姉妹で同居中~

2024年9月6日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」にカルーセル麻紀さんが出演。現在は次女の姉と同居生活を送っていると明かしました。

同居の理由は2020年に発症した脳梗塞。病気を患って以降は髪型をショートヘアに。健康のため毎日5000歩を歩いているとのこと。そんな姉との自宅生活とは…。

放送終了後、番組内容はこちらに記載します。↓

カルーセル麻紀:関連記事

◆2024年9月6日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」カルーセル麻紀 番組内容詳細

13センチのハイヒールを今も履きこなすこの方! カルーセル麻紀さんがゲスト。
2004年に戸籍を女性に変更して20年…波瀾万丈な人生と81歳の現在を語る。

81歳になったカルーセルさん、4年前に脳梗塞で緊急入院してから生活が激変!?髪をバッサリ切り染めるのもやめ、健康のため1日に5000歩を歩く生活に。

家の中で一生懸命歩いているというその姿が…。現在は88歳の姉と二人暮らしのカルーセルさん。最近、高齢者宅を狙った犯罪にも遭遇した。自宅の電話にかかってきた“オレオレ詐欺”、業者をかたって家の中に入ろうとする人も…今は近所の人との情報交換が大事だと語る。

◆「徹子の部屋」公式 X (旧:Twitter) より

カルーセル麻紀 プロフィール

本名・平原 麻紀(ひらはら まき)

出生名・平原 徹男(ひらはら てつお)

生年月日・1942年11月26日

出身地・北海道釧路市

血液型・A型

身長・157cm

学歴・釧路北中学校卒、北海道釧路北陽高等学校中退

大阪の「カルーゼル」に勤めていたとき、市川猿之助氏の紹介で日劇ミュージックホールに出演。以後、舞台や映画、テレビなどで活躍しています。

1968年、映画「新宿そだち」、1974年「カルーセル麻紀 夜は私を濡らす」に出演し、1969年はドラマ「女殺し屋 花笠お竜」、1978年は「西遊記」 の第1話に乙姫役で出演しました。

1972年、モロッコで性転換手術を受け、2004年には戸籍上の性別を女性に変更。

トーク番組「バラいろダンディ」や「ナカイの窓」にも出演し、2024年は映画「一月の声に歓びを刻め」「徹子の部屋」「ノンストップ!」に登場しています。

映画『一月の声に歓びを刻め』公式 X (旧:Twitter) より

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