長嶋茂雄 妻 亜希子は社長 馴れ初め東京五輪「病気 死因は心不全」

芸能

長嶋茂雄さんが結婚した妻は「長嶋亜希子」さんといい、年齢差は7歳年下で職業は代表取締役社長。しかし2007年、妻・亜希子さんは病気により死因・心不全で他界。

長嶋茂雄さんの馴れ初めは妻・亜希子さんが東京五輪でコンパニオンだったこと。2人の結婚生活とは…

長嶋茂雄 結婚した妻は長嶋亜希子~年齢 学歴 職業~

長嶋茂雄さんが結婚した妻は「長嶋亜希子 (ながしま あきこ)」さんといい年齢差は7歳年下。旧姓は「西村亜希子」さんといいます。

東京都渋谷区に生まれ、祖父は出版社・東雲堂書店を経営し、文学史に残る歌集を出版。父親も内外出版社の代表を務めており、妻・亜希子さんは社長令嬢でした。

田園調布雙葉中学校を経て高校在学中にアメリカ留学し、現地の高校とミネソタ州の聖テレサ大学を卒業。

そのため英語やフランス語、スペイン語が堪能で、東京オリンピックでは語学を活かしてコンパニオンを務めています。

◆長嶋亜希子 プロフィール

本名・長嶋亜希子(ながしま あきこ) ※旧姓 西村

出身地・東京都

生年月日・1943年1月5日 

学歴・田園調布雙葉中学校、日本の高校在学中に米国へ留学し現地の高校を卒業、ミネソタ州の聖テレサ大学卒業

長嶋茂雄さんと妻・亜希子さんは1965年1月26日、渋谷区南平台のカトリック渋谷教会で結婚式を挙げ、披露宴はホテルニューオータニで行いました。

結婚当時の年齢は長嶋茂雄さんが29歳、妻・亜希子さんは22歳。野球界のビッグスターである長嶋茂雄さんの結婚式は大変注目を集めています。

結婚生活では長嶋茂雄さんのモットーだった「男の職場に顔出すな」を忠実に守り、献身的に支えていました。

妻・亜希子さんはテレビ番組の出演を極力控えていましたが、フジテレビ「木梨ガイド・週末の達人」では数分、顔出ししたことも。

1991年、著書「私のアメリカ 家庭料理」を出版。2002年には、地球温暖化対策について話し合う環境省「環の国くらし会議」メンバーとなり、環境問題に取り組んでいます。

長嶋茂雄 妻・亜希子が病気~死因は心不全~

2007年9月17日、長男・長嶋一茂夫妻と食事をするため外出した妻・亜希子さん。会食後に体調不良を訴え、入院することになりました。

夫である長嶋茂雄さんなど家族が駆けつけましたが、そのまま意識が戻らず翌日の 2007年9月18日に心不全のため息を引き取っています。64歳という早すぎる死でした。

当時、長嶋茂雄さんはプロ野球読売巨人軍の終身名誉監督。妻・亜希子さんは亡くなる数年前から体調が思わしくなく、入退院を繰り返していたといいます。

2004年、長嶋茂雄さんが脳梗塞を患った時は懸命に看病していた妻・亜希子さん。お墓は現在、長男・長嶋一茂さんがよく訪れるアメリカ合衆国のハワイにあるとのことです。

長嶋茂雄 妻・亜希子の職業は社長

長嶋茂雄さんは巨人の監督 (第1次) を辞任した後、フロントへの入閣を進められるも「フロントは自分に合わない」と拒否して退団届を提出。その後、個人事務所「オフィスエヌ」を設立しました。

そして妻・亜希子さんが「オフィスエヌ」の代表取締役社長に就いています。会社の場所は東京都大田区田園調布にあり、田園調布駅から徒歩5分という近さ。

長嶋茂雄さんは2002年度の長者番付で4434万円を納税し、推定年収は1億2000万円ともいわれました。こうした収入を妻・亜希子さんが管理。

妻・亜希子さんの他界後は、スポーツキャスターとして「テレビ朝日スポーツ局」に勤務したのちフリーに転身した、次女の三奈さんが代表取締役社長に就任しています。

現在、長嶋茂雄さんの「巨人の終身名誉監督」としての収入や、世田谷区に所持するマンションの家賃収入などを管理。

個人事務所「オフィスエヌ」は長嶋家の資産管理会社ですが、長男の長嶋一茂さんとは別々の道を歩むようになりました。

長嶋一茂さんは現在、自身で設立し妻が社長の個人事務所「ナガシマ企画」に所属。バラエティー番組などで得た収入は「ナガシマ企画」で管理しています。

◆グーグルマップ「長嶋茂雄 個人事務所 オフィスエヌ」

場所:東京都大田区田園調布3丁目29番19号

長嶋茂雄 妻・亜希子との馴れ初めは東京五輪

長嶋茂雄さんと妻・亜希子さんの出会いは東京オリンピックがきっかけ。1964年当時、巨人の三塁手だった長嶋茂雄さんは国民的スターとして大人気でした。

また、妻・亜希子さんは海外留学を経て英語やフランス語、スペイン語が話せることで、東京オリンピックのコンパニオンとして活動。

ある時、長嶋茂雄さんは「報知新聞」主催の対談を受けることに。現場に着くと亜希子さんがコンパニオンとして現れ、その美しさから一目ぼれしてしまいます。

その後、長嶋茂雄さんは毎日電話をかけて猛アタック。熱烈なアプローチにより妻・亜希子さんと交際に発展し、出会ってから40日でスピード婚約しています。

2022年7月24日放送のテレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」では、父・長嶋茂雄さんが結婚を決めた理由を長男・長嶋一茂さんが告白。

長嶋一茂:「超一流選手の婚期って、例えばうちの父親でいうと29歳で結婚したんですよね。で、なんで29歳で結婚したかっていうと、大学出て22歳でジャイアンツ入って、そこからずっとスター街道まっしぐらなんだけど、29歳の時に成績が落ちたんですよ。これで “何か環境を変える刺激を“ っていうことで結婚したんです。」

このあと長嶋一茂さんは両親の馴れ初めについても明かしています。

長嶋一茂:「僕はよく知らないですけど、1964年10月のオリンピックの時にコンパニオンで会って、数カ月後の1月26日に結婚したんで…」

“ミスター“ と呼ばれ人気だった長嶋茂雄さんは「結婚したから成績が落ちた」と言われないよう、妻・亜希子さんの協力も得て頑張っていたそうです。

その結果、結婚した翌年にタイトルを再び奪い返しました。

長嶋茂雄 妻・亜希子との結婚生活 

長嶋茂雄さんは結婚当初、国民的スターだったため取材陣に追われ、妻・亜希子さんと大変な日々を過ごしています。しかし落ち着きを取り戻すと結婚生活は順風満帆。

子宝にも恵まれ、長男の長嶋一茂さんと次女の長島三奈さんは父親の影響を受けて育ちました。

一茂さんは幼少期から父に連れられ球場へ。長嶋茂雄さんが試合に集中になりすぎて、一茂さんを忘れて帰宅したことは有名です。

一茂さんは小学生の頃から野球を始めると父と同じ立教大学に進学。1987年のドラフトでヤクルトに入団しました。

また、三奈さんもテレビ朝日に入社しスポーツキャスターとして活躍。退社後はフリーキャスターとして人気を得ました。そんな子供たちの活躍を妻・亜希子さんと共にたのもしく見守っていたようです。

人気プロ野球選手だった長嶋茂雄さんは、ときに「長嶋茂雄を演じるのも大変なんだよ」と漏らすことも。しかし、田園調布の自宅に愛する家族がいることで、心から癒されたといいます。

野球成績の不調が続くと「妻が悪い」とバッシングを浴びることもあったようですが、妻・亜希子さんは耐えながら陰で支えていました。

そんなある時、長嶋茂雄さんが部屋で倒れ、大学病院へ緊急搬送。当時は野球の日本代表監督を務め、アテネ五輪を控えていた時期でした。

重篤な状態が続き、国民の心配の声が広がる中、妻・亜希子さんは必死に看病。長嶋茂雄さんが自宅にひとりきりでいる時に倒れたことで、家族を責める声も。

妻・亜希子さん以外にも子供たち4人が協力し合い、24時間体制で連日病院へ。とくに三奈さんに至っては付きっきりで看護。その結果、入院から1週間後にはリハビリができるまでに回復しました。

長嶋茂雄さんは家族のサポートを受け、数々の病気を乗り越えています。

◆妻・亜希子さんと出会った当時の長嶋茂雄さん (左側)

長嶋茂雄 妻・亜希子との子供は何人いるのか

長嶋茂雄さんと妻・亜希子さんとの間には子供が4人誕生。息子と娘が2人ずつおり、現在は様々な分野で活躍されています。

長男・長嶋一茂 1966年1月26日生まれ

元プロ野球選手で現在はタレントとして活躍。タレントに転身したのは、明石家さんまさんとゴルフをした時に「俺のやってる番組に全部来い」と声をかけてもらったことがきっかけ。

バラエティー番組でのコメントが楽しく、人気タレントに。

◆長女・長嶋有希 生年月日・不明

芸能界にたずさわることなく、一般人。ネット上にもほとんど情報がありません。以前は長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」で取締役を務めていましたが、2010年で解任されています。

その後の情報は一切公開されていません。

◆次女・長島三奈 1968年6月3日生まれ

長嶋茂雄さんの背番号が「3番」で、3番目の子供だったことから「三奈」と名付けたそうです。

テレビ朝日に入社するとスポーツ記者になり、高校野球のキャスターとして大谷翔平選手などを密着取材したことも。本名は長嶋三奈。

次男・長嶋正興 1970年9月26日 

大学在学中にレーサーとなり、職業はアメリカでも活躍していた元レーシングドライバー。現在は環境管理士の資格を取得して環境問題の関連企業に指導するなど、環境についての講演も行っています。

4人兄弟でも長男の長嶋一茂さんの活躍ぶりは、テレビ画面を通して毎日のように伝わってきますね。

◆長嶋茂雄さんの息子・長嶋一茂さん (中央)

長嶋茂雄 妻・亜希子が他界した現在~入院生活~

2004年、アテネ五輪の野球で日本代表監督を務める予定だった長嶋茂雄さんは、脳卒中の疑いで緊急入院。当時、左の大脳に中等度の脳梗塞(のうこうそく)が起きていると発表されました。

この時は妻・亜希子さんが献身的に介護して回復しています。

2018年には長嶋茂雄さんが胆のうの調子が悪いことから、7月上旬に緊急入院。妻・亜希子さんが他界後のため、次女の三奈さんがつきっきりで看病しています。時には自宅に戻らず、病院に泊まることも。

三奈さんは食事も病院内の売店で購入し簡単に済ませ、その後は病室へ小走りで駆け戻って行ったといいます。さらに、2022年9月9日には脳内出血を起こしたと三奈さんが発表しました。

「この度は長嶋茂雄のことで皆様に大変なご心配をおかけし、申し訳ありません。自宅で尻もちをついた際、後頭部を打ち、脳内に多少の出血がありました。

素早く処置していただいたので影響はまったくなく、父は昨日から一般病室で手足のリハビリを始めています。意識ははっきりしていて、声も力強く元気です。皆様のご厚情に深く感謝申し上げます」

都内の病院に救急搬送された長嶋茂雄さん。2023年9月現在も入院生活を送っています。

2023年7月10日、巨人の山口寿一オーナーが都内で行われたオーナー会議に出席。長嶋茂雄さんの近況をこのように伝えました。

「何回か退院ができそうになると、ちょっと熱が出ると。というようなことが繰り返されて、ここまで来てしまったんですけども。

熱と言っても大きな、高い熱ではなくて、微熱ではあるんだけども、やはり病院の方がミスターのことなので非常に大事を取るんですよね」

引用:2023年7月10日「日刊スポーツ」

回復に向かっているという長嶋茂雄さん。山口寿一オーナーは退院して元気な姿を見せてくれると確信しているとのこと。現在も次女の三奈さんが懸命に看病しているようです。

◆長嶋茂雄さんは時より球場に訪れ、巨人選手の活躍を見守っています (中央)

長嶋茂雄さんの息子、長嶋一茂さんの妻や子供たちの現在はこちらです ↓

長嶋茂雄 プロフィール

本名・長嶋茂雄 (ながしま しげお)

生年月日・1936年2月20日 

出身地・千葉県印旛郡臼井町 ※現:佐倉市

血液型・B型

身長・178センチ

学歴・佐倉市立佐倉中学校、千葉県立佐倉高等学校、立教大学経済学部経営学科

巨人選手歴・1958~1974年

巨人監督歴・1975~1980年、1993~2001年

長嶋茂雄さんの父は農業を営み、実家では父と母、兄1人、姉2人の6人家族で暮らしていました。幼少期は東急フライヤーズの大下選手や、大阪タイガースの藤村選手に刺激され野球選手に憧れます。

その後、小学4年生から兄の影響で野球を開始。6年生の時には兄が所属していた地元の青年野球団のハヤテ・クラブに入団しました。

中学時代は野球部に所属し、高校時代には2年生から4番打者を担い、南関東大会に千葉代表校として出場。立教大学では首位打者2回通算本塁打記録を更新しました。

1958年に巨人、読売ジャイアンツに入団すると王貞治さんと共に「巨人軍V9時代」に貢献。本塁打、打点の2冠を獲得して新人王となりました。通算成績は安打2471・本塁打444・打点1522・打率.305。

1974年に現役引退試合を行い、「我が巨人軍は永久に不滅です」という名言を残しています。2001年に巨人軍終身名誉監督就任、2013年に国民栄誉賞を受賞。

国民的スターとなった元プロ野球選手で元監督の長嶋茂雄さん。現在の肩書は読売ジャイアンツ終身名誉監督、株式会社 読売巨人軍専務取締役、日本プロ野球名球会顧問、ジャイアンツアカデミー名誉校長となっています。

タイトルとURLをコピーしました