長嶋一茂さんが結婚した妻の名前は「仁子 (ひとこ)」さんといい、年齢差は1歳年下。職業は元ホステスで、現在は社長を務めている。
長嶋一茂さんと妻との馴れ初めは病気の看病、実家や出身地、学歴についても。子供は何人いるのか、名前や年齢、学校とは…
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長嶋一茂 結婚した妻は仁子~年齢 出身地 学歴~
長嶋一茂さんが結婚した妻の名前は「仁子 (ひとこ)」さんといい、年齢差は1歳年下。若い頃は人気ホステスとして働いていました。
妻・仁子さんの出身地は鹿児島県で、実家暮らしの高校在学中にはバレーボールに熱中。実業団に勧誘されるほどの実力でした。
最終学歴である鹿児島城西高校を卒業すると上京し、歯科医師を目指す弟の学費を稼ぐため、クラブでホステスに。
銀座7丁目の高級クラブ「ドルフィン」では NO.2になり、「ブークラ」では No.1を獲得。ファンが多く大人気だったそうです。
妻・仁子さんは控えめながらリーダーシップがあり、気さくで親しみやすい性格。話し上手で聞き上手、ホステスは天職だったのかもしれません。
長嶋一茂:「一緒にいると安らげるし、よく気が付く。最高のパートナー」
長嶋一茂さんと妻・仁子さんは、1999年9月に入籍し、同年12月3日に箱根の九頭龍神社で結婚式を挙げています。当時、長嶋一茂さんは都内で記者会見を開き、結婚を発表。
新居は父・長嶋茂雄さんの自宅から徒歩10分、東京都大田区田園調布に土地40坪の2階建てを新築しています。
巨人長嶋茂雄監督(63)の長男でタレント長嶋一茂(33)が、個人事務所「ナガシマ企画」のマネジャーの猪野仁子(いの・ひとこ)さん(33)と結婚することが12日、明らかになった。
妻・仁子さんは長嶋一茂さんの母・亜希子さんとも意気投合し、3人でロサンゼルス旅行に出かける仲に。仕事面では当時から、長嶋一茂さんの芸能活動などをサポートしていました。
そして現在、長嶋一茂さんの個人事務所「有限会社ナガシマ企画」の社長を務めています。
◆長嶋仁子 プロフィール
- 本名・長嶋仁子 (ながしま ひとこ)
- 旧姓・猪野仁子(いの ひとこ)
- 生年月日・1967年12月18日
- 出身地・鹿児島県
- 学歴・鹿児島城西高校卒業
長嶋一茂 妻・仁子の職業~現在社長~
プロ野球選手として活躍していた長嶋一茂さんですが、「これ以上迷惑をかけたくない」という思いから1996年に引退。
自宅でぼんやり過ごしていた長嶋一茂さんに妻・仁子さんは日々励ましの言葉をかけるも、このままではダメになってしまうと危機を感じていました。
そこで「会社を立ち上げれば経費もかかり、働かなくてはいけない環境ができる」と、長嶋一茂さんに事務所設立を提案。
長嶋一茂さんも「今まで仕事の依頼は自宅の留守電に入れてもらっていたが、それではあまりにも申し訳ない」と思い、個人事務所を立ち上げようと決意しました。
女房は黙って昼間の仕事を辞めて、 個人事務所の立ち上げに関するすべてのことを引き受けてくれた。
2018年6月15日放送のTBS「ぴったんこカンカン」では、長嶋一茂さんが安住アナを接待するという企画で、「NAGASHIMA PLANNING」と記載された自社ビルを紹介。
テレビ放送された表札と同じものがストリートビューに映っており、場所は西麻布ではないかと言われています。
長嶋一茂さんと妻・仁子さんの個人事務所「ナガシマ企画」のホームページはないものの、会社名を検索すると「東京都港区西麻布3丁目5番12号」という場所がヒット。
現在、妻・仁子さんは事務所社長として、長嶋一茂さんの芸能活動を支えています。
◆グーグルマップ「ナガシマ企画」
長嶋一茂 妻・仁子~馴れ初めは看病~
小学生の頃から野球を始めた長嶋一茂さんですが、夢をつかみ1988年にヤクルトスワローズに入団。プロ野球選手時代は、チーム仲間と銀座の老舗クラブに訪れることもありました。
ある時、いつものように銀座のクラブに出向くと、頭の回転が早く気立てのいい女性と出会います。長嶋一茂さんはその女性・仁子さんに心を奪われ一目ぼれ。
アプローチの末、2人は1996年頃に交際をスタートさせました。そして結婚を決意させたのは病気の看病。
長嶋一茂さんはこの当時、右ひじの故障や巨人1軍から2軍に命じられたり、出場停止など様々な出来事が重なりました。
そうした中、最初のパニック発作を発症。しばらく乗り物恐怖症や高所恐怖症が付きまとい、緊張せずに済むような生活を強いられます。
1996年にはプロ野球選手を引退し、心身とも疲れていた長嶋一茂さん。仁子さんとの交際直後、箱根の別荘で閉じこもり生活を送りました。
箱根の別荘での献身的な看護もそうだが、女房はよく見捨てずに付き合ってくれたものだと思う。
こうした詳細は長嶋一茂さんの著書「乗るのが怖い 私のパニック障害克服法」に記載されています。妻・仁子さんの献身的な看病があったからこそ現在活躍できているようです。
一茂は現役時代の90年からタレントの八木美香(33)と交際していた。しかし、95年に「自然消滅」という形で別れていた。
仁子さんとはその後に知り合い、タレント活動を始めたばかりで、仕事でもプライベートでも支えたことが決め手になったようだ
その後、長嶋一茂さんと妻・仁子さんは 1999年9月に入籍すると、同年12月3日に箱根の九頭龍神社で挙式。当時の様子を2023年6月30日放送のテレビ朝日「ザワつく!金曜日」で明かしています。
母親の意向により箱根で執り行うことになったという結婚式、「何でこんな遠いところでやるんだろ」と心の中で思っていたのだとか。もともと結婚式は妻の意向で、気乗りしていなかったといいます。
さらに名球会の先輩や妻の親族と出会うことで度緊張。しかも段取りを一切知らなかったとのこと。
長嶋一茂:「最後は新郎ってあいさつしなきゃいけないんだよ。何も書いてなかった手紙とか。」
失礼があってはいけないと思いながらも、あいさつは2行程度で終わってしまったそうです。
長嶋一茂 妻・仁子 夫婦ケンカで危機「離婚話も…」
2022年10月7日放送のテレビ朝日「ザワつく!金曜日」では、長嶋一茂さんが「あくまでも統計的なもの」と前置きし、離婚危機寸前の夫婦ゲンカを告白。
長嶋一茂さんは日頃、バーキン (高級ブランド・エルメスのバッグ)を1つ隠し持っているのだとか。これは、妻に対して軽率な行動をしてしまった時に差し出すために用意しているとのこと。
このことをある番組で明かしたところ、放送を観たママ友からの告発で妻・仁子さんにバレてしまい激怒されたそうです。
長嶋一茂:「ママが爆発しました。まだ粗相もバレてないのに。1個おれのストック、そりゃ知ったら欲しくなるよね。」
「茶色のバーキンがあるみたいね」という突然の一言にドキッとした長嶋一茂さん。隠し持っていたバーキンを素直に妻・仁子さんへ差し出したとのこと。しかし、これでは収まらなかった!?
妻・仁子:「わたし、バーキン1個であなたの粗相を全部許してるみたいな女に見られてるんじゃないの!?わたしは別にいちいちバーキンをもらわなくても、あなたの粗相は全部許してきた!」
妻・仁子さんは安っぽい女に見られているような気がして、さらにブチギレ。長嶋一茂さんの作戦がバレてしまい、大変な騒ぎになったそうです。
そんな2人ですが、日頃から離婚の話もしているとのこと。今後、エスカレートすることがないよう祈りたいものです。
高嶋ちさ子:「本当に許さなかったら離婚されてるもん。それこそバーキンじゃ済まないよ。」
長嶋一茂:「離婚の話は正直いって、たまに出るんですよ。」
長嶋一茂 妻・仁子以外の女性とデート
2023年3月10日放送のテレビ朝日「ザワつく!路線バスで寄り道の旅 南房総・館山 春の人気スポット巡り!」では、好意を寄せる女性と「デートしてきた」と告白しました。
番組冒頭に道の駅で朝食を取っていると、元気のない長嶋一茂さんに対して、元気いっぱいに整えてきたゲストの大久保佳代子さんが「整えてないじゃないですか~」と一言。
長嶋一茂:「俺、昨日ちょっと可愛いお姉ちゃんと食事しちゃって…調子に乗ってワイン飲んじゃって。」
はしご酒をして、2軒目はBARで一緒に飲んだといいます。
長嶋一茂:「ジンバックとモヒート飲んで…結構遅くまで飲ませていただいて。ちょっとすみません、楽しかったんですけど (笑)」
とはいうものの、相手女性は長嶋一茂さんにその気が無い雰囲気だったそう。それでガッカリして元気が出ていなかった!? 妻・仁子さんが知ったら…バーキンで済むのでしょうか。
その数か月後も危やうい夫婦関係に!?
妻・仁子さんとハワイを満喫したという長嶋一茂さん。現地で大阪のバーのママと偶然出会ったのだとか。その後、友人を含めママと一緒に食事を楽しんでいたところ、妻からSNSで連絡が…。
「今、〇〇に居る?」と、どこかで見られているのか、ずばり居場所を当てられてしまったそう。長嶋一茂さんは怒られるのではないかと震え、うろたえてしまったと話しました。
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ザワつく!路線バスで寄り道の旅 第8弾🚏🚍#長嶋一茂 が #サバンナ高橋 と仲良しゲストが
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南房総の海の幸・山の幸を食べまくり😋@zawatsuku_ex @Shigeo0128 @hnkyoshimura #大久保佳代子 #吉村崇— 【公式】テレ朝動画 (@tv_asahi_douga) March 11, 2023
長嶋一茂 妻・仁子との子供は何人いる?~名前 年齢 学校~
長嶋一茂さんと妻・仁子さんにはこれまで子供が2人誕生。名前は非公表ですが、生年月日や性別を公表しています。2004年6月16日に誕生した長嶋一茂さんの娘は、二卵性双生児の女の子。
結婚会見では「男の子が生まれたら野球をやらせたい」と話していましたが、残念ながら息子は誕生していません。
名前に関しては、2022年1月17日放送のフジテレビ「ネプリーグSP」で、「うち娘2人いるんすけど、一人この字 “優“ なんですよ」と告白。長女か次女のどちらかの名前に「優」が付くとのこと。
長嶋一茂さんの娘さんたちの学校については、青山学院幼稚園に入園し、卒園後は青山学院初等部(小学校)に入学。その後、青山学院中等部・高等部に進学しているようです。現在は大学に通学中。
次女に関しては2023年時点、海外へ留学中だということが分かっています。
長女は小学生の頃から陸上を始め、11歳の時には東京都の大会で優勝。長嶋一茂さんは娘さんが中学2年生の時、テレビ番組に出演した際に「娘は陸上部に所属している」と話しています。
長嶋一茂:「大会には来ないでって言われます (笑)」
娘さんたちに勉強を教えられたのは小学3年まで。長嶋一茂さんは子供の頃の学業成績は良くなかったそうで、平均点はいつも20点だったとか。大学時代に「THE」を「 テ ヘ 」と読んでいたとのこと。
そんな一茂パパですが、運動神経の良さは娘さんたちに引き継がれているようです。
◆長嶋一茂 子供の情報
人数・2人 (双子)
性別・女の子
名前・どちらかが「優」という文字が付く
生年月日・2004年6月16日
年齢・19歳 ※2023年9月時点
学歴・青山学院幼稚園、青山学院初等部(小学校)、青山学院中等部・高等部
長嶋一茂 妻・仁子との自宅生活語る「徹子の部屋」
2023年9月11日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に長嶋一茂さんが出演し、妻・仁子さんとの自宅生活を赤裸々告白しました。
家では妻・仁子さんに「かずさん」と呼ばれている長嶋一茂さん。日々忙しいかと思いきや、たいてい週末は湯河原の温泉に行くとのこと。さらに、年に100日はハワイで過ごすといいます。
現地には別荘があり実家に戻るという感覚なのだとか。番組では「天国の海」と呼ばれるサンドバーで撮った写真を公開。
こうした外出は夫婦一緒ではなく、ひとりで出かけてリフレッシュする方が多いようです。ここで黒柳徹子が「来年は銀婚式ですね」と一言。
長嶋一茂:「いや言われてビックリしました。“あっそうだ“ と思って。もう25年目なんだなって。」
ここで、特別な予定はあるのか尋ねられました。
長嶋一茂:「え~っと、無いっていうと女房がこれを観てたらすごく怒るんで、言えません。サプライズで何か考えておきます (笑)」
日頃からよく妻・仁子さんにプレゼントしているという長嶋一茂さん。プレゼントに込めている思いを明かしました。
長嶋一茂:「僕自身の女房への懺悔 (ざんげ)だったり、反省だったり、謝りたい、感謝したいっていう気持ちを日頃から記念日以外にということで…」
ハワイなどで買ったお土産を渡すこともあるといいます。
長嶋一茂:「何かあった時に、女房がガーンっとボルテージが上がって、すごい怒るってことが半分くらいデータ上がってまして。普段から渡してるってことが大事なんです。バレてないのに謝るっていう (笑)」
実際に妻・仁子さんと出会ったことのある高嶋ちさ子さんのVTRが流れ、「怖い奥さまに仕立て上げられてかわいそう」とコメント。
長嶋一茂さんは「怖いとは一言もいってないですよ」と落ち着かない様子でした。
長嶋一茂さんの双子の娘、父・長嶋茂雄さんの現在はこちらからどうぞ ↓
◆2023年9月11日放送 テレビ朝日「徹子の部屋」長嶋一茂 番組内容詳細
結婚24年、来年“銀婚式”を迎える妻との日常を告白。大学1年生になった双子の娘たちとパパ一茂さんの関係とは?
1年で100日間過ごすというハワイでの生活、ほか「長嶋茂雄の息子」として生まれた葛藤や、プロ野球引退後に始めたという「空手」に対する思いなども語る。
長嶋一茂 プロフィール
本名・長嶋一茂(ながしま かずしげ)
生年月日・1966年1月26日
出身地・東京都
血液型・B型
身長・181センチ
学歴・立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学
父親は元プロ野球選手・監督の長嶋茂雄さん、母親は元実業家の長嶋亜希子さん。長嶋一茂さん4人兄弟の長男です。
小学生の頃から野球を始め、変化球を練習するも投げすぎて肘を負傷。中学時代は陸上部に所属します。高校で野球部に入ったもののブランクのため苦労。しかし2年生の秋には四番を打つほどに成長しました。
高校3年生時には「1983年 春季関東大会」の県予選準々決勝まで進み、大学では硬式野球部にて1年生からレギュラーに。
「第16回 日米大学野球選手権大会」で日本代表、「1987年 アジア野球選手権大会」にも代表として選出されました。
1987年、ドラフト1位で「ヤクルトスワローズ」に入団。1993年、父・長嶋茂雄さんの巨人監督復帰と同時に「読売ジャイアンツ (巨人)」に入団しています。
しかし右ひじの故障などから父より直接戦力外通告を受け、1996年に現役を引退。その後、K-1リポーターを務めるとタレント活動をスタート。バラエティー番組やCM、俳優など幅広く活躍しています。