上島竜兵 妻 広川ひかる語る「子供がいない理由は性格が…」

芸能

上島竜兵さんと妻・広川ひかるさんの間に子供が何人いるのか話題だが、これまで息子や娘は誕生していない。

結婚当初から「子供は作らない」と告げられていた妻・広川ひかるさん。子供がいない理由について、「上島竜兵さんのメンタルや性格」だと語っている。

上島竜兵 妻・広川ひかるとの間に子供はいるのか

上島竜兵さんが結婚した妻の名前は「広川ひかる」さんといい、年齢は10歳下。

職業はものまねタレントで、馴れ初めは広川ひかるさんが1988年放送の「発表!日本ものまね大賞」で優勝した際、上島竜兵さんを含めて開かれた大勢の飲み会でした。

その後に交際をスタートさせ、1994年に2人は入籍。東京の赤坂プリンスホテルで結婚式を挙げています。

広川ひかるさんは結婚後、主婦業に専念していますが後に復帰。現在はものまね番組や情報番組のリポーターなどで活躍中です。

◆広川ひかる プロフィール

本名・上島 光 (うえしま ひかる) ※旧姓 廣川

生年月日・1970年10月6日

出身地・埼玉県本庄市

血液型・A型

身長・163センチ

学歴・非公表

妻・広川ひかるさんは上島竜兵さんについて、「明るいキャラクターで太陽そのもの」といった印象を持ちながら、「どんより暗くなる時もある」と語っています。

妻・広川ひかる:「コロナ禍で世の中が暗くなると、どんよりすることが多かった。」

上島竜兵さんは2022年2月頃からしょんぼりする回数が増え、自ら命を絶ち、2022年5月11日に他界されました。その後、妻・広川ひかるさんは20年間所属した芸能事務所を退所。

今後は上島竜兵さんと一緒に作った個人事務所で活動していく予定です。およそ28年間に及ぶ結婚生活でしたが、上島竜兵さんと妻・広川ひかるさんの間に子供は誕生していません。

上島竜兵 妻・広川ひかるが告白「子供がいない理由は性格」

2023年8月3日、「NEWSポストセブン」では妻・広川ひかるさんにインタビュー。上島竜兵さんとの「子供」について触れています。

1994年、2人が結婚した当時、上島竜兵さんが「子供はいらない」と宣言してきたのだとか。はっきりとした理由は告げられませんでしたが、妻・広川ひかるさんはこれを受け入れることに。

理由を問いただしたいと思ったところ、上島竜兵さんは旅立ってしまったといいます。今となっては、そう告げてきた理由をこのように考えているのだとか。

妻・広川ひかる:「考え込んじゃう性格だから、子供の未来まで背負えなかったんだと思います。」

上島竜兵さんのメンタル面や性格、長年一緒にいてもわからない部分はあったようですが、子供について推察できたようです。

愛する妻との子供の誕生はとても幸せなことですが、その反面これから父親になるということは、とても不安で心配なもの。お金や家族関係、そして良い父親になれるかどうかという不安もあります。

さらに、子供を持つということは大人になったという最後のサインであり、後には戻れません。

また、父親になるということは自分のことを後回しにして、「家族を第一に考えなければならない」といった責任感も。

結婚する時も少なからず覚悟を決めますが、子供を持つことも覚悟が必要。上島竜兵さんは考え込んでしまう性格なので、この部分を人一倍、大きくとらえたのではないでしょうか。

上島竜兵 妻・広川ひかる~子供がいない理由:いじめ~

上島竜兵さんは実家にて、父親、母親、2歳年下の弟の4人家族でした。父親はサラリーマンとして住宅設備メーカー「ノーリツ」に勤務し、のちにエアコンや給湯器を設置する会社を経営しました。

しかし家族の暮らしは裕福ではなく、上島竜兵さんは父親が着ふるしたズボンを履いて通学。さらに、学生時代はいじめられっ子だったといいます。いじめられた時は、よく弟が助けてくれたのだとか。

いじめのつらさを身に染みて感じた上島竜兵さん。「お笑い芸人の子供はいじめられる」と考えたことも、「子供はいらない」と思った理由のひとつかもしれません。

実際、肥後克広さんの娘がいじめにあったことを目の当たりにしています。

2015年5月5日放送の日テレ「解決!ナイナイアンサー」に、肥後克広さんとバンドのボーカルの娘・肥後千暁さんが出演。ダチョウ倶楽部の娘ということで、いじめられた子供時代を語りました。

番組では肥後克広さんが、流行語大賞を取るなどブレイクした80~90年代を振り返り、当時は家族との時間が取れないほど忙しかったと話しています。

肥後克広:「お父さんたちは一発屋という話だった。熱いお湯に入って “聞いてないよ~“ っていうだけの芸で、長くないと思ってた。だから、ここで一気に行ってみようっていうのがあって。」

ダチョウ俱楽部が仕事に必死だった1994年は上島竜兵さんが結婚した年。上島竜兵さんが「子供はいらない」と妻に告げたのは、子供に手をかける余裕がなかったからではないでしょうか。

肥後克広さんは娘に対して、時間を持てなかった申し訳なさや、子育てに参加できなかった苦悩を明かしました。娘からは「嫌いだった」「怖いおじさん」といった印象を持たれていたようです。

上島竜兵さんはそうしたことを見通して、子供を持つことを避けたのかもしれません。肥後克広さんは父親として5年前から改心し、朝食づくりをするなど良きパパへと変貌を遂げています。

上島竜兵 妻・広川ひかる~子供がいない理由:金銭~

上島竜兵さんはお笑い芸人という仕事に全力を尽くしていました。また、後輩たちへ愛情を注ぎ、コミュニケーションを大切にしていました。

亡くなる直前まで飲み代で月に100万円前後の出費が続いており、遺産もほとんど残らなかったといいます。

上島竜兵さんは自分の職業柄、先輩や後輩とのお付き合いで浪費するこを予想し、養育費を持てないと考え、「子供はいらない」と言った可能性も否めません。

2023年8月3日、「NEWSポストセブン」では、妻・広川ひかるさんが上島竜兵さんとの金銭面について明かしています。

生前、「自分の財産はすべてひーちゃんに渡したい」と話していた上島竜兵さん。しかし遺言書がなかったため、遺産はお姑さんと分けることに。

「竜ちゃんの親孝行になって良かった」と感じながらも、あらためて預金の少なさを目の当たりにしました。そんな中、相続などの手続きに追われ、正直「もう少し残してくれていたら」という思いもあったとか。

さらに上島竜兵さんが他界してからおよそ3か月後、妻・広川ひかるさんに乳がんが発覚。

ステージ1の浸潤性の乳がんで入院・手術することになり、多額の出費が発生したのです。現在は2カ月に1度の通院治療を継続し、体調については回復に向かっているとのこと。

子供を持たずにいたものの、けっして裕福な生活とは言えなかった妻・広川ひかるさん。結婚28年間は上島竜兵さんへの愛だけで貫きました。

書き下ろしたエッセー本が少しでも生活を豊かにしてくれるといいですね。

◆「竜ちゃんのばかやろう」(KADOKAWA)著書:上島光 2023年8月10日刊行

妻・広川ひかる:「わたしがカニが大好物で。あの当時はケンカすると (竜ちゃんが) “カニさえ食べさせとけばコイツは大丈夫だ“ みたいな感じで、よく “かに道楽“ に連れてってもらいました。」

上島竜兵 妻・広川ひかる~子供がいない理由:病気~

女性は 18歳から45歳くらいまでを「性成熟期」と言い、妊娠・出産をするのに適した年齢。ただ、40歳で15%、45歳で4%程度と年齢とともに妊娠率は低下します。 

妊娠可能であった40歳当時、妻・広川ひかるさんは病気「甲状腺疾患」を患っていたとのこと。2023年8月21日、自身のオフィシャルブログを更新し詳細を明かしています。

「今日は献血の日なのですね」と切り出した妻・広川ひかるさん。最初に献血を行ったのは結婚した年の1994年だったそうです。

「自動車免許を取りに行った、鮫洲の試験場で合否発表を待つ間に献血バスの中で、400CC ちょっと献血量が多かったようで、クラっとしたことを思い出します」

引用:広川ひかる 2023年8月21日 オフィシャルブログ

その後も何度か献血したそうですが、2011年の東日本大震災の後は少しでも役に立てるかと思い、率先して献血に出向いたのだとか。

すると甲状腺疾患があり薬を服用しているため、「献血はできない」と言われてしまったそうです。健康の大切さを気づかされた妻・広川ひかるさん。最後に「健康な方には献血をしてほしい」とコメントを添えました。

妻・広川ひかるさんは「甲状腺疾患」とだけ話しており詳しい病状は分かりませんが、甲状腺機能亢進症の場合には流産・早産・妊娠中毒症のリスクが高くなります。

ただ、甲状腺疾患があっても適切な治療をすれば妊娠しにくいことはありません。

当時、上島竜兵さんの気持ちが変わり「子供が欲しい」と転じても、妻・広川ひかるさんの体調を優先させたのではないでしょうか。こうしたことも子供がいない理由のひとつかもしれません。

上島竜兵 妻・広川ひかるは子供が欲しかった

2023年8月10日、妻・広川ひかるさんは本名である「上島光」という名義で、エッセー本「竜ちゃんのばかやろう」(KADOKAWA) を出版。

上島竜兵さんに対しての気持ちが込み上げ、タイトルを「ばかやろう」にしたものの、ときには「わたしの方こそごめんね…」と沈むこともあったそうです。

亡くなってから1年が過ぎ、落ち着いた気持ちを持てるようになったという妻・広川ひかるさん。同時に「これからひとりで生きなきゃ」と背筋が伸びる思いにもなるといいます。

ときには「子供がいれば少しは変わったかもしれない」と感じることも。

2023年8月2日、妻・広川ひかるさんは「NEWSポストセブン」のインタビューで、上島竜兵さんと一緒に立ち上げた会社や子供について言及。

「10年ほど前に会計事務所さんに勧められるまま立ち上げた会社です。会社を畳めば金銭的にはもう少し楽になるのかもしれませんが、子供もおらず、自分たちで建てた家もなく、夫婦で作ったものはこれだけなので、なんとか残したいと思っています」

引用:2023-08-03「NEWSポストセブン」

「せめて子供がいたら…」と胸中を明かしました。今は実家に帰ると愛犬「ももでん」が毎朝起こしに来てくれて癒されるそうです。

「8時の朝ドラ見るんでしょ?」って感じで10分前位から部屋に入って来る。
うちのワンコ、時計読めるのか?

引用:広川ひかる インスタグラムより

最愛の夫を失ってしまいましたが「1人で生きなきゃ」と、りきみすぎずに自分のペースで歩んで行ってほしいですね。

上島竜兵さんはわかりやすいギャグばかりで面白さはトップクラス。多くの人々を笑顔にさせました。ケツメイシの楽曲「友よ 〜 この先もずっと…」のPVは、今となってはファンの宝物。

妻・広川ひかるさんの今後を応援したいと思います。

上島竜兵 妻・広川ひかる 馴れ初め~波乱で子供なし~

2023年9月1日放送のTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に広川ひかるさんが出演。

夫・上島竜兵さんとの子供については触れなかったものの、馴れ初めや結婚生活が波乱づくしだったことを告白しました。

2人が初めて出会ったきっかけは、妻・広川ひかるさんが高校3年生の時、学校行事の「卒業を祝う会」にダチョウ俱楽部がゲスト出演したこと。

当時からお笑い好きだった妻・広川ひかるさん。司会を務めるためダチョウ俱楽部にあいさつへ。しかし、そっ気ない態度をされたといいます。

妻・広川ひかる:「とくに竜ちゃん、もともと人見知りで、社交的な人じゃないので印象は良くなかったですね。」

妻・広川ひかるさんは、すでにものまね芸人として事務所に所属していました。このあと「発表!日本ものまね大賞」でダチョウ俱楽部と運命の再会を果たします。

その後、番組の打ち上げやプロレス会場などでたびたび出会う仲になりました。そんなある日、上島竜兵さんが広川ひかるさんに電話をかけ、肥後克広さんを含めた3人で飲もうと持ちかけます。

当日お店に着いてみると上島竜兵さんしかおらず、「肥後はおなかをこわした」と言われ、2人で飲むことに。

この時、上島竜兵さんが「付き合ってほしい」と土下座し、さらに2週間後には「結婚してほしい」とプロポーズ。肥後克広さんがおなかをこわしたというのは、2人きりになるための上島竜兵さんの作戦でした。

妻・広川ひかる:「太ってる人がそもそも好きではなかったので…友達からと思ってOKしました。」

当時、女性お笑いタレントは珍しく、オファー殺到で人気だった妻・広川ひかるさん。その後、ダチョウ俱楽部が売れ始めたことで、自分は身を引いて陰で支えようと結婚を決意しました。

「金スマ」では、そんな2人の結婚生活を「波乱だった」と伝えています。上島竜兵さんは家事はもちろん、手続き関係も一切できず、銀行通帳も持っていないような人だったとか。

妻・広川ひかる:「不器用でしたね…繊細すぎるところもあったり、可愛らしい人でした。」

子供の誕生を考えるゆとりがなかったのではないでしょうか。しかしそんな生活の中、上島竜兵さんはたびたびチラシの裏にラブレターを書いて渡していました。

亡くなってから1週間が過ぎた頃にも、妻・広川ひかるさんが日頃使っている手帳の中から最後のラブレターが…。

「ヒーちゃん大好き ヒーちゃん大好き やっぱりヒーちゃんのことが大好きなのだ すべてをヒーちゃんに渡したい」

妻・広川ひかる:「28年間、大変なこともありましたが、つらいことばかりじゃなくて楽しいこともありましたので…」

「男はつらいよ」の寅さんが大好きだった2人。上島竜兵さんは今、帰りを告げず旅に出たようです。

妻・広川ひかる:「いつも留守でしたけど、最終的には寅さんは旅に出てるっていう設定なので、わたしもそう思っていきたいなと。」

2人になったダチョウ俱楽部、当初は純烈への加入に反対するファンもいました。しかし、リーダーの酒井一圭さんが神対応しています。詳細はこちらからどうぞ ↓

2023年9月1日放送のTBS「中居正広の金スマ」広川ひかる 番組内容詳細

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そして生前妻に宛てた最期のラブレターに書かれていたものとは?

上島竜兵 プロフィール

本名・上島龍平 (うえしま りゅうへい)

生年月日・1961年1月20日

出身地・兵庫県丹波市春日町

血液型・AB型

身長・162センチ

学歴・神戸市立鈴蘭台中学校、神戸村野工業高等学校 ※現: 彩星工科高等学校

上島竜兵さんはもともと俳優志望で、「青年座研究所」や「テアトル・エコー附属養成所」に在籍していました。そして養成所で同期だった寺門ジモンに誘われ、渡辺正行さんのもとをたずねます。

すると南部虎弾さんと肥後克広さんを紹介され、1985年、24歳の時に4人組のお笑い芸人「ダチョウ俱楽部」を結成。南部脱退さんが脱退するも、テレビ番組で活動する機会が増えて大人気に。

1986年、「ザ・テレビ演芸」で10週連続で勝ち抜き、1993年、「王道バラエティ つかみはOK!」でレギュラー出演。

2005年には自伝&写真集「これが俺の芸風だ!!」を発売し、2008年、役者として「わらしべ夫婦双六旅」で初舞台を踏みました。その後、映画やドラマに多数主演し俳優としても知名度をあげています。

そんな中、2022年5月11日に他界されました。当時はドラマ「恋に無駄口」「やんごとなき一族」「家政夫のミタゾノ」など、多数のドラマの出演しています。

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