紺野美沙子 夫は氷見市副市長63歳「今は倦怠期で…」子供(息子)馴れ初め

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【2024年10月更新】紺野美沙子さんが結婚した夫の名前は篠田伸二さんといい年齢63歳。職業はテレビ局員を経て氷見市副市長の仕事に就いている。

紺野美沙子さんの馴れ初めはTBS東芝日曜劇場。紺野美沙子さんの子供、息子の現在とは…

◆紺野美沙子さんのインスタグラムより

紺野美沙子 夫は氷見市副市長 年齢63歳~名前・職業~

紺野美沙子さんが結婚した夫の名前は篠田伸二(しのだ しんじ)さんといい年齢63歳。職業は富山県氷見市で副市長の仕事に就いています。※2024年10月時点

2人は同学年、紺野美沙子さんと夫・篠田伸二さんに年齢差はありません。

紺野美沙子さんは1992年、32歳のときに一般男性である篠田伸二さんと結婚。当時、結婚相手の篠田伸二さんはテレビ局員でした。

◆篠田伸二 プロフィール

生年月日・1961年3月9日

出身地・愛知県

職業・富山県氷見市副市長

1985年4月より株式会社東京放送(現TBSテレビ)に入社後、テレビ番組プロデューサー、横浜ベイスターズ(出向)広報部長、テレビ編成局宣伝部部長などを歴任。2016年に同社退職後、起業。映画制作や舞台演出、地方創生活動などに従事。2020年、氷見市の副市長公募に応募し、810名の中から選ばれる。

紺野美沙子さんの夫は現在年齢63歳 (2024年10月時点)。富山県氷見市のホームページには、篠田伸二さんの挨拶文が掲載されています。

--- 一部抜粋 ---

私は、東京の民放キー局・TBSテレビに入社後、テレビ、ステージイベントや大型美術展覧会、そして映画などのエンターテイメントと芸術の分野で、大小様々なメディアを通して「伝えること」を追求してまいりました。

このたびこのような機会にめぐり逢い、この街に継承されてきた文化や歴史、世界に誇る景観と農水産物など…数々の「お宝」を内外にどう伝えていくか、そして、市民の皆様の総幸福量をあげる役目を、全身全霊を傾けて全うする覚悟でございます。

行政経験が無い事で不安に思われる方もあるかもしれませんが、林市長の進める氷見元気プロジェクト、そして全国のモデルとなるような地方創生のまちづくりの推進に向けて全力で取り組んでまいります。

引用:氷見市 2020年4月1日就任「篠田伸二副市長」

とても紳士的な誠実感あふれる男性。爽やかな印象です。市民の方からも好印象を持たれていそうですね。

紺野美沙子 夫は氷見市副市長【写真画像】

シンプルギフト はじまりの歌声」の上映後、舞台あいさつに登壇。

「ほとり座」の公式 X (旧:Twitter) にて、

◆「ほとり座」公式 X (旧:Twitter) より

紺野美沙子 夫は氷見市副市長~学歴・経歴~

紺野美沙子さんの夫・篠田伸二さんの最終学歴は上智大学外国語学部ポルトガル語学科。

大学在学中は、ブラジル・サンパウロの企業でインターン留学生として1年間ブラジルで過ごしました。大学を卒業するとTBSに入社。

ドキュメンタリー番組の制作を長く担い、数多くの報道や情報番組に携わっています。

また、TBSのテレビ事業局文化事業部プロデューサー、TBSの新番組の宣伝、デジタル事業戦略に力を入れ、横浜ベイスターズへの出向経験もあるようです。

その後、2016年3月末でTBSを退職し「株式会社2s」を設立。代表取締役となり映像制作や舞台演出を手掛けています。

2017年には4年間かけて制作したドキュメンタリー映画「Daddy Long Legs〜あしながおじさん〜」を発表。

さらに2018年には、映画「シンプル・ギフト~はじまりの歌声~」を公開されています。そして2020年4月1日、富山県氷見市の副市長に就任されました。

2024年は副市長という立場を4年間続けた篠田伸二さん。政治的野心はなく、今後は富山県の人口44000人の町をもっと素敵な街にしたいとのこと。

「市民の総幸福量をふやしたい」「もっと貢献したい」と話しています。

◆篠田伸二 学歴・経歴まとめ

1985年4月より株式会社東京放送(現TBSテレビ)に入社後、テレビ番組プロデューサー、横浜ベイスターズ(出向)広報部長、テレビ編成局宣伝部部長などを歴任。

2016年に同社退職後、起業。映画制作や舞台演出、地方創生活動などに従事。2020年、氷見市の副市長公募に応募し、810名の中から選ばれる。

紺野美沙子 夫は氷見市副市長~馴れ初め~

2018年1月24日放送のテレビ朝日「あいつ今何してる?」に紺野美沙子さんが出演。夫・篠田伸二さんとの馴れ初めについて明かしています

篠田伸二さんがまだTBSのプロデューサーだった頃、プロデュースしていた「TBS東芝日曜劇場」に紺野美沙子さんがよく出演していました。

紺野美沙子さんが出演した「日曜劇場」一覧

  • 東芝日曜劇場(TBS)
    • 第1271回「動物園と植物園」(1981年、毎日放送)
    • 第1349回「はじめてのお見合い」(1982年、毎日放送)
    • 第1360回「初孫や……」(1983年1月23日、北海道放送)
    • 第1387回「西陣・一条もどり橋」(1983年7月31日、毎日放送)
    • 第1429回「はじめての再婚」(1984年5月27日、毎日放送)
    • 第1479回「となりのお兄ちゃん」(1985年5月12日、毎日放送)
    • 第1502回・第1503回「じゃがいもと三日月 前編・後編」(1985年10月20日・27日、北海道放送)
    • 第1553回「あらためて、恋人」(1986年10月12日、毎日放送)
    • 第1607回「愛情ってなに?」(1987年10月25日、TBS)
    • 第1691回「がんばれジャイアンツII」(1989年6月18日、TBS)
    • 第1705回「私、結婚します」(1989年10月1日、TBS)
    • 第1707回「帰ってきたあいつ」(1989年10月15日、毎日放送)
    • 第1795回「ワタシ達の関係」(1991年7月21日、TBS)
    • 第1818回
      • 「女ですもん1」(1992年1月5日、TBS) ※原作・紺野美沙子「M-misojiのひとりごと」
      • 「女ですもん2」(1992年5月24日)※原作・紺野美沙子「M-misojiのひとりごと」
      • 「女ですもん3」(1992年12月6日)※原作・紺野美沙子「M-misojiのひとりごと」

仕事が終わると共演者などの仲間が集まり、一緒に飲みに行くことが多かったといいます。そんなグループでの飲み会でしたが、ある時ふたりきりでデートすることに…

このデートの2週間後に、紺野美沙子さんは篠田伸二さんと結婚することを決意したそうです。

当時、紺野美沙子さんは約30本のTBSドラマに出演していたこともあり、篠田伸二さんとは必然的に出会ったのかもしれません。

紺野美沙子さんの馴れ初めは「TBS東芝日曜劇場」による職場恋愛。女優として人気絶頂期だった年に結婚しています。

「TBS東芝日曜劇場」とは

『日曜劇場』(にちようげきじょう)は、1956年12月2日からTBS系列で、毎週日曜21:00 – 21:54(JST)に放送されているテレビドラマ放送枠およびその冠タイトル。ステレオ放送、文字多重放送、連動データ放送(2009年4月より)、解説放送(2023年4月より)を実施している。

1956年12月に放送を開始した、60年以上の長い歴史を持つ民放ドラマ番組枠。NHKも含めた現存する全てのドラマ枠の中で最も長寿であり、唯一1950年代から継続している。

2024年10月期の日曜劇場は「海に眠るダイヤモンド」。神木隆之介さん、斎藤工さん、杉咲花さんなどが出演しています。

日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」公式 X (旧:Twitter) より

紺野美沙子 夫は氷見市副市長「今は倦怠期で…」

2022年5月23日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に紺野美沙子さんがゲスト出演し、2拠点での私生活を明かしました。

このとき結婚30年を迎えた紺野美沙子さん。数年前、母親が他界し愛犬も亡くし、一人息子が独立したといいます。夫婦2人だけの生活になり、おまけにコロナ禍。

紺野美沙子:「 (夫が) 会社に行ってる時間はいいんですけど、在宅の時間が長くなるとどうしても3食家で食べたり、一緒にいる時間が長くなって…」

お互いの欠点ばかりが見え、きつく当たったり、えばったり、優しくできなくなったとのこと。この先、一緒に暮らすことが憂鬱になったそうです。

そんな矢先、夫・篠田伸二さんからこんな連絡があったとか。

紺野美沙子:「(氷見市の副市長の) 公募があったみたいで、私には内緒にしていたみたいで。ある日 突然、夫からLINEが来て “この度、富山県氷見市の副市長に拝命を受けました“って。」

突然の移住宣言に紺野美沙子さんはとても驚いたそうです。

紺野美沙子:「 “えーーー!なんで氷見?なんで副市長!?“って (笑)」

TBSを早期退職した夫・篠田伸二さんは、“地方を元気にする仕事がしたい“ と漏らしていたといいます。

紺野美沙子さんは仕事がないとき (3分の1程度) は氷見市に行き、夫・篠田伸二さんは完全に氷見市在住とのこと。

紺野美沙子:「でも楽しいですね。カッコいい感じ。2拠点生活って。」

立山連邦の絶景に癒され、海の幸が新鮮で美味しいそうです。スーパーの魚は “朝採れ“ というシールが貼られ、その日の朝に採れた魚がズラリ。しかも値段が安いとのこと。

夫婦共に倦怠感を感じていた時期に氷見市の副市長に就任。これが夫婦にとっていいタイミングで、いい距離感になったそうです。

篠田伸二さんと離れたことで、あらためて夫の存在の大きさや良さがわかり、氷見市の移住は好転。「徹子の部屋」では変わらぬ美貌で、紺野美沙子さんは笑顔があふれていました。

篠田伸二:「彼女には副市長内定が出て初めてLINEで報告しました。当初は驚いてましたが、現在妻も氷見市と東京の2拠点生活をエンジョイし、今では氷見市の良き応援者にもなってくれています。」

引用:2024.02.13「次の自分PROJECT」

「テレ朝POST」公式 X (旧:Twitter) より

紺野美沙子 子供は何人いるのか~息子の名前・年齢・職業~

紺野美沙子さんと篠田伸二さんの間に子供は何人いるのか話題に。これまで子供が1人。息子 (長男) が誕生していますが、名前や職業、顔写真は公表されていません。

ただ、紺野美沙子さんの息子は1995年のため、年齢は29歳に。※2024年の誕生日時点

息子さんは、幼稚園から高校まで横浜市にある中高一貫の私立・森村学園に通学。中等部・高等部では「独立自営」を建学の精神として掲げ、6年間の一貫教育で「未来志向型教育」を実践しているようです。

進学した大学については分かりませんが、現在は卒業し就職されています。実家からも離れ、独立。また就いた職業について「徹子の部屋」では明かされませんでした。

紺野美沙子さんは子育てが一段落し、夫・篠田伸二さんと良い距離感を置き、楽しく穏やかに暮らしているようです。

紺野美沙子 夫、氷見市副市長と息子の現在語る

2024年10月15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に紺野美沙子さんが出演し、現在の2拠点生活を語りました。

紺野美沙子:「富山湾越しの立山連峰ですけど、冬もきれいで四季折々に。山が見えた日は本当に世界有数の美しさだと思います。」

番組では紺野美沙子さんが撮影したという富山湾の上空に現れた虹、そして夕焼けの写真を公開しました。

そんな美しい富山県ですが、2024年元日には能登半島地震に見舞われました。紺野美沙子さんはちょうどこのとき、夫や息子とともに神奈川・横浜の自宅にいたそうです。

紺野美沙子:「すぐ (夫は富山) に戻らなければいけなくなって…。職員の方や地域の方と地震の対応にあたるという感じでした。」

夫が副市長を務める氷見市は能登半島の付け根に位置しており、富山県の中でも一番被害が大きかったといいます。

紺野美沙子:「わたしは1月5日に氷見に行ったんですけど、家の中がめちゃくちゃになって、冷蔵庫が倒れたり、テレビが倒れて壊れたり…家の中で靴を履いて、1月中はガラスの破片などの片づけをしていました。」

自治体や民間の支援部隊に物資をもらうなど、あらためて支えられて生きていると実感したそうです。

今では夫とともに枕元にヘルメットを用意しているという紺野美沙子さん。日頃は水も常備しているとのこと。

紺野美沙子:「富山県は水が豊富で、無料でくめるところが何か所もあるんですね。なので毎週末、水をくみにいくことが日課になってまして。」

こうして震災に備えながら日頃は新鮮な魚に舌鼓。夫が紺野美沙子さんに内緒で応募して氷見市副市長になりましたが、今は自身も富山を満喫しているようです。

2024年10月15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」紺野美沙子 番組内容詳細

元テレビディレクターの夫が退職後に富山県氷見市の副市長になり、横浜と富山の2拠点生活をしている紺野。元日の能登半島地震では半島の付け根にある氷見市でも大きな被害があり、断水や家具の転倒防止など改めて地震への備えを考えさせられたという。

氷見暮らしも4年が過ぎ、有名なカニや寒ブリだけでなく夏のマグロや季節限定のトビウオの刺身など地元でないと味わえない逸品にも出会うことができたそうで、ますます2拠点生活を楽しんでいると語る。

そんな紺野が子どもの頃からはまっているのが「相撲」。2022年には横綱審議委員を拝命し、今年の夏には知人の紹介で初めて溜席で相撲を観戦することができたそう。取り組みに集中していたため意識していなかったものの、その姿がテレビ中継に映り込み、SNSで話題に。注目され恥ずかしかったという紺野だが、生で相撲観戦する醍醐味を知ってもらえたらと話している。

「徹子の部屋」公式 X (旧:Twitter) より

紺野美沙子 プロフィール

本名・篠田美佐子(しのだ みさこ) ※旧姓・佐藤

生年月日・1960年9月8日

出身地・東京都狛江市

血液型・A型

身長・167cm

学歴・カリタス女子中学校、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒業

3人姉妹の次女で、小学5年生での演劇部がきっかけで演技と出会います。児童劇団に入るとNHK「少年ドラマシリーズ」等に出演。

1979年には3代目「ユニチカマスコットガール」に抜擢されました。1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」の主役を演じ、1998年、国連開発計画親善大使に就任。

国際協力の分野でも活躍し、著書「ラララ親善大使」を出版しました。2010年、「紺野美沙子の朗読座」を主宰。2016年、岐阜県図書館名誉館長に就任しています。

最近では、2021年に銚子電鉄の「激つらチャンネル」でYouTubeデビューを果たし、2022年からは横綱審議委員会委員を務めています。

2024年は「徹子の部屋」、朗読座「源氏物語の語りを愉しむ~紫のゆかりの物語」などに出演。

◆紺野美沙子さんのインスタグラムより

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