上沼恵美子【若い頃画像】姉と漫才師歌手「いじめ受け…」

芸能

テレビ朝日「徹子の部屋」に上沼恵美子さんが初出演。若い頃の画像を公開するとともに、姉との漫才師時代を振り返りました。

「漫才はね、本当はやりたかったわけじゃないんですよ」ライバルは天童よしみ!?上沼恵美子さんが若い頃に漫才をやることになってしまった理由やイジメとは…

上沼恵美子 若い頃の画像公開~徹子の部屋~

2022年2月1日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」では、上沼恵美子さんが若い頃の画像を公開。昔の美しい姿に驚いた視聴者も多かったようです。

公開された写真はビクターエンターテイメントより発売した大ヒット曲「大阪ラプソディー」の表紙。1976年2月25日にリリースされた漫才コンビ・海原千里・万里のシングル曲です。

作詞は山上路夫氏、作曲は猪俣公章氏が手がけ、40万枚ほどの売り上げがありました。「大阪ラプソディー」は現在もAmazonなどで販売中。

懐かしいメロディーは、カラオケでもよく歌われています。

1998年12月12日、あの 「モーニング娘。」の元リーダー・中澤裕子さんが 「中澤ゆうこ」という歌手名でカバーしました。「大阪ラプソディー」は日本の歌謡曲として残したい1曲です。

※ 上沼恵美子さんは右側です

上沼恵美子 若い頃は歌好き 「のど自慢荒らし」

小学生時代は歌手の畠山みどりさんに憧れていたという上沼恵美子さん。歌が大好きで歌唱力も高かったようです。

各所の “ちびっ子のど自慢大会“  でグランプリを取り、「のど自慢荒らし」とも言われていました。

「日清ちびっこのどじまん」では第16回大会に優勝。この前大会に優勝したのが天童よしみさんでした。

そして東京で行われる優勝者同士のチャンピオン大会では、あの天童よしみさんと対戦することに。

この時の思いを2021年12月12日放送の読売テレビ「上沼・高田のクギズケ!」で明かしています。

上沼恵美子:「“どないしたんこの人“ という感じです。降りて来た人 “天童”、歌の神が降りて来た子供さんでした。びっくりしたわ。」

天童よしみさんの歌声は会場の観客やスタッフ、全ての人を魅了。みんなの予想通り、チャンピオン大会は天童よしみさんの優勝となりました。

心の底から歌が好きだった上沼恵美子さんは悔しさと納得の気持ちと半々。

上沼恵美子:「(歌が) 大好きです。歌手になりたかったんです。」

しかし歌手になる夢を持ち続けていたところ、漫才師に急展開!

上沼恵美子 若い頃は漫才師コンビ~いじめ受け~

上沼恵美子:「漫才はね、本当はやりたかったわけじゃないんですよ。」

「徹子の部屋」では、漫才師になった理由を明かしています。

当時、6歳上の姉は漫才コンビを組んでおり相方がいました。しかしある日、姉の相方が突然失踪。

演芸好きの父親が「恵美子、おまえ行け」と言い出し、急きょ相方をやることになったのだとか。

上沼恵美子:「も~、すごく嫌でした。人に笑われるなんて。」

当時14歳、若き乙女心から反発心、父親に断りを入れたといいます。しかし翌朝、母親から「お父さん、涙流してた」と聞き、引き受けることを決心。

上沼恵美子:「3年くらい、父親に人生渡してもいいかなと思って。」

しかしいざ漫才を始めてみると、劇場の楽屋で色んな私物を他の芸人に隠されたといいます。姉もまゆずみを隠され、ボールペンで眉毛を描きステージへ。

上沼恵美子:「あの頃はいびられたり、まぁ~嫌われてたわけじゃないんですけど、可愛いとダメでしたね。」

ルックスが可愛かったためイタズラばかりされるなど、少々いじめを受けていたのだとか。しかしその後、姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」は超人気の芸人に成長!

上沼恵美子 若い頃の漫才コンビで歌手活動

幼少期から姉は浄瑠璃のものまね、上沼恵美子さんは美空ひばりのものまねを披露し、お笑いのセンスがありました。

漫才コンビ「海原千里・万里」はアイドル並みの超人気コンビに成長。上沼恵美子さんは “漫才界の白雪姫“ と呼ばれていたほど可愛かったのです。

1968年、中学生で大須演芸場の舞台に立ち、卒業後の1971年に漫才コンビ「海原千里・万里」としてデビューを果たしています。

この年、「上方お笑い大賞銀賞」を受賞。「可愛いルックスの女子高校生、巧みな話術で魅了」と注目を集めました

1973年には「NHK漫才コンテスト優秀敢闘賞」を受賞し、1975年にはレコード「大阪ラプソディー」が40万枚の大ヒット。

1974年、19歳の時には盲腸で10日間入院したこともありましたが、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。

そして1975年、20歳の時に出演した関西テレビ「日曜ドキドキパンチ」で、現在の夫である関西テレビの元ディレクター・上沼真平さんと出会っています。

上沼恵美子 若い頃22歳で電撃結婚~解散から復帰~

8歳年上の上沼真平さんと熱愛交際に進展し、1977年5月22日に入籍。「海原千里・万里」は上沼恵美子さんの結婚を機に解散となりました。

親族全員が反対する結婚でしたが、ラスベガスからカウアイ島へ渡る新婚旅行を決行。その後に芸能界を引退しています。

22歳で結婚した上沼恵美子さん。翌年に子供を出産し、専業主婦として過ごしていました。しかしある時、仕事のオファーをもらい復帰への気持ちが揺らぎます。

上沼恵美子:「燃え尽きてなかったんだと思います。ちょっとキザな言い方をすると。」

ずっと専業主婦でいることが耐えられなかったという上沼恵美子さん。夫の上沼真平さんは復帰を理解してくれたものの条件を出してきたのだとか。

  • 絶対に東京に行ってはいけない
  • 東は滋賀県、西は姫路まで
  • ドラマ・芝居・歌はダメ
  • 夫の年収を超えてはいけない

上沼恵美子:「年収なんか次の年に超えました(笑) 全部、約束を破ってしまったんです。」

結婚が早かったせいか、芸能界での輝かしい時代を思い出して仕事が楽しくなったのかもしれません。復帰後は、現在まで夢中で走り続けてきたそうです。

解散後もたびたび主婦となった姉・万里さんと歌を披露。毎年年末に放送されるNHK「わが心の大阪メロディー」にて “大阪ラプソディー“ はリクエストの多い楽曲のひとつとなっています。

上沼恵美子 若い頃23歳のときに父親が病死

姉の相方が逃げ出し、父親に打診されたことでお笑いの世界に入った上沼恵美子さん。芸能界入りのきっかけとなった父親を55歳という若さで亡くしています。

  • 1978年4月、長男・上沼清太郎さんを出産
  • 同年7月、「上沼恵美子」として芸能界 復帰
  • 同年12月、父親が病死

当時、上沼恵美子さんが23歳の時でした。「徹子の部屋」ではそんな父親への思いを明かしています。

上沼恵美子:「自分の好きな世界に放り込んどいてね、勝手に天国へ上がってしまったんですよ。」

今でも墓参りに行くと、早く逝ってしまったことを愚痴っているそう。

上沼恵美子:「死んでる場合か~言うてね。でも死んでます。」

黒柳徹子:「あなた面白いですね(笑)」

悲しい話も上沼節で笑いに変える上沼恵美子さん。率直にズバズバ言う性格のため、このコンプライアンスが厳しい時代に向いてないと自己分析する場面も。

ちなみに上沼恵美子さんの母親は、自宅でお好み焼き屋や焼肉屋などを営む経営者でした。晩年は大阪府枚方市で過ごすも 2015年12月12日に90歳で他界されています。

今こうして上沼恵美子さんが芸能界で活躍しているのは、「持ち前の実力」と「父親のおかげ」なのでした。

上沼恵美子 若い頃から現在まで~出演番組や著書~

家庭と仕事を両立させ、「上沼恵美子」として数々の活躍を見せています。復帰後から現在までの活躍を一部抜粋しました。

  • 新伍のワガママ大百科(毎日放送、TBS系列全国ネット)
  • ん?!上沼・鶴瓶あがってま~す!!(読売テレビ)
  • 上沼恵美子は見た!日常ワイド劇場(TBS)
  • M-1グランプリ(朝日放送・テレビ朝日系列全国ネット)※審査員
  • 上沼恵美子のこんな夫婦どないしたらええねん!(読売テレビ)
  • 週刊えみぃSHOW(読売テレビ、関西ローカル)
  • 快傑えみちゃんねる(関西テレビ)
  • わが心の大阪メロディー(NHK大阪放送局)
  • 上沼・高田のクギズケ! (日本テレビ)
  • 上沼恵美子のおしゃべりクッキング (テレビ朝日)
  • NHK紅白歌合戦

1976年には映画「トラック野郎・望郷一番星」でドライブインの女将役を演じています。

M-1グランプリでの審査員姿は存在感がありますね。長寿番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」は1995年にスタートし2022年まで放送。

2011年には著書「犬も食わない 上沼さんちの夫婦げんか事件簿」を出版されました。軽快なトークでラジオ番組「上沼恵美子のオールナイトニッポンGOLD」を2015年にスタートさせています。

上沼恵美子さんは現在の仕事は、1993年から開始した朝日放送ラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」(2000年からは『ABCパワフルアフタヌーン』)のパーソナリティー。放送日時は毎週月曜日 12:00~15:00です。

そして「気になる情報のウラのウラ 上沼・高田のクギズケ!」。2011年より一部日本テレビ系列局で日曜の午前11時40分から放送中!

長寿番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」は1995年にスタートし、2022年3月末まで放送。惜しくも終了してしまいました。

上沼恵美子 若い頃から走り続けた芸能界を引退?

2022年2月1日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」では憧れの黒柳徹子さんと初対面。47年目の放送を迎える記念週での登場でした。上沼恵美子さんは鳥肌が立つほど超緊張!

上沼恵美子:「も~本当に、(黒柳さんは) 神です!」

「徹子の部屋」では、25年以上続いた「上沼恵美子のおしゃべりクッキングが 2022年3月末で終了する」と明かしました。さらに上沼恵美子さんは年齢やコロナ禍を考慮し、芸能界引退を考えていると告白。

上沼恵美子:「なんとなくこう、しがみつくところが無いんですよ。辞めようかなっていうとコアなファンの方は辞めないでくれっていう、でもやる私はもう席が無いんじゃないかと思ってる。」

そこで上沼恵美子さんは黒柳徹子さんに真剣相談。

“徹子さんはずっと走り続けているが、どんなエネルギーがそうさせているのか?“

ここからの黒柳徹子さんのアドバイスが神対応でした。

黒柳徹子:「やっぱり私はこの番組が好きだからだと思います。」

ザ・ベストテンなど今まで出演した全ての番組が心から大好きで、その愛情が継続のチカラになったとのこと。

そんな黒柳徹子さんも実は一度引退を考えたことがあったとか。それはしばらくニューヨークに滞在した時の事だったといいます。しかし帰国してみると仕事があることに有難みを感じ感謝。

黒柳徹子:「(あなたも) おやりになった方がいいんじゃないの?あなたのためには。」

今持っている番組を続けていれば “上沼恵美子の面白さ“ から、また違う広がりがあるかもしれないとアドバイス。

上沼恵美子:「私、言う通りします!黒柳さんに言われたら絶対言う通りにします!!」

「芸能界を続けてみよう」と元気・勇気・やる気をもらえたとのこと。緊張しているにもかかわらず、面白いキレキレの話術を見せた「徹子の部屋」。

上沼恵美子さんが引退するには、まだまだもったいないと思った視聴者は多いのでは? 今後も様々な番組で活躍を見せてほしいですね。

上沼恵美子 若い頃 相方だった姉・海原万里【画像・動画】

上沼恵美子さんは自身のYouTubeチャンネルで、テレビ出演や私生活などの情報を投稿しています。チャンネルではたびたび姉の万里さんが登場。とても仲良し姉妹だということが分かます。

ごく普通の姉妹のようですが、息の合った駆け引きは漫才そのもの。今後も姉の万里さんを定期的にゲストとして迎えてほしいと思える、楽しいトークです。

【前編】上沼恵美子がお姉ちゃんと有馬温泉で「温泉旅館で起きた様々な思い出」を語りました。 後編はこちらです  • 上沼恵美子がお姉ちゃんと有馬温泉で.. 

◆ You Tube「上沼恵美子ちゃんねる」より 

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上沼恵美子 プロフィール

本名・上沼恵美子 (かみぬま えみこ)  旧姓:橋本

生年月日・1955年4月13日

出身地・兵庫県三原郡福良町

血液型・O型

身長・164cm

学歴・帝国女子高等学校大和田校 中退

父親の職業は銀行員。3人兄弟の末っ子として生まれました。

1971年、姉と漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里としてデビュー。ルックスが可愛い現役女子高生でした。トーク力もあり超人気者に!

1976年、姉と一緒に歌った「大阪ラプソディー」が大ヒットするも翌年に電撃結婚。これをきっかけにコンビは解散します。

しかし後に「上沼恵美子」として活動再開。1994年より2年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めました。後にM-1グランプリの審査員にも抜擢され、注目を集めます。

1995年4月からスタートした料理番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」は長寿番組でしたが、2022年3月末をもって終了へ。

2024年は、1993年より放送の「上沼恵美子のこころ晴天」と2011年より放送の「上沼・高田のクギズケ!」という長寿レギュラー番組に出演中。

現在も辛口トークが面白くて大人気。関西トップの女性タレントです。

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