小堺一機 がん闘病を支えた嫁、息子、娘たち。父親は南極料理人!?

 

サイコロトークで有名な小堺一機さん。

12月19日、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演し、関根勤さんとの爆笑話しや、父親の南極行きエピソードを激白。

がん闘病時には妻や息子、娘たちが心強く支えてくれたようです。

 

 

プロフィール

本名・小堺 一機(こさかい かずき)

生年月日・1956年1月3日

年齢・63歳

出身地・千葉県市川市

血液型・A型

身長・165cm

学歴・新宿区立牛込第二中学校、東京都立市ヶ谷商業高等学校、研数学館、専修大学経営学部卒業

 

生い立ち ~転々と移住~

生まれてしばらく千葉県市川市で過ごした小堺一機さん。小学2年生になると、父親の仕事(寿司職人)の関係で東京浅草へ移住しました。

その後、映画やデザイナーに興味を持ったり、児童合唱団に所属。子供の頃から華やかな道に憧れます。

小学4年生では文京区に、小学5年生には新宿区に転居。

小学校の健康診断で赤緑色弱(色覚異常)が発覚し、デザイナーの夢は断念しました。

 

関根勤で人生激変!?

大学時代に、テレビ番組「ぎんざNOW!」の “素人コメディアン道場”で、第17代チャンピオンに輝きました。

卒業すると、勝新太郎さんが主宰していた “勝アカデミー” の第1期生となります。小堺一機さんの師匠に勝新太郎さんというのは意外ですね。

その後、浅井企画と契約して芸能活動をスタート。

浅井企画で先輩だった関根勤さん (当時:ラビット関根)とコンビ “コサキン” を結成します。2人でライブ活動を行う中、萩本欽一さんの「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に “クロ子とグレ子” で出演。

関根勤さんとコンビを組んだことで注目を集め、大ブレイクを果たしました。

 

ものまねレパートリー数に仰天!

小堺一機さんは1984年開始の「ライオンのいただきます」や、2016年に終了した「ライオンのごきげんよう」の司会を務め、フジテレビのお昼の顔として活躍していました。

しかし原点はモノマネ業!?

レパートリーが、こんなにあるんです!

吉岡秀隆(北の国から)、萩本欽一、水谷豊、

ビートたけし、堺正章、桃井かおり、

北大路欣也、ピーコ、田村正和(古畑任三郎)、

小泉純一郎、勝新太郎、舘ひろし、矢沢永吉、

IKKO、広瀬香美、丹波哲郎、藤岡弘、稲川淳二、

あき竹城、森田健作、なぎら健壱、中尾彬   

※ 他多数

 

モノマネが大好きな小堺一機さん。2019年6月に伝説のモノマネ番組「コサキン・天海の超発掘!ものまねバラエティー マネもの」の司会を関根勤さんや天海祐希さんと務めています。

12月19日の「徹子の部屋」は、モノマネで登場!

 

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父親は南極料理人!?

小堺一機さんは父親・母親・妹の4人家族。父親・秀雄さんは寿司職人でした。

「鮨一機」という店を経営していましたが現在は引退され、弟子が引き継いでいるとのこと。

父親・秀雄さんは、ちゃぶ台をよくひっくり返す昭和な男。しかし翌日には、壊したちゃぶ台を修理するという几帳面な性格の持ち主でもあるようです。

小堺一機さんが小学生だったある日、父親が突然「南極に行く」と宣言。家族には相談せず、南極越冬隊(昭和基地)の調理担当に応募していたといいます。

その後、父親の南極エピソードがメディアに取り上げられ、1997年にはテレビ番組の企画で父親と一緒に南極を旅しました。そのときの感想が掲載されています。 ↓

 

小堺一機:「僕が10歳の時と高校生の時ですね。父が南極に行くと、帰ってくるのは1年半後。越冬隊なので現地で1年、それから当時の「ふじ」という砕氷船で往復するのに半年かかりましたから。」

出典・「ピートのふしぎなガレージ」2019.1.26 南極観測隊員だった父との南極旅行

 

南極で流しそうめんにチャレンジしたり、ホワイトアウトに遭遇したり、感動と驚きの連続だったとか。親子で胸に残る貴重な体験ができたようですよ。

父親の秀雄さんは、なんと本を出版されています!

「小堺の父 ー南極で流しソーメンをした偉大なる男」(1988.9.1)

小堺一機さんの明るく楽しい性格は、父親譲りだったのですね。

 

がん闘病を支えた家族

小堺一機さんは1985年に、7年の交際期間を経て一般女性と結婚。

その後、長男・長女・次女と3人の子供が誕生しました。

幸せに暮らしていた2004年のこと。ひげを剃る際に、首あたりのしこりに気づいたそうです。病院で診てもらうと病気が発覚。

がん(原発不明頸部リンパ節転移)と診断されたといいます。痛みは無く、どこから転移したのか分からない がん。

摘出手術が必要でレギュラー番組を一時降板しました。

 

小堺一機:「手術しないとだめだ」と言われて、やっぱりショックだったけど、ちょうど舞台公演の「小堺クンのおすましでSHOW」が20回目のタイミングだったのに休まざるを得なかったことのほうがショックでしたね。」

 

「家族もドラマのような特別な感じはなくて、普通でした。毎日病院に来るわけでもなかったし、家族って本当はそんなものだと思いますね。距離感というか、普通でいてくれたことが良かった。あえてそうしてくれたと思っています。」

出典・「産経ニュース」2016.9.8 タレント・小堺一機(4)がんを乗り越え現場復帰

 

妻、息子、娘たちはきっと、ただならぬ心配をしたはず。平然を装い、小堺一機さんが精神的に参らないよう努めたのでしょうね。

家族の優しさをうかがい知ることができました。

小堺一機さんは、このがんを期に禁煙されています。これは家族への思いやりでもありますよね。深い家族愛で支え合っているようです。

 

息子も現在、司会者!

小堺一機さんの長男・翔太(しょうた)さんは、1986年12月9日生まれの33歳。

帝京大学文学部社会学科を卒業され、現在はタレントやフリーアナウンサーとして活躍しています。

大学時代は放送研究会に入り、アナウンサーを志望。大学4年生の時に東京アナウンスアカデミーに通っていました。

事務所は父親に頼らず自身で探し、“タイムリーオフィス” に所属しています。

 

 

2011年、「トヨタレンタリース埼玉」のCMでデビュー

2014年にはNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で、織田信雄役として出演し、ドラマデビューを果たしています。

 

現在の活動は・・・

◇ NHK・Eテレ『高校講座 数学1』司会

◇ チバテレ『小堺翔太のほっこり街探』

◇ テレ玉『彩の国ニュースほっと』レポーター

◇ グリーンch「中央競馬全レース中継」(日 前半)

  「アタック!地方競馬」(土)など。

 

2019年11月、浦和競馬場で『浦和記念スペシャルトークショー』のMCと表彰式の花束プレゼンターを務めています。

2019年12月は、中京競馬場・メディアホールにてイベント『ジョッキートークショー&一足早いXmasプレゼント抽選会』のMCを担当。

趣味の競馬を生かしたお仕事が多いようです。父親同様、トーク力があり名司会ぶりを発揮しているとのこと。

小堺翔太さんは若い頃の小堺一機さんにそっくりで、身長も同じ。今後の活躍が楽しみですね!

 

小堺一機 出演情報

2020年2月1日(土)、2日(日)に「関根勤×小堺一機 トークライブ 酷白スピンオフ~恋する少年~」が開催されます!

息の合った名コンビ。「欽どこ」時代の懐かしい雰囲気を楽しんでみるのもいいですね。

 

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