2019年9月12日放送のフジテレビ「直撃!シンソウ坂上」に、俳優の中井貴一さんが出演。
姉で女優の中井貴恵さんにも伝えていない亡き母・中井益子さんとのエピソードや、父・佐田啓二さんの死因について思いを明かしました。
中井貴一さんが結婚した6歳年下の妻との馴れ初めや、子供の誕生とは…
⏰このあと夜9時~放送⏰
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中井貴一 プロフィール
本名・中井貴一 (なかい きいち)
生年月日・1961年9月18日
出身地・東京都世田谷区
血液型・A型
身長・181cm
学歴・成蹊大学経済学部卒業
父親は昭和の人気俳優の佐田啓二さん、姉は4歳年上の女優、中井貴惠さんで芸能一家。
1981年、松林監督の映画「連合艦隊」で俳優デビュー。この作品で日本アカデミー賞 新人俳優賞を受賞しました。
1983年のドラマ「ふぞろいの林檎たち」は、自身の出世作。15年に渡り、シリーズ化されています。
2003年、主演映画「壬生義士伝」では、日本アカデミー賞と日刊スポーツ映画大賞主演男優賞を受賞。
また、三基商事の「ミキプルーン」や「DCカード」のCMは、中井貴一さんのそのキャラクターから、とても印象に残るものとなりました。現在、ベテランの演技派俳優です。
中井貴一 若い頃【画像】
中井貴一さんは高校時代、テニスに熱中していたため俳優になることは一切考えずにいたそうです。
しかし、父親の法要で映画監督の松林宗恵氏から「君は昭和の顔をしている」とスカウトされたことで、成蹊大学在学中に俳優を開始しました。
「“やります“ と言ってしまった…この仕事を好きにならなくては」
映画「連合艦隊」で俳優デビューした中井貴一さん。直後のドラマ「ふぞろいの林檎たち」に出演すると人気が急上昇しました。
デビュー直後は、「俳優はみんな、仕事の面白さをどこに求めてやっているのだろう」というところから掘り下げて追及していたのだとか。
そんな中、作品1本を大切に自分が吸収できることや興味を持てることを探していったといいます。
とくに、中井貴一さんが24歳の時に主演を務めた映画「ビルマの竪琴」(1985年) は、深く印象に残る作品。日本兵の霊を慰めるため、僧侶となってひとりビルマの地に残る兵士の姿を見事に演じています。
中井貴一さんの若い頃の画像はこちら↓
中井貴一さん22歳、「ふぞろいの林檎たち」ではキリッとスーツ姿で演じています。
中井貴一 結婚した妻や子供は
中井貴一さんは、30代前半にプロテニス選手の伊達公子さんと熱愛報道がありました。テニスという共通点から親しくなりますが、結婚には至っていません。
若くして亡くした父親の年齢を超えるまで、結婚を考えずにいたようです。
その後、2000年の39歳の誕生日に、新たに出会った女性と結婚しました。結婚相手は友人の元同僚で、6歳年下の吉谷麻友子さん。
馴れ初めは、中井貴一さんの誕生日パーティーで知り合ったこと。妻となった女性の画像はありませんが、女優の石田えりさん似で美人なのだとか。
また、これまでに子供は誕生していないようです。。妻の麻友子さんは、外資系の会社で働いているとのこと。
夫の中井貴一さんの収入だけで生活できそうですが、麻友子さんも収入を得て、夫を陰ながら支えているようです。
中井貴一 父親の事故死因に言及~鬼母に号泣~
2019年9月12日放送のフジテレビ「直撃!シンソウ坂上」では、中井貴一さんが父親や母親への思いを明かしています。
父親の佐田啓二さんは国民的な二枚目俳優で、代表作は1953年の映画「君の名は」。当時、父親は撮影所の食堂で働いていた益子さんと出会い結婚しました。
その後、家族4人で幸せな生活を送っていたといいます。
しかし、中井貴一さんが2歳の時のこと。父親が車で仕事に向かう途中、国道の橋に激突してしまい帰らぬ人に…
中井貴一:「原因は、運転手の居眠り運転でした。」
当時、母親は人を恨むことのないように、父の死を「運命だった」と言い続けたのだとか。33歳にして未亡人。貯金を取り崩しながらの生活だったようです。
父親の他界後は、中井貴一さんが男として一人前に育つよう、しつけが厳しかったといいます。
中井貴一:「俺は殴られた思い出しかない。」
家族で食事中、母親が食卓の醤油を取ろうとするだけで、中井貴一さんは顔を叩かれるのではないかと反射的にそむけるほど。
しかし、ときには父親の出演する映画に連れて行き、“佐田啓二の偉大さ“ を伝えたり、成績表を褒めてくれることもあったそうです。
中井貴一:「僕はその残酷さが自分にとって良かった。子供に対する免疫の付け方をもっと大人が考えるべきだと思う。」
体罰やコンプライアンスが厳しくなった現代。中井貴一さんの言葉は深く胸に突き刺さるものがありました。
母親に「佐田啓二の足元にもおよばない」と言われ続け、俳優生活を送った中井貴一さん。体調を崩して入院した母親と、死の直前2人きりに…
中井貴一:「おふくろ、一回だけ頭をなでてくれよ。」
この時、泣き崩れるように涙が溢れたといいます。
“偉大すぎる父親の名前を背負い、頑張り続けている姿を褒めてほしい“
こうした気持ちを、どこかに持ち続けていたようです。
俳優として成長した今だから分かる厳しい母のしつけ。父親を追うようにして就いた俳優業。中井貴一さんにとって家族の繋がりは、大変深いものでした。
今後も両親の存在が、大きな力を与えてくれそうですね。