タモリ サングラスの理由は電柱ワイヤーでの失明~生い立ち・若い頃~

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大御所タレントのタモリさん。サングラスがトレードマークですが右目は失明しています。小学生の時に電柱のワイヤーに顔をぶつけたことが原因。デビューする30歳の時に義眼にしました。

芸能界に入る前は営業マンとして優秀な成績を残しています。そんなタモリさんの生い立ちや若い頃とは…

 

タモリ 生い立ち~若い頃は営業マンでトップ~

子供の頃はテレビゲームもなく、海でボーっと船を眺めたり祖母の調理姿をよく眺めていたそうです。

戦争で、貧しい時代に育ったタモリさん。小学校に入学すると退屈だった時間から解放されたことがうれしかったのだとか。

孤独でひとりぼっちだった反動から、同級生と毎日のように遊び明け暮れます。そしてこの頃、子供らしい楽しい遊びをたくさん学びました。

また、タモリさんは小学生時代に「一休さん」のトンチ話をするのがうまかったり、音楽も好きで、お姉さんのピアノに合わせてよく童謡を歌っていたとのこと。

小学2年生の時には自分から積極的に連絡事項を黒板に書くなど、先生にも好印象を与える生徒だったそうです。さらにクラスでは学級委員長を務めていました。

この時、人前で何かやることに快感を覚えたというタモリさん。「僕にとって初舞台は教壇だった」と話しています。

大学は一浪し、早稲田大学第二文学部に進学。しかし、学費未納のため抹籍処分になりました。その後、色んな職を経験したそうです。

朝日生命の外交員時代は営業成績がトップクラスで表彰されました。この時に、同僚の一般女性と結婚。番組でも、自然と奥様の話が出てくることがありますね。

喫茶店のマスターだった頃には、ウィンナコーヒーの注文があると本当のウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出したことも。

1975年の30歳の時にデビューしていますが、師匠は漫画家の赤塚不二夫さん。毎月20万のお小遣いをもらっていたのだとか。ここまでビッグタレントになるとは夢にも思っていなかったようです。

大御所となり歳を重ねた今。趣味の料理・船舶・鉄道などを満喫し、ゆっくり余生を楽しんでほしいですね。

 

タモリ サングラスの理由は電柱ワイヤーでの失明

タモリさんはサングラスがトレードマークですが、実は右目を失明されています。それは子供の頃の事故が原因。

タモリさんが小学4年生の1学期の時、社会科見学で東公園を訪れた際に電柱のワイヤーに顔をぶつけてしまい大ケガを負いました。

この時、針金の結び目の部分が右目に突き刺さってしまいます。担任の先生がすぐに眼下に連れて行くも、医師から「失明」と診断されてしまいました。

※ 社会科見学ではなく、学校の下校中の出来事だという説もあります。

このあと2か月間、タモリさんは学校を休み治療に専念しましたが、視力が戻ることはありませんでした。デビューする30歳の時に義眼にしています。昔のタモリさんを知っている方は、黒い眼帯姿を思い出しますよね。

少し斜視 (黒目がズレている) ため、それを隠しているとのこと。「森田一義アワー 笑っていいとも!」を引退し、若い世代にバトンタッチ。

他のレギュラー番組「ブラタモリ」「ミュージックステーション」では今でも元気な姿が見られますね。この2つの番組も長寿番組。タモリさんの実力を感じます。

これからも、まだまだテレビで活躍してほしいですね。

 

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