桂由美 子供いる?「子供出産よりも…」夫は職業弁護士 馴れ初め 孫

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ネット上で桂由美さんに「子供いる?」などと子供はいるのか話題だが現在まで誕生していない。そのため孫もおらず、後継者に注目が集まっている。桂由美さんはインタビューにて子供がいない理由について語った。

桂由美さんが結婚した旦那は「結城義人 (ゆうき よしと)」といい、年齢差11歳上で職業は元官僚で弁護士。馴れ初めの「お見合い」とは…

桂由美さんのインスタグラムより

桂由美 結婚した夫は結城義人~年齢差・職業・結婚歴~

桂由美さんには結婚歴が1回。

桂由美さんが結婚した夫は「結城義人 (読み方:ゆうき よしと)」さんといい、年齢差は11歳上。職業は大蔵省(現:財務省)の官僚で造幣局長にも務めていました

その後、夫・結城義人さんは退官後 60才にして司法試験を受け、弁護士に就いています

桂由美さんと夫・結城義人さんが結婚した時期は1972年。当時、夫・結城義人さんは53歳で初婚でした。桂由美さんは42歳という年齢で結婚しています。

晩婚だった2人、当時 桂由美さんは夫・結城義人さんの人柄について次のように言及。

大蔵省造幣局長まで務めた人でしたが、役人らしからぬユーモアにあふれた人

夫・結城義人さんと初めて出会ってすぐに意気投合。

そして出会ってから3か月後の浜離宮でのデートのときに「20年早く会いたかった」とプロポーズされ、桂由美さんは結婚を決めています。

◆結城義人 プロフィール ( 学歴・経歴 )

出身地・千葉県

学歴・1941年、高等試験行政科に合格、同年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業

経歴・大学卒業後、大蔵省入省し主税局に勤める。1942年、大蔵属と兼務して大東亜属・中華民国南京出張駐在。その後 1944年に前橋税務署長となり、東京財務局へ。

1945年、大津税務署長。1946年、大蔵事務官。1947、大阪財務局。1948年、麻布税務署長。1949年、証券取引委員会事務局取引課課長補佐、同総務課兼取引課課長補佐。

1950年、同取引課兼総務課課長補佐、関東信越国税局間税部長。1952年、国税庁直税部資産税課長心得。1955年、印刷局長官房職員課長。1956年、印刷局長官房総務課長。

1958年、管財局特殊清算課長。1959年、管財局管理課長。1960年、関東財務局総務部長。1962年、海外経済協力基金総務部長。

1964年、国税庁徴収部長。1966年、大臣官房財務調査官(主税局担当)。

最終的に1967年、大蔵省造幣局長に就任しました。その後 1968年6月に辞職し、政府系金融機関に。同年は中小企業信用保険公庫理事も務めています。

桂由美さんの夫・結城義人【 画像 】

桂由美 夫・結城義人との馴れ初めは「お見合い」

桂由美さんと夫・結城義人さんの馴れ初めは「お見合い」

桂由美さんは若い頃からたくさんのカップルの結婚式をサポートしてきましたが、その中で、ある夫婦像にあこがれを抱いていたのだとか。

よく周りから古風だと言われる桂由美さん。時代劇で武士の夫が帰宅したときに、妻が夫の腰に付けている刀 (かたな) を抱くように受け取るシーンを素敵だなと思って観ていたそうです。

桂由美:「あんな夫婦像にあこがれていたのです。」

このときすでに40代。桂由美さんはやっと仕事が軌道に乗り始め、人生のパートナーがほしくなったのだとか。

そしてホテルオークラで「お見合い」すると、3人目にして運命の出会い。夫・結城義人さんが現れたのです。

桂由美:「お相手は大蔵省という固いお役所の方ですから、”必ず着物で来てください” と言われていたので、仕方なく着物で出かけました。

(後に夫は) ファッションデザイナーとの見合いだから、どんな人が現れるかと勇んで行ったのに、着物を着た女が現れてがっかりしたよって」

引用:2023.10.01「独立メディア塾」

夫・結城義人さんは当時、大蔵省勤めで安定した地位と収入があるため、条件がいいからとお見合い相手から引っ張りだこ。すでに36人とお見合いを重ね、桂由美さんは37人目でした。

早くに父親を亡くし、母と同居していた夫・結城義人さん。桂由美さんに「僕の母親との同居を条件にすると、断られるんだ」と笑いながら話したそうです。

そんなユーモアある性格に惹かれていった桂由美さん。自分としては古風なところがあったため、「姑との同居」についてはさほど気にしなったのだとか。

夫・結城義人さんも「ファッションデザイナー」という職業を持っていることで、桂由美さんに興味を抱いたとのこと。

また、桂由美さんの結婚条件としては「ブライダルファッションデザイナーを一生続けていく覚悟なので、結婚後も仕事を許してくれること」と話しています。

私の仕事に口出ししない人であってほしかった。それに、違う畑で活躍して、それが尊敬できるものであってほしいとも考えていました。

引用:「女性セブン」2015年7月16日号

お見合いをした初対面の時期は初夏。「わざわざ重い着物を着て行かなくてもよかったのに」と、着物でのお見合いは夫婦の思い出深いエピソードとなっていたそうです。

桂由美 夫・結城義人との結婚式~場所は帝国ホテル~

桂由美さんがデザイナーであることや晩婚だったことで、2人の結婚式は大変注目を集めました。桂由美さんが結婚式を行った場所は、東京・千代田区にある「帝国ホテル」。

夫・結城義人さんの招待客には政治家や役人など多忙な方が多かったため、立食スタイルにして、好きな時間帯に来てすぐに帰れるよう、帝国ホテルを選んだのだとか。

桂由美さんの披露宴は司会者や立会人も一切なし。会場に飾る花だけは豪華なものがいいと、バラやアカシアなど1万本を用意してもらったといいます。

そんな思い出深い結婚式・披露宴は夫婦で一緒に手作りして考えたもの。招待客が気軽に過ごせるよう、おもてなしをしたそうです。

披露宴では夫・結城義人さんが、「売れ残り同士、仲よくやります」とあいさつ。招待客は笑顔に包まれ、会場は和やかな雰囲気に。

結婚式のウェディングドレスはもちろん、マリッジリング “Yumirion(ユミリオン)” などの結婚指輪もデザインしている桂由美さん。

お客様の声やトレンド、製品の品質、耐久性とあらゆる視点を注視し、妥協を許さない製品開発を務めていたため、結婚式はマスコミ各社も大きく取り上げました。

桂由美 子供はいる?孫の存在~子供がいない理由語る~

ネット上で、桂由美さんに「子供いる?」などと子供はいるのか話題に。実際には桂由美さんと夫・結城義人さんの間には子供はおらず、そのため孫も誕生していません

2016年7月15日、桂由美さんは「女性セブン」のインタビューで、子供がいない理由について次のように語っています。

「結婚適齢期だった20代は、母が経営していた洋裁学校を手伝うのと、自分の夢であるブライダル事業の二足のわらじで、目が回るほどの忙しさだった」

引用:「女性セブン」2015年7月16日号

桂由美さんの20代は母親の学校を手伝うほか、共立女子大学家政学部の被服学科卒業後にフランスへ留学し、デザイン、クチュール技術を熱心に学んでいます。

そして30代になる1964年、日本初のブライダルファッションデザイナーとして活動開始し、1969年には「全日本ブライダル協会」を設立。

桂由美さんの20代から30代は怒涛の忙しさで、あっという間に時間が過ぎてしまったとのこと。「結婚」や「子供」について考える暇もなかったようです。

そして過去には「仕事が恋人」という発言も。

「仕事の極意として、ブライダルウエアだけではなくメンズのスーツなども手掛けている。みんなの生活の中に自分の思いが息づいている。その責任感がわたしを動かしています。それと夢見る気持ち。恋するように仕事しています」

引用:「女性セブン」2015年7月16日号

忙しさは40代になっても止まらず、仕事漬けの日々。その後やっと軌道に乗り、残りの人生を共にするパートナーがほしくなったのだとか。

しかし、桂由美さんが結婚した年齢は42歳。妊娠・出産できる年齢ではありましたが、仕事を抱えながらの生活では子宝に恵まれなかったようです。

子供や孫は誕生しませんでしたが、桂由美さんにとって数々の作品が我が子のような存在なのではないでしょうか。

桂由美 子供出産どころではなかった若い頃【画像】

今となって桂由美さんは「ターバンのおしゃれな婦人」といった印象。しかし若い頃はキャリアウーマンといった雰囲気で、また違う一面がありました。

2024年3月9日、桂由美さんのオフィシャルインスタグラムにて、若い頃の写真画像が投稿されました。

スーツ姿で外国人女性と会話する姿は、まさにキャリアウーマンといった印象です。

子供の出産どころではなかった多忙な若かりし頃の桂由美さん【画像】 ↓

桂由美さんのインスタグラムより

桂由美 子供や孫おらず独りに~夫・結城義人が他界~~

桂由美さんの夫・結城義人さんは60歳を過ぎると糖尿病を患い、これが死因の原因となり他界されています。死去した時期は1990年12月、享年71歳でした。

生前の結婚生活を桂由美さんは「安らぎに満ちたもの」と表現。夫・結城義人さんはいつも桂由美さんの仕事を応援し、尊重してくれたのだとか。

そんな夫・結城義人さんも60才にして司法試験を受け、見事合格して弁護士に。

桂由美:「 (夫を) 心の底から尊敬していました。」

互いに仕事において切磋琢磨し、苦しみも共感した2人。夫婦でありながら、人生の良き相談相手だったようです。

桂由美さんは夫・結城義人さんとの結婚生活を「夫婦関係の礎になると実感する18年」と振り返りました。

夫の他界後、桂由美さんは子供や孫がいないため一人生活になります。しかし長きにわたり支えてくれているスタッフや親族が心強い存在に。

桂由美 子供や孫なくとも夫婦愛~夫からのアドバイス~

2018年8月8日放送のフジテレビ「梅沢富美男のズバッと聞きますSP」に桂由美さんが出演。当時86歳、ターバンを巻くようになったきっかけが夫だったことや、パリコレへの思いを明かしました。

“ユミ・カツラ” は、ウェディングドレスの人気ブランドナンバーワン。桂由美さんはブライダルデザイナーの第一人者と言われています。

世界のトップデザイナーになるまでには大変な苦労もありましたが、1981年のダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式でウェディングドレスが披露されてから、注目され大人気に。

のちに発表した「YUNI YUZEN」(友禅と日本画の琳派を取り入れた作品) で、不動の一流デザイナーになりました。

番組では、「12分間のパリコレステージに、5000万円の製作費をかけて総合プロデュースしている」と紹介され、奮闘する姿がVTR公開されています。

休みは年間でたった7日。パワフルな86歳の姿がありました。そんな桂由美さんのトレードマークといえば「ターバン」。

実は、桂由美さんがターバンを巻くようになったきっかけは、夫・結城義人さんの遺言がきっかけなのだとか。

夫・結城義人:「黒柳徹子は髪型ですぐわかる。おまえは有名じゃないから、ターバンで覚えてもらうしかない。」

以降、桂由美さんはターバンをアクセントのひとつに。自宅にはなんと130枚も所有しているとのこと。

パリコレは「デザイナーとして最高の舞台」だという桂由美さん。デザインだけでなく、モデルのオーディションも手掛けました。

応募者800人から200人を選び、最後は 15人までに絞らなければなりません。「あなた足が短いからダメ」「胴が長いわね」などバンバン切り捨てていったといいます。

番組で語る姿からはバリコレへの熱意が伝わると同時に、こちらもパワーをもらうようでした。

その後、2022年には桂由美さんがYouTubeチャンネルにて、ターバンのきっかけは母親の急死も理由だったことを明かしています。

遺品の帽子をかぶったところ頭にフィットせず、葬式後に帽子デザイン家の平田暁夫氏に相談。このとき桂由美さんは「帽子をかぶる代わりにターバンはどうか」と提案したそうです。

桂由美さんが自らデザインしたターバンを見せると、「いいね、顔の幅が広いから両サイドにパッド入れて膨らませましょう」などとアドバイスを受け、製作してもらったのです。

桂由美さんのターバンのきっかけは、夫・結城義人さんと帽子デザイン家の平田暁夫氏のアドバイスでした。

桂由美さんのインスタグラムより

桂由美 子供や孫なくとも子供服手がける

桂由美さんはこれまで人気ブランド「YUMI KATSURA (ユミカツラ)」を手がける中で、子供服もデザインしています

最近の子供服の新着商品は「YUMI KATSURAのYumi Katsura ベビードレス」「YUMI KATSURAのYumi Katsura セレモニードレス5点セット 」「YUMI KATSURAのYUMI KATSURA フード付バラ刺繍入りケープ 80〜90サイズ 新品同様」など。

あらゆるフリマアプリでも現在、数百点以上の「YUMI KATSURA ベビー服」が通販されています。

桂由美さんの子供服の種類は豊富で、お宮参り用衣装、記念写真用の衣装、メモリアルシューズ、Tシャツ、ワンピーズなどがあり、マタニティのアイテムも。

「ユミカツラ」のベビー服の定価はピンからキリまでですが、中古品であれば1,000円以内の商品もあります。

例えばベビー服、サロペット ブラウス セットのサムネイルは 1,600円など。

子供が誕生予定なら、桂由美さんを身近に感じることができる「ユミカツラ 子供服」を選ぶのもいいですね。

桂由美さんのインスタグラムより

桂由美 子供や孫おらず後継者3名に委ね…

世界的に活躍したファッションデザイナーの桂由美さんが、夫・結城義人さんの元へ旅立ちました。享年94歳でした。

2024年2月24日には桂由美さんの半生を描いたドラマ「はれのひ シンデレラ」が全国ネットで公開され、まだまだお元気な姿がありました。

桂由美さんの病名など死因については、生前の本人の意向により明かされていません。死去された日時は、2024年4月26日。一報はヤフーニュースなど、各メディアが伝えています。

2024年4月30日、「株式会社 ユミカツラインターナショナル」が公式サイトにて、「1965年以来、ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美の逝去を発表します」と報告。

同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。

そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。

1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します」とのコメントを寄せた。

引用:「スポーツ報知」2024-04-30

これまで「ユミカツラ」のデザイナーとして、長きにわたり共に歩んできた藤原綾子さん、森永幸徳さん、飯野恵子さん。今後は後任としてコレクションの制作を継続するとのこと。

女性なら誰もがあこがれるウェディングドレス。「結婚式には白無垢」という概念をくつがえし、斬新なデザインを発表するなど桂由美さんには圧倒されました。

桂由美さんのインスタグラムより

桂由美 子供や孫いる人生よりも仕事「徹子の部屋」

2024年5月3日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に桂由美さんが出演。この放送回は亡くなる4日前、4月22日に収録されました。

亡くなるなど決して想像できないお元気な姿。冒頭では黒柳徹子さんが「桂由美さんの最後のテレビ出演をお届けします」などメッセージを添えて追悼しました。

スタジオには「桂由美デザイン」のバラをモチーフとした最新ウェディングドレスが2着飾られ、とても華やかな放送回に。

桂由美:「来年が60周年なんですよ。今年は60年目で…ちょっと早いから “ローズ・ユミ” のストーリーってことにして…」

結婚は第2の人生のスタート。桂由美さんは、そんな素敵なイベントに携われることが本当にうれしいと笑顔で語りました。

桂由美:「つらいことや苦しいこともありますけど、それよりもお客さんがよろこんでくれる姿を見る方が感激が大きいんですよね。本当にこの職業を選んで良かったなって。」

幸せいっぱいのカップルと毎日のように共にすることで、桂由美さんも幸せな気持ちになり元気をもらったそうです。

このあと桂由美さん自身の結婚について問われると照れ笑い。

桂由美:「これはねぇ。わたしは仕事が面白かったというか、”結婚” というのが頭になかったんですね。40歳すぎた頃、”このまま一生終わるのは寂しいな” と思って。」

桂由美さんの母親も親身になり、いろんな場所に声をかけ回ってくれたのだとか。すると「大蔵省にひとり売れ残りがいるよ」との情報が入り、それが夫・結城義人さんだったそうです。

子供がいない理由は40歳すぎまで結婚を考えずにいたから、そして40歳すぎても仕事に熱意を注いでいたから。

桂由美:「主人が徹子さんのファンで、”ともかく普通の芸能人とは違うね” って。ヘアスタイルも玉ねぎヘアで、”少し徹子さんを見習え” って。」

このように夫から言われたあと、桂由美さんは前述した平田暁夫氏に「ターバン」について相談したそうです。

最後に桂由美さんが現在チカラを注いでいる「アニバーサリーウェディング」について語りました。

「アニバーサリーウェディング」とは

結婚後、大切な結婚記念日に改めて式典を設けたり、きちんとお祝いをするイベント。パートナーとの絆を深め合う新しい記念日の習慣。

日本は金婚式や銀婚式くらいしかありませんが、海外では夫婦でプレゼント交換をしたり、ショーを観に行くなどして、たびたび祝っているのだとか。

現在、桂由美さんは「アニバーサリーウェディング」のイベントで司会者となり、さまざまな場所で夫婦を祝福。

最近では結婚45周年のキャシー中島さんと勝野洋さん夫妻の司会を務め、1000人が祝いました。

桂由美:「アニバーサリーウェディングの必要性を色んな所で講演してますでしょ。大変なこともあるけど、チカラを貸してあげてよかったなと思うことがあって。」

「アニバーサリーウェディング」にやりがいを感じているという桂由美さん。「やってよかった」と思うことを2点明かしています。

  • 夫側の声:例えば「女房がこんなに綺麗になると思わなかった、惚れ直した」など
  • 夫婦の子供たちの声:「早くに結婚しない方がいいと思っていたが、今日の両親を見て早く結婚したくなった」

桂由美さんのいきいきと話す姿からは “幸せを運ぶキューピッド” にも見え、同時に他界されたことが大変悔やまれてなりません。

心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りいたします。

◆2024年5月3日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」桂由美 番組内容詳細

桂由美さんの訃報を受け、5月3日の放送分を急きょ差し替え。桂由美さんの追悼番組「追悼・桂由美さん」と題して追悼番組を放送します。

なお、もともと予定していた綾小路きみまろさんの回は、5月6日に放送予定。亡くなる4日前に収録した桂由美さんの在りし日の姿をお送りします。

「徹子の部屋」公式 X (旧:Twitter) より

桂由美 プロフィール

本名・結城由美 (ゆうき ゆみ)

生年月日・1932年4月24日

出身地・東京都

血液型・B型

身長・不明

学歴・共立女子大学卒業

大学卒業後はパリに留学。1955年、母親が創設したブライダル・ウエディングの専門学校
「東京文化服飾学校(現:東京文化デザイン専門学校)」の副校長に就任しました。 

1964年、東京・赤坂に日本初のブライダル専門店「桂由美ブライダルサロン」をオープンさせ、本格的にブライダルファッションデザイナーとして活動。

1969年には「全日本ブライダル協会」を設立しています。1982年、東京・乃木坂に「桂由美ブライダルハウス」を設立し、社長に就任。

1987年、フランス・パリで初のコレクションを開催しました。私生活では 1990年12月に元大蔵省官僚の夫・結城義人さんが他界。

1994年はデザイナー30周年記念として「桂由美グランドコレクション」を開催しています。2005年、パリ・カンボン通りの「シャネル」本店前にパリ店オープン。

2024年3月5日、デザイナー活動60周年を前に「Beyond 60years Rose Yumi Story」をテーマにして最新のウエディングドレス、和装、フォーマルなど、約70点を発表したばかりでした。

2024年4月26日、享年94歳で他界。

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