みのもんたさんが結婚した妻の名前は「御法川靖子」といい職業はみのもんたさんのスタイリスト。しかし2012年にガンで他界。みのもんたさんは現在、事実婚の彼女がおり心身ともにサポートを受けている。40歳年下で元ホステスという彼女との私生活とは…
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— みのもんた (@_mino_monta) October 8, 2016
みのもんた 結婚した妻・靖子は専属スタイリスト
みのもんたさんが結婚した妻の名前は「御法川 靖子(みのりかわ やすこ)」といい、職業はみのもんたさんの専属スタイリスト。年齢差は妻・靖子さんが1歳年下で、馴れ初めは同じ立教大学の放送研究会での出会いでした。
みのもんたさんは1年後輩の妻・靖子さんに好意を抱き、文化放送時代の1970年に結婚しています。「こうして今の僕があるのは妻のおかげ」とたびたび周囲に話し、2人はおしどり夫婦として有名。
みのもんたさんと妻・靖子さんの間にはこれまで2男1女が誕生し、結婚後は妻・靖子さんが食事や家事だけでなく、みのもんたさんの衣装選びなど全てを担当しました。
みのもんた:「100%女房の世話になっていた…。」
そんな妻・靖子さんは2012年に病気で他界されています。みのもんたさんは2019年にパーキンソン病を発症し、13年間MCを務めた日テレ「秘密のケンミンSHOW」を2020年3月26日の放送をもって勇退。
最後の収録は亡くなった妻・靖子さんが好きだったという衣装で登場しました。そして番組の最後に妻・靖子さんへの思いを述べています。
みのもんた:「今日の私の衣装もそうですけれども、7年前に亡くなりました家内が私のスタイリストをやってくれております。
亡くなる時に100通りのスタイルの組み合わせを考えてくれたんですが、そのひとつが今日の衣装でございます。
最後の最後までスタイリスト御法川靖子の名前をスタッフの皆さんが入れてくれました。本当にありがとうございます。」
番組では、他界後もスタッフロールの中に「スタイリスト 御法川靖子」とクレジットし流し続けていました。みのもんたさんのみならず、番組スタッフも妻・靖子さんに深い思い入れがあるようです。
みのもんた 妻・靖子の病気~死因・年齢・死去年~
人気司会者として多忙だった2012年、5月22日に妻・靖子さんが「がん」のため都内の病院で他界されています。年齢66歳、とても早すぎる別れとなりました。
メディアは死因について、「皮膚がんが骨に転移」と報道。みのもんたさんはTBS「みのもんたの朝ズバッ!」の生放送が終わると、病院に駆けつつけて最期をみとったといいます。
葬儀・告別式は近親者のみで27日に神奈川県鎌倉市の自宅で行われ、喪主はみのもんたさんが勤めました。
みのもんた:「世の中の平均年齢から言いますと大変若い年での旅立ち。切ない思いです。」「生きているうちに何で言えなかったかな。こんなにいとおしいなんて…。(妻は)100点満点です。」「もっと優しく、一緒にいるべきだった…」
みのもんたさんは天を仰ぎ、およそ30秒間の沈黙。ポロポロと涙を流しました。妻・靖子さんが亡くなった翌日、2012年5月23日放送のTBS「みのもんたの朝ズバッ!」に出演した際も涙を流しています。
みのもんた 妻・靖子への寂しさで引きこもり
40年以上連れ添った妻・靖子さんの存在はとても大きかったようです。2021年12月19日、「NEWポストセブン」のインタビューでは、他界から9年経った当時の思いを明かしました。
みのもんた:「いま思えば3年、いや5年くらい何も手につきませんでした。まさに “胸にポッカリと穴が空いた” ようで…」
妻・靖子さんは人生の同志。お骨となって戻ってきた時は受け入れることができなかったといいます。2009年に夫婦で入るために購入したお墓には、七回忌になってようやく納骨できたのだとか。
なかなか納骨できなかったのは、妻・靖子さんが生前に「お墓にひとりで入るのは寂しいから、パパと一緒に入りたい」という言葉もあったから。みのもんたさんはしばらく気持ちの整理がつかなかったようです。
収録後は毎晩のようにスタッフと深夜まで飲み歩いていたみのもんたさん。妻・靖子さんの他界後は大好きな銀座のクラブ通いも一切やめ、遺影の前でお酒を飲みながら過ごしたそうです。
みのもんた:「家で話す相手がいなくなり、女房の遺骨に話しかけたりしていましたよ。“女房離れ” は永久にできないかな…。」
みのもんたさんは妻・靖子さんがよく座っていた相模湾が見渡せるキッチンの椅子に遺骨を置いていました。
そんな姿を心配した俳優の渡哲也さんや親友たちが電話をかけてくれたり、FAXや手紙を送ってくれたことで救われたといいます。
当時は子供たちの支えも大きく、長男が「一緒に住もう」と声をかけてくれたことも。たびたび孫との食事会を開いてくれたのだとか。
みのもんた:「会うたびに大きくなっている孫を見るのが今では楽しみのひとつだね。」
孫から「どんなおばあちゃんだったの?」と聞かれると辛いので、自宅には孫たちが分かるよう妻・靖子さんの写真をたくさん貼っているそうです。
みのもんた 妻・靖子の他界後に婚活
みのもんたさんは妻・靖子さんの他界後、気丈に振る舞うこともありました。他界からおよそ4年、2016年4月11日には都内で行われたインターネットテレビ局「AbemaTV」本開局記者発表会に出席。
同局のネット番組で2年ぶりのキャスター復帰となったみのもんたさんは、意気込みを伝えました。
みのもんた:「満を持してという気持ちはほとんどない。知らない世界 (ネット) でのニュース番組。そこに興味を持ちました。」
プライベートを尋ねられると驚きの発言!
みのもんた:「今、一生懸命、婚活の最中なんですけれども。そっちのほうが忙しい。4年前に妻が亡くなって、この年で充実してきたので婚活します」
当時、72歳。人生のパートナーを探し始めていると明かしました。同時期、週刊誌にて人生のパートナーの存在が伝えられています。
みのもんた 彼女は40歳下の元ホステス
みのもんたさんが婚活宣言をした2016年、3月には40歳年下の元ホステスとのデートがスクープされています。
お相手の女性はショートカットで韓国女優のチェ・ジウさんに似の美人。切れ長の目が印象的で、妻・靖子さんに似ている部分があるとのこと。
2016年の始め頃から銀座の老舗クラブ「L」で働き始めたといいます。ホステスをする前はリハビリの勉強をしながら都内の高齢者専門施設に勤務していたという彼女。
雰囲気は華やか系のホステスではなく、アナウンサーのような落ち着いたタイプ。お店では着物姿が多く、サバサバした性格なのだとか。
出会った当初は20代後半で銀座でいうと中堅どころ。ときにはみのもんたさんを叱るも甘え上手。そんなキュートな人柄でハートを射抜き、クラブへ同伴を続けるようになりました。
みのもんたさんはホステスたちからも「良い飲み方をしてくださる大切なお客様」として慕われています。その中でも彼女はみのもんたさんの健康を考え、和食中心のお弁当を手作りするなどし、圧倒的な存在感をみせました。
もともと福祉の仕事をしていた彼女は、その後に介護士の資格を取得して銀座のホステスを引退。現在は、みのもんたさんの心身のサポートに徹しています。
みのもんた 彼女に1.5億円のマンション購入
みのもんたさんは司会者業などの芸能活動以外に、水道メーターの株式会社「ニッコク」の会長でもあります。2019年には売上高が約21億円にのぼり、社員数も約130名ほどいる優良企業。
そして 55%という割合で同社の株を所有するみのもんたさんは軽井沢、名古屋、札幌、鎌倉の一等地に不動産を持ち、総資産は50億円を超えるといわれています。
2020年11月26日発売の「週刊文春」では、「7年前に出会った40歳年下の女性に、港区内の約1億5000万円のマンションを贈与した」と報じられました。
マンションの場所は港区の一等地にあり、最上階の72平米もある部屋。みのもんたさんは「週刊文春」の取材に対し、マンション購入を次のように話しています。
みのもんた:「7年間お世話になったので、僕にとっては手頃なプレゼントのひとつ。1億5000万が高いだなんて考えたこともなかった。」
妻・靖子さんの他界後、彼女は献身的にサポートしてきました。みのもんたさんにとってマンションのプレゼントは相応の贈り物だったようです。
みのもんた 現在も彼女の支えで仕事
2021年10月26日、TBS「学校へ行こう!2021」に、26年の活動に幕を下ろすジャニーズアイドルグループ「V6」と共に出演しました。
屋上から学生たちが思いを叫ぶ人気企画「未成年の主張」も今回でラスト。レギュラー放送になってから校長として見守ってきたみのもんたさん。「最後の主張」としてサプライズで登場し、思いを伝えました。
みのもんた:「最後だったら私がひとこと言わせていただきたい。そのために無理やり来たんだから。」「V6のみなさん、26年間本当にお疲れさまでした。ひとこと言いたくて来ました。ありがとー!」
井ノ原快彦:「みのさんがいてくれて今の俺たちがいると思ってます。こちらこそ、ありがとうございました!」
言葉を詰まらせながら「ありがとう!」という場面は視聴者の胸を熱くさせています。最後はV6と一緒に記念撮影。こうしてテレビで元気な姿が見られるのは、彼女が献身的にサポートを続けているからかもしれません。
そして2023年は、1月3日に「スポニチアネックス」の取材に応じています。母校である立教大が箱根駅伝に55年ぶりに出場したことを受け、「タスキを最後までつないだ。偉い!」と絶賛。
史上最長のブランクがあった立教大は、予選会にて往路の時点で最下位でしたが、復路に奮闘し20位から18位と順位を上げタスキをつなぎました。2024年も母校の活躍を楽しみに応援しているようです。
文化放送時代に箱根駅伝の実況を数回担当していることから、思い入れもひとしお。みのもんたさんは現在も胸に熱い気持ちを秘めていました。
「もともと、出場自体、誰もが無理と言っていた。そんな中でやり遂げた。立派!!」「また勝ち抜いて走ってくれると思う。来年も楽しみにしています!」
引用:2023年1月3日「スポニチアネックス」
#ラジオ100年プロジェクト #100人インタビュー】
いかがでしたしょうか?
今回は、#みのもんた さん、#浜村淳 さん、#中村メイコ さんでした。聴き逃しは☟1週間https://t.co/GMKcB3oLnX
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— らじる (@nhk_radiru) September 23, 2022
みのもんた プロフィール
本名・御法川法男(みのりかわ のりお)
生年月日・1944年8月22日
出身地・東京都世田谷区
血液型・A型
身長・167センチ
学歴・立教大学経済学部
大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマに携わりました。4年先輩の徳光和夫さんから「テレビの時代だよ、アナウンサーはいいよ」とスタジオ見学に連れて行ってもらいます。
そして大学卒業後、1967年に「文化放送」へ入社。当時の人気競走馬「モンタサン」に掛け、「もんた」という芸名にし、「ゲリラでいこう」という番組で初めてレギュラーを持ちました。
同時期にTBSへ入社した久米宏さんをライバル視。「オールスター水泳大会」などの司会で人気を得ていましたが、人事異動で営業部へ配属されてしまい1979年に「文化放送」を退社します。
その後、10年間は父親の水道メーター会社の営業マンに。ある時、フジテレビに声をかけられて徐々にテレビに出演しました。1989年、「午後は○○おもいっきりテレビ」が高視聴率を取り、再び人気司会者となっています。
「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」として、2006年11月28日に「ギネス・ワールド・レコーズ」に認定されたことも。
実業家としては、自身の個人芸能事務所を兼ねる水道メーターの株式会社「ニッコク」の代表取締役会長となっています。