戸田奈津子 結婚 夫なしの理由に母「子供を持つことは捨て…」

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映画翻訳家の戸田奈津子さんはこれまで結婚して夫や子供を持ったことはありません。結婚しない理由のひとつに母親の存在があったようです。「捨てるべきものは捨ててきました」戸田奈津子さんはなぜ結婚しないのか、結婚観や子供に対する思い、自宅生活とは…

↓ トム・クルーズさんの吹き替え担当、森川智之さんのTwitterより

戸田奈津子 結婚歴~結婚して夫はいるのか~

映画の中では、結婚も離婚も子供を産んだことも全て体験してきたという戸田奈津子さん。実生活では結婚歴はなく、夫や子供を持ったことはありません。

2023年の誕生日では年齢87歳。2022年、86歳の誕生日だった7月3日には、トム・クルーズさん主演の映画「トップガン マーヴェリック」のイベントで引退を表明しました。

「通訳というのは臨機応変に対応し、即座に訳せなくてはいけない。それができないとゲストの方に失礼じゃないですか。私も年を取ったので、そうなる前に辞めようと決意しました。ただし、字幕翻訳は続けます。」

高齢になった我が身を感じながら、独身でいることは寂しくないのでしょうか。

「もともと好きな仕事ですから。大好きな映画を少しでも多くの人に伝えられたらうれしいですね。私はまだまだ元気ですので。」

人生100年時代。戸田奈津子さんは今日も新作の字幕翻訳に取り組んでいました。休みの日には家族や友人とドライブ旅行に行くなど、むしろ一人でいることを楽しんでいます。

戸田奈津子 結婚観や熱愛彼氏について

戸田奈津子さんは映画翻訳家としてあまりにも有名。熱愛報道が気になるところですが、これまで長期にわたって一度も彼氏となる人物が発覚していません。

2015年、80代になる頃にインタビューにて「映画人生」や「結婚観」について明かしました。

映画の宣伝や批評などには一切興味がなく、知らない世界を想像することが面白いという戸田奈津子さん。一見、「映画だけの人生」といった印象もあります。

しかし戸田奈津子さんに言わせてみれば、「生きたい道が映画だった」とのこと。自分の一番やりたいものに没頭できた人生なのです。

「やりたいことはもうないくらい (笑)」

通訳や翻訳家を一度もやめたいと思ったことはなく、いつも楽しんで取り組んでいたのだとか。これだけ熱意を注げるものに出会えた戸田奈津子さんをうらやましく感じます。

その一方で、「結婚」に関してはクールな考え方を持っていました。

「どんな好きな男と結婚したって30年も結婚したらイヤになるでしょ (笑) 私は1年でも無理だと思う。でも仕事に関しては何十年やってもラブラブ。だからとても幸せです。」

過去にひどい失恋をしたのか、周りの人がひどい男性と出会ったのか、何かトラウマがあるようにも感じますが、なぜこのように発言したのか実際のところはわかりません。

戸田奈津子さんにとっては、まさに仕事が恋人といったところでしょう。

戸田奈津子 「子供を持つことは捨て…」

戸田奈津子さんがインタビューなどで若い頃を語る際、たびたび実家の母親のエピソードがでてきます。

97歳で他界した母親は生前、戸田奈津子さんの結婚について「早くいい人見つけなさい」と促したこともあったとか。

しかしときには、「あなたが結婚しなくてよかったわ。友達が孫を預けられてるのを見て、大変だと思ったから」とジョーク交じりで伝えたことも。

戸田奈津子さん自身も、決して今まで「子供を持たなくていい」と思ったわけではないようです。

戸田奈津子:「子供を産んでいたら、それなりに素晴らしい体験だったと思うけど、私の時代、この仕事は子供を持ったら両立できなかったでしょう。善しあしじゃないけど…。」

人生一度限り。体はひとつしかなく、やれることは限られています。戸田奈津子さんは仕事に身を捧げるため、子供を持つことを半ばあきらめたようです。まさにキャリアウーマンと言えるでしょう。

戸田奈津子:「私も捨てるべきものは捨ててきました。この仕事があるから結婚はしませんでしたし、子供もいません。」

最終的には自分の生き方は自分で決める。そうした覚悟を持って過ごしてきたようです。

戸田奈津子 結婚願望がなかった?

20代の頃にはお見合いも勧められたという戸田奈津子さん。今まで出会った男性の中に、楽しい翻訳の仕事を捨ててまで結婚したいと思えるような人はいなかったといいます。

前述したとおり、戸田奈津子さんは「仕事と結婚の両立は無理」といった考え。結婚願望がなかったわけではなく、「楽しい翻訳家の仕事」を超えるような男性が現れなかったようです。

戸田奈津子:「いやな男と結婚して我慢していることほど人生を無駄にしていることはないでしょ。」

80代半ばになった今、「人生は短くてアッという間」というのが本音だそう。やりたいことをやらないと、自分に申し訳けないといいます。なので常に楽しいことを追い求めているのだとか。

戸田奈津子さんがいつも生き生きと見える理由は、いつもこうしたポジティブな気持ちを持っているからかもしれません。

健康維持の秘訣はストレスを貯めないことだそう。とにかく嫌なことは一切しないという戸田奈津子さん。

  • きらいな運動はしない
  • きらいな人とはご飯を食べない

たいていの「結婚」に付いて回る、相手へのストレス。戸田奈津子さんはこれも見通して夫を持たない方針を貫いているのかも!?

結婚して夫や子供は持たなかったものの、「映画」が様々なことを教えてくれたことで、豊かな人生が送れたと振り返っています。

戸田奈津子 結婚せず夫なしの理由に母

2022年11月19日、「美ST ONLINE」のインタビューでは、結婚して夫を持たない理由のひとつに母親が影響したと明かしています。

父親は戸田奈津子さんが1歳の時に戦死。その後、母親は東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大)に入り教員資格を取って、高校の家政科の教師になったのだとか。

美人だった母親には再婚の話もあったそうです。しかし全て蹴り飛ばしたとのこと。

戸田奈津子:「ひとりが気楽だったのでしょう。私が結婚しなかった理由のひとつは母の影響もあります。」

そうした自由気ままに生きる母親の姿から、結婚に執着することがなかったようです。自宅生活も気の向くまま、気楽に過ごしているという戸田奈津子さん。

  • コーヒーとトースト1枚でブランチ
  • 夕飯は手のかからないもので適当に済ます
  • アルコールは好き。カロリーを考えてウオッカやジン、ワインを飲む
  • 日頃の食生活で足りているからサプリは一切飲まない

更年期すら1日たりとも疲労を感じたことはないといいます。戸田奈津子さんの母親も早くに夫を亡くし、長期にわたってシングルマザー。マイペースを好むところは親子で似た者同士かもしれません。

戸田奈津子 結婚や仕事を心配させた母を語る

再婚せず、ひとりで過ごすことを選んだ母親。娘・戸田奈津子さんの結婚はもちろん、翻訳家の道を進むと打ち明けられた時には不安を抱いたようです。

戸田奈津子:「母は字幕の仕事なんてどういうものか全然理解していなかったし…」

すぐに芽が出て花開く職業ではない翻訳家。戸田奈津子さんが大学を卒業してから10年経って初めて、字幕翻訳の仕事がきました。

そんな気苦労をかけた母親について、戸田奈津子さんが2023年8月17日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」で語っています。

戸田奈津子:「すごく元気な人で旅行が大好きで、私が車を運転して88歳までパリに行ったり一緒に歩いてました。働き者でね、私が掃除や洗濯なにもしないものですから。旅行が唯一の親孝行です。」

また、結婚についても言及。

戸田奈津子:「女は嫁に行けという時代に育った母ですから、お見合いを言ってきましたが私は一切耳を貸さなかったから、そのうち (母は) あきらめました。最後は一緒に旅行に行ったから、 “あなたお嫁に行かなくてよかった“ って言われました (笑)」

今の一番の楽しみは読書をすることや食べ歩きと話しています。番組では戸田奈津子さんの若い頃の写真や父親と母親の家族写真が公開され、母親が大変美人であることが分かりました。

◆2023年8月17日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」戸田奈津子 番組内容詳細

映画『ミッション:インポッシブル』主演トム・クルーズさんとは30年以上の付き合い。昨年の来日時、初めて一緒にお茶を楽しんだというエピソードも。1歳の時に戦争で父を失った戸田さん。戦後、洋画が解禁になると夢のような世界に夢中に。ひたすら夢を追い20年…『地獄の黙示録』で認められた時には43歳になっていた。97歳で亡くなった母…親不孝な娘だったが、後年はせめてもの親孝行として一緒に世界を旅したと語る。

戸田奈津子 結婚せず独身の現在~仕事に奮闘中~

戸田奈津子さんは2023年の誕生日で御年87歳。今でもトークイベントに積極的に参加しています。また、「映画翻訳家協会元会長」「神田外語大学客員教授」「神田外語学院アカデミックアドバイザー」といった肩書の持ち主でもあります。

◆2020年以降の字幕作品

  • 007/ノー・タイム・トゥ・ダイ(2021年)
  • トップガン マーヴェリック(2022年)
  • ジュラシック・ワールド/新たなる支配者(2022年)

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戸田奈津子 プロフィール

本名・戸田奈津子 (とだ なつこ)

生年月日・1936年7月3日

出身地・東京都

血液型・B型

学歴・お茶の水女子大学附属幼稚園、お茶の水女子大学附属小学校、お茶の水女子大学附属中学校、お茶の水女子大学附属高等学校、津田塾大学学芸学部英文学科 卒業

1歳の時に戸田奈津子さんの父親が戦死したため、東京にある母親の実家に転居。兄弟はおらず、ひとりっこの戸田奈津子さんは子供の頃の遊び相手は本でした。

中学時代から映画を観に行くようになり、高校時代では名画座などに通い詰めます。大学卒業後は生命保険会社の秘書を1年半ほど勤めますが、制服を強要されるなど窮屈に感じ退職。

そこで、映画好きと英語好きの両方を活かせる映画字幕翻訳の道へ。翻訳や通訳のバイトをしながら、字幕翻訳の第一人者である清水俊二氏に手紙を送り、弟子入りします。

そして大学を卒業してから10年にして、初めて字幕翻訳の仕事を担当。1979年、40歳の時に「地獄の黙示録」で本格的に字幕翻訳者としてデビューしました。

トム・クルーズさんが初来日して以来30年にわたって通訳を務め、ハリウッド映画のエンドロールではほとんどの作品で名前が流れるほどの有名翻訳家です。

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