石井ふく子 夫と32歳で結婚「孤独な家族環境で…」子供や現在の自宅生活

芸能

 

2023年5月8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に石井ふく子さんが出演し、現在の思いを告白。夫と32歳の時に結婚するも後に離婚し、以降は独身生活を送っている。

子供はこれまで誕生していないが、家族となるような女性友達に囲まれ自宅生活を送っていた。石井ふく子さんのプライベートとは…

【 「渡る世間は鬼ばかり 2019年9月16日」公式Twitterより

 

石井ふく子 結婚観「孤独な家族環境で…」

人気プロデューサー・石井ふく子さんは、どうして様々な人間模様を描くことができるのでしょうか。それは一見、温かい家庭環境や人間関係に恵まれ、穏やかで豊かな人生経験を経たからだと想像します。

しかし生い立ちは真逆で、寂しくて孤独なものでした。石井ふく子さんの結婚は、子供の頃の家庭環境も結婚観に影響したかもしれません。

祖父母は芸者の置屋を営み、母・三升延さんは置屋の養女でした。当時、一流の人気芸者だったという母・三升延さん。石井ふく子さんを出産してすぐ未婚の母となりました。

実家の近所は料亭や寄席などが立ち並び、華やかな雰囲気。石井ふく子さんはそんな環境から幼少期より日本舞踊を習い、将来は「踊りのお師匠」を夢見ていたのだとか。

この頃、母・三升延さんは芸者の仕事で多忙なため、祖母と過ごす時間が長かったといいます。このことから「世間的な母娘の関係とは少々違う」という思いを抱いたそう。

ひとりっ子で、いつも孤独を感じていたの石井ふく子さん。実は、喜怒哀楽を共にする「渡る世間は鬼ばかり」のような大家族として育ったわけではなかったのです。

しかしこの家庭環境がきっかけで、ごく普通の家族へ憧れを抱き、他の人が見逃してしまうような日常の出来事も「ドラマ」として描くことができました。

ホームドラマで見せる「結婚」に対しても、そうした自身の憧れから描かれているのかもしれれません。

「家族」にこだわったドラマを続けてきた理由について、石井ふく子さんは著書「お蔭さまで」の中で、このように話しています。

「殺人もなく、不倫もなく・・・ごく普通の人たちのありふれた生活を通して、人生の機微を、人間の喜びや悲しさを、可笑しさや辛さを描きながら、視聴者の人たちにどう感動してもらえるだろうかと(中略)家族や家庭というのは、それ自体、大きな社会ドラマなのだ」

引用:著書「お蔭さまで」

 

石井ふく子 夫と32歳で結婚~子供はいるのか~

石井ふく子さんが結婚していたことは、「Wikipedia」に記載されています。32~33歳で結婚するも、その後に離婚。これまで子供は誕生しておらず、現在は独身生活を送っています。

これまで、石井ふく子さんはインタビューなどで自身の結婚について触れることはなく、大手メディアにも取り上げられていません。そのため結婚相手の名前や職業、年齢など詳細については一切不明です。

両親と一緒に暮らしたのは32歳になってからで、翌年結婚するまでのわずか9か月間だけだった。

引用:「Wikipedia」

父親を知らずに育った石井ふく子さん。母・三升延さんが後に俳優の伊志井寛さんと恋に落ち、石井ふく子さんは32歳にして、父親と母親の3人で新しい生活を始めました。その後、石井ふく子さんが結婚することになり、親子3人での生活はたった9カ月間で終了しています。

実家を出るも、石井ふく子さんの結婚生活は大変な出来事が重なりました。

専門学校を卒業すると新東宝での女優活動を経て、1950年に日本電建に入社。宣伝部に配属されると、日本電建提供のラジオドラマを制作します。

これがドラマとの初めての出会い。日本電建の社員とドラマ制作の二足の草鞋生活をスタートさせました。3年ほど続けるもテレビ受像機の普及率は10%あまり。しかし1959年、皇太子ご成婚のパレードを機にテレビが急激に普及します。

結婚したのはちょうどこの頃。新婚生活を送るも、テレビが普及し始めたことで仕事が多忙を極めました。石井ふく子さんは自然とTBSに滞在する時間が長くなり、日本電建の仕事に支障をきたすことに。

そんな中、日本電建にお家騒動が起きて会社は混乱。石井ふく子さんは会社に辞表を提出しています。もちろん石井ふく子さんの結婚生活にも影響が出たでしょう。

 

石井ふく子 現在結婚せず~自宅ひとり暮らし~

石井ふく子さんは現在ひとり暮らしをしています。自宅は都心の一等地にある高層マンション。同じマンションには、2023年3月23日に肺炎のため他界された女優の奈良岡朋子さんも暮らしていました。

2004年頃、親友の奈良岡朋子さんから「いいマンションができてるみたい。ちょっと見てきてよ」と言われ見に行くと、すっかり気に入った石井ふく子さん。仕事場のテレビ局や大きな病院が近くにあるといいます。

一番乗りで入居を決断。すると奈良岡朋子さんも入居し、その後に今は亡き女優・京マチ子さんも住み始めました。女優・若尾文子さんとはマンションの玄関でバッタリ会ってビックリしたそうです。

同じマンションで暮らしているといっても、べたべたしたおつきあいをしているわけではありません。普段はお互い、立ち入らないようにしています。ただ何か用事があれば連絡を取り合いますし、困りごとがあると、「どうしたらいいのかしら」と相談されたり。どこか具合が悪いといえば、お医者さんを紹介し、場合によっては病院に一緒に行くこともあります。

引用:2023年3月29日「婦人公論.JP」

奈良岡朋子さんはあまり料理をされないそうで、「お腹すいた~!何か食べたいな」と、よく電話をかけてきたのだとか。

石井ふく子さんはお惣菜を多めに作り、「ドアノブにかけておいたわよ」と連絡していたとのこと。毎年元日はみんなで石井ふく子さんの部屋に集まり、おせち料理を食べていたそうです。

晩年、こうして仲のいい友人と付かず離れずで近所に住むのは安心できて心強いもの。

女友達4人組でしたが、京マチ子さんに続き 2023年3月23日には奈良岡朋子さんが享年93歳で他界されました。石井ふく子さんの気持ちを思うと胸が痛みます。

 

石井ふく子 橋田寿賀子の夫が他界で心支え

2021年9月9日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に石井ふく子さんが出演。同年4月に急性リンパ腫のため95歳で亡くなった橋田壽賀子さんとの思い出を語りました。

橋田壽賀子さんからは「ふーちゃん」と呼ばれ、60年来の盟友。初めて出会った時は互いに30代、ドラマのプロデューサーと脚本家という関係でした。

2人は共に「家族を描きたい」という熱い気持ちを持っていましたが、その熱意からたびたび衝突したこともあったのだとか。

ある時、いつも原稿を早く書き上げる橋田寿賀子さんが、まったく書けなくなったといいます。聞いたところ、その理由は「恋わずらい」だったそう。

お相手の男性は石井ふく子さんの同僚だったので、原稿を手助けしてあげたといいます。すると橋田寿賀子さんの恋愛は順調に進み、結婚までに至ったのだとか。

2人の仲人を務めた石井ふく子さんは結婚後も夫婦ゲンカの仲裁をしたり、橋田寿賀子さんの夫が亡くなった時など、心の支えになったようです。

初めての出会いから60年、橋田寿賀子さんは亡くなる前に電話で「あんたは私の妹」と一言。石井ふく子さんもまた、「家族のような存在」と話しました。

【 「渡る世間は鬼ばかり 2019年9月16日」公式Twitterより

 

石井ふく子 橋田寿賀子からの遺言「夫と私の時計を…」

2023年4月4日の「婦人公論.JP」では、石井ふく子さんに告げられた「夫と自分の時計をお墓へ一緒に入れてほしい」という橋田寿賀子さんからの遺言について紹介しています。

生前、橋田寿賀子さんから「あんたは私より一歳下で妹なんだから。姉の言うことを聞いて、素直に『はい、やります』と言って」と言われていた石井ふく子さん。2人は家族同然の関係でした。

愛媛県今治市にある橋田家の菩提寺のお墓へ、2人の時計を遺言通りに納めたそうです。

さらに橋田寿賀子さんは、自身のお骨を夫の菩提寺にあるお墓に納めず橋田家に納めました。それはかつて、お姑さんから「あなたはうちの墓に入れない」と言われたから。

橋田寿賀子さんもまた、「そりの合わないお姑さんや知らない人たちと一緒のお墓には入りたくない」と話していたそうです。

そうしたことも含め石井ふく子さんは気持ちを配慮し、橋田寿賀子さんが亡くなった後は自宅へお参りに来る方たちのために一部を分骨して、残りは自宅の仏壇に置きました。

石井ふく子:「でもやはり時期が来たら整理しなければということで、分骨も愛媛のお墓に持っていったのです。」

橋田寿賀子さんは生前、静岡県内に自身のお墓を用意し、石井ふく子さんにこのように託したのです。

橋田寿賀子:「将来、両親のところに入るけれど、用意したお墓には岩崎さんの時計と自分の時計を一緒に入れてほしい。」

たびたび、この言葉を石井ふく子さんに伝えていたのだとか。大切な思いを告げられるのは信頼おける親友だけではないでしょうか。

2022年で30周年を迎えた「橋田文化財団」を大親友である石井ふく子さんが引き継いでいます。

 

石井ふく子 家族同然、母が繋いだ女優たち

2023年5月8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に、石井ふく子さんが50年来の仲だという井上順さんと共に登場。

年の差20歳の大親友。出会ったきっかけは、石井ふく子さんの母・三升延さんだといいます。母・三升延さんは気さくで明るい人柄のため、たくさんの方から慕われたそう。

井上順さんもそんな人柄に惹かれ、20代の頃から石井ふく子さんの実家に出入りしていたのだとか。番組では、石井ふく子さんが母・三升延さんとのエピソードを語りました。

母・三升延さんは小唄の師匠で芸者。実家には井上順さんの他に、女優の高峰秀子さん、森光子さん、大原麗子さんなどが訪れ、家族のように過ごしていたとのこと。

石井ふく子さんは「“金持ち“ より “人持ち“」という母・三升延さんの教えを今も大切に、“人の絆”を描くドラマを生み出し続けています。

今では石井ふく子さんもまた母・三升延さんと同じように、家族同様の「石井ファミリー」を誕生させました

 

石井ふく子 家族は「石井ファミリー」

石井ふく子さんの家族といえば「石井ファミリー」。「渡る世間は鬼ばかり」の出演者はもちろん、2023年では嵐の相葉雅紀さんも仲間入り!?年代問わず、豪華な顔ぶれが勢ぞろいしています。

【 渡る世間は鬼ばかり 】

赤木春恵さん(死去)、山岡久乃さん(死去)、長山藍子さん、藤田朋子さん、岡本信人さん、沢田雅美さん、泉ピン子さん、角野卓造さん、えなりかずきさんなど

【 ひとりぼっち ―人と人をつなぐ愛の物語― 】

一路真輝さん、相葉雅紀さん、坂本冬美さん、上戸彩さんなど

【 石井ふく子さんの誕生日パーティーに出席した芸能人 】

水谷豊さん、船越英一郎さん、三田佳子さん、小林稔侍さん、六平直政さん、西郷輝彦さん、香川京子さん、坂本冬美さん、泉ピン子さん、水前寺清子さん、三田村邦彦さんなど

こちらにあげた名前はごく一部となっています。誕生日パーティーでは、大ベテランの俳優たちも石井ふく子さんの愛に包まれてすっかり子供のような笑顔に。

インスタグラムに投稿された出席者の写真はとても楽しそうな様子。人間味あふれた素敵なドラマを生み出す石井ふく子さん。今後もお元気で、人々の心に癒しを与え続けてほしいですね。

 

石井ふく子 プロフィール

本名・石井ふく子 (いしい ふくこ)

生年月日・1926年9月1日

出身地・東京府東京市下谷区池之端 (現:東京都台東区下谷池之端)

血液型・A型

学歴・東京女子経済専門学校 (現:新渡戸文化中学高等学校)

専門学校卒業後は新東宝の女優として活動。1950年、女優を辞め建売住宅を販売する日本電建という会社へ入社します。

当初は営業所勤務でしたが、経歴や家族構成が社長の目に留まり宣伝部に配属。そこで手掛けた仕事が、TBSの前身である「ラジオ東京」での日本電建提供のラジオドラマ制作でした。

これがプロデューサー業の始まり。1961年にTBSへ入社すると橋田壽賀子さんらとタッグを組み、TBSでドラマ制作を手掛けます。

以降、「肝っ玉かあさん」「ありがとう」など、数々のホームドラマが大ヒット。長年の活動により3度ギネス世界記録に認定され、2014年より淑徳大学人文学部表現学科客員教授に就任しています。

2023年、相葉雅紀さん主演の「ひとりぼっち -人と人をつなぐ愛の物語-」を手掛けました。

タイトルとURLをコピーしました