黒柳徹子 結婚 彼氏(夫)と死別「自分が死んだら」子供への思い~結婚歴・結婚観・結婚願望~

芸能

 

黒柳徹子さんには現在 夫となる男性はいないが、過去には死別した40年越しのパートナーも。さらに、お見合いで出会い結婚を決めかけた彼氏や結婚しない理由について語った。

結婚歴は無いものの「あきらめていない」と今でも結婚願望はあるとのこと。黒柳徹子さんの結婚観や結婚しない理由、子供への思いとは…

【「徹子の気まぐれTV【公式】」Twitterより 

 

黒柳徹子 結婚歴~現在 彼氏(夫)や子供はいるのか~

黒柳徹子さんは、インタビューやテレビ番組などでたびたび「結婚」について語っています。実際には今まで一度も結婚されたことはなく、これまで独身を貫いています。

子供については、1998年にスキャンダルを取り上げる「噂の眞相」という雑誌にて、「隠し子がいるのではないか」といった記事が掲載されました。

内容は、黒柳徹子さんの24歳年下の末弟・黒柳貴之(たかし)さんが隠し子ではないかというもの。これは黒柳徹子さんの母親が出産するには47歳での高齢出産のため「不自然」だということから出た噂。

末弟が務める某航空会社の社内でも噂になるほどだったようです。現在、「噂の眞相」は廃刊となっており、真相は明らかになっていません。

黒柳徹子さんはこれまで結婚歴は無いものの、女優になった動機を「母親になった時に子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったから」と話しており、若い頃は普通に結婚してお母さんになることが夢だったようです。

現在、独身生活では電話をする時にはガラケー、インスタを投稿する時にはスマホと使い分け、流行にも敏感。投稿してすぐに感想が届くインスタには魅力を感じているそうで、優しいコメントばかりなのが嬉しいとのこと。

ときには悪口を書かれて落ち込むこともあるのだとか。しかし、2021年4月9日放送の「徹子の部屋」では、「独身生活は寂しくない」と話しました。

 

黒柳徹子 結婚観を語る~「夫」よりも良い恋愛~

2021年4月9日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」は女優の二階堂ふみさんがゲスト出演。黒柳徹子さんが恋愛観と結婚観について明かす場面がありました。

それは番組の後半、黒柳徹子さんが二階堂ふみさんに「ご自分の結婚についても考えたりする?」と質問したことがきっかけ。

二階堂ふみさんは「まだまだやりたいことがたくさんあり、結婚願望はない」と回答。さらに「今は様々な家族の形があると考え、入籍せずに明るい未来を共にできるパートナーさえ見つけられたらよい」とのこと。

二階堂ふみ:「徹子さんは結婚についてどう思われますか?」

黒柳徹子:「私は全然。でも3回くらいお見合いしました。だけど恋愛が先に来た方がいいなって思っちゃって、やっぱりやめとくって言って。」

二階堂ふみさんも恋愛の大切さに共感し、「今後も恋愛はしていきたい」と話しています。

黒柳徹子:「あなたはお若いんだし、そりゃいっぱいなさった方がいいと思いますよ。」

二階堂ふみ:「本当ですか?やっぱり糧になりますか?」

黒柳徹子:「もう、そりゃ絶対です。やっぱり本当に愛したとか、愛されたって経験があると、あと独身でいたとしても寂しいことはないと思いますよ。」

愛された経験があれば、ひとりでいても寂しくないとアドバイス。そんな黒柳徹子さんは、まだ結婚をあきらめたわけではないようです。

 

黒柳徹子 結婚願望~「夫」をあきらめてない~

黒柳徹子さんが御年81歳の時、BS朝日「ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~」に出演し、「結婚も諦めたわけではない」と発言。

翌年、都内で行われた「第44回 ゆうもあ大賞」の贈呈式に出席した際も、「諦めてはいない」とキッパリ断言しました。

「茶飲み友達というか、旅行なんか行って『きれいな夕日だね』『そうだね』とかバカみたいですけどいいなって思ってる。そういうチャンスがあったら」と乙女心をのぞかせた。

引用:ORICON NEWS」

80代になっても女性らしさを忘れない黒柳徹子さん。これが美貌と若さの秘訣かもしれません。この年は文化功労者に選ばれ、年末の「NHK紅白歌合戦」の総合司会に起用されるなど大活躍。「徹子の部屋」を90歳まで、舞台出演は100歳まで頑張りたいと話しています。

以前、一部の報道で黒柳徹子さんの「車いす移動」も噂されましたが、これをキッパリ否定。

黒柳徹子:「重要な仕事の前は転ぶといけないので乗ろうかと。でも現在は乗っておりません。歩いておりますのでご心配なく。」

自宅では夜寝る前にジャイアント馬場さん直伝のスクワットを50回、貴ノ花さんに教えてもらった体を沈めて30秒を数えるトレーニングをしていると明かしました。

結婚への意欲もある黒柳徹子さん。理想のタイプは「知的で体が健康な人」だといいます。まだまだ、お年寄り扱いしてはいけませんね。

 

黒柳徹子 「結婚しない理由は…」

2017年9月27日放送の日テレ「1周回って知らない話」に黒柳徹子さんが出演し、「結婚しなかった理由」を明かしています。

この年は「24時間テレビ 愛は地球を救う」に登場し、服飾学校の学生たちへ自身の人生を熱弁。未公開映像の中で恋愛を語る場面がありました。

現在まで独身を貫いている黒柳徹子さんですが、本人によれば「これまで良い恋愛をしてきた」とのこと。具体的に恋愛した年齢なども伝えています。

黒柳徹子:「22~23歳ぐらいの時は、何回もお見合いの話もあったし好きな人もいました。30歳ぐらいの間にいろいろありました。結婚しないのはタイミングみたいなもの。」

タイミングさえ合えば結婚していたという黒柳徹子さん。結婚は後回しにして、まずは良い恋愛をしてほしいと学生たちに話しました。

黒柳徹子:「良い恋愛をすると、別れてもその人が死んでも、いつまでも生きていくことができる。」

良い恋愛をしてきた黒柳徹子さんですが、過去には愛する男性と死別してしまったといいます。

 

黒柳徹子 結婚 夫となるはずの彼氏「死別で…」

2017年1月25日放送の日テレ「1周回って知らない話 黒柳徹子に失礼な質問10連発SP」では「過去の恋愛」について明かしています。番組ではズバリ黒柳徹子さんに「結婚しようと思ったことは?」と直撃質問。

黒柳徹子:「あります。2、3回…」

  • 1度目は20代前半の頃

「結婚してもいいけど、結婚ってそんなに面白いものじゃないよ」と彼から結婚生活の大変さを教わり、仕事の道を選んだため破局。

  • 2度目は30代

この時、仕事に夢中だった黒柳徹子さんは外国人男性と遠距離恋愛。年に1、2回しか会えない中、彼との交際は40年も続いたそうです。

この外国人男性との恋愛は、黒柳徹子さんの著書「トットひとり」にも記載。当時は大きな話題となりました。

著書よれば、出会いはニューヨーク留学の時。黒柳徹子さんは38歳、彼は42歳で4歳年上だったそう。彼から「一緒にパリに来てくれないか」と言われるも、仕事に夢中で辞める決断ができなかったため、遠距離恋愛をすることになったといいます。

ニューヨークから帰国するとFAXでのやり取りがスタート。忙しい仕事の合間を縫って彼に会いに行ったのだとか。

そんな中、彼が2012年にスイスにて他界。悲しみに暮れ、現在まで恋人を作らずにいるとのこと。

黒柳徹子:「良い恋愛をすると、別れてもその人が死んでも、いつまでも生きていくことができる。」

黒柳徹子さんのこの言葉には、深い意味が込められていました。また、これまで結婚しなかったのはその恋人が亡くなってしまい、タイミングを失ってしまったからだと話しています。

 

黒柳徹子 結婚を考えた若い頃

黒柳徹子さんといえば「徹子の部屋」や「世界ふしぎ発見!」以外にも、「ザ・ベストテン」という長者番組の名司会者として有名。

若い頃はとても美人で、あのアラン・ドロンさんに口説かれたという話も。30代の時、ニューヨークへ演劇留学していた時の写真が話題を呼びましたが、こちらの写真もキュートですよ。

この写真は、私がニューヨークに、住んでた38歳の時のもの
この頃は、こういうファッションが流行ってたんだけど、今、見るとかなりの露出ね!
ニューヨークに行くのを決めたのは、30代半ばくらい。
私は、実家で暮らして、実家から仕事場に通っていた。それまで、家事を、一切したことがなかった。
「私、このままの状態で、芸能界の仕事をし続けたら、何んにも、知らない大人になっちゃうなぁ!」と考えてた。
日本でも、文学座で2年、演劇の勉強はしてました。
舞台の仕事を、たくさんするようになったら、「やっぱり、本場、アメリカのブロードウェイで、演劇の勉強をしたい!」と思った。
2〜3年かけて、仕事もコマーシャルも全部やめて、ニューヨークに渡った。
一人暮らしの、何もかもが、始めての経験で、毎日が楽しかった
この写真は、演劇学校の同級生に、自分のアパートでランチをご馳走して、お皿を洗ってるところです。

【 黒柳徹子さん 公式インスタグラムより 】

 

黒柳徹子 結婚を決めかけた彼氏がいた

前述の著書「トットひとり」では、過去に3回お見合いをしたことを明かしています。そのうちの最後にお見合いをした男性とは結婚を考えていたのだとか。

2018年1月9日放送のテレビ東京「チマタの噺」で、その男性と破局した理由について告白しました。

笑福亭鶴瓶さんがたまたま仕事で黒柳徹子さんと顔を合わせ、「今度ゲストで出てくださいよ」とお願いしたことで出演が実現しています。

番組で神社主催のお見合いパーティーの様子を見ると、話題は「お見合い」へ。黒柳徹子さんは過去のお見合い経験を語り始めます。

黒柳徹子:「結婚を決めかけていた人が1人いました…」

笑福亭鶴瓶:「え?結婚、決めかけてた人いてたんですか!?」

黒柳徹子:「決めかけてたんですよ。」

しかし、そのお相手の歩き方が気に入らず破局したとのこと。黒柳徹子さんの母親はすでに嫁入りのためのコートを作ってくれていたのだとか。自由すぎる娘の行動に、母親から「結婚詐欺」呼ばわりされてしまったそうです。

この他に、黒柳徹子さんには結婚の噂がささやかれていた大物芸能人が2人いました。

  • 1人目、タレントの永六輔(えい・ろくすけ)さん

名曲「上を向いて歩こう」を生み出した作詞家で放送作家。テレビやラジオなどを中心に軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めました。

60年来の親友関係でしたが、永六輔さんの奥さまが他界されると「黒柳徹子と再婚します」とジョークまじりで発言。

しかし、黒柳徹子さんは「結婚しても奥さまのようにはいかない」と考え、友達関係のままで終わっています。永六輔さんは2016年、83歳で他界されました。

  • 2人目、ジャニーズ事務所の元社長・ジャニー喜多川さん

2人は60年来の親友。過去には「ついに2人が結婚」などと熱愛報道が出たことから、黒柳徹子さんはジャニーさんのことを「旦那」と呼んでいました。

2019年にジャニーさんが他界した際、黒柳徹子さんは「お別れ会」に出席。「本当に旦那さんが亡くなったみたい」と別れを惜しみました。

これまで結婚寸前の男性は数人いたようですが、タイミングなどで縁が無かったようです。

 

黒柳徹子 結婚や子供への思い「自分が死んだら」

2020年9月22日放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に黒柳徹子さんが出演。芸能生活が60年を超えた思いを語りました。ここでも人生を振り返った際に「結婚」について触れています。

黒柳徹子:「独身を貫いてきたことは、これっぽっちも後悔はないです。」

この時、御年87歳。番組では黒柳徹子さんが「死生観」について語る場面がありました。

黒柳徹子:「死んだとするじゃないですか。そうすると、“あぁ~こんなもんだったんだ、こういうのだな人生は“ と思ってね……もっと色んなことがあるのかもしれないけど、私は知らなかったかもしれないけど、“それはそれでまあいいや“ と思って……私が知った限りの人生でいいかなと思ってね。」

もし自分が死んでも心の中でこのように割り切って旅立てるといいます。それはある意味「人生やりきった」という充実感から沸き起こる感情かもしれません。

結婚せず、独身を貫いてきたことも同様。内容の濃い良い恋愛をしてきたからこそ「結婚」にとらわれることなく、気持ちに満足いったのではないでしょうか。

さらに、番組では黒柳徹子さんに「今、孤独に感じますか?」と直球質問。

黒柳徹子:「そういうことありますよ。これから先…だって私ひとりですしね。結婚もしてないんだし。そりゃ孤独とか死ぬとか… “あとどれぐらい生きるだろう?“ とか、そういうことを考える時ありますよ。」

ときにはこうして考え込むことがあるようです。しかしそれは一時的なもの。基本的に黒柳徹子さんは楽観的で、「結婚」に関しては悔いがないといいます。

黒柳徹子:「私、割と楽観的なのかしらね。本当に冗談ではなくて、後悔は別に何もしてないですね。そういうことでは。」

もし愛する人がいたとして、その人の血を引いた子供を産まなかったとしても、育てられなかったとしても、それを不幸だとは考えていないとのこと。

仕事で大成功を収めた黒柳徹子さん。私生活での結婚においても「我が人生に悔いなし」といったところでしょうか。その人生はとても素晴らしく、社会福祉活動などでは尊敬に値しますが、追いかけるのは容易でなく真似できるものではありません。

「自分が死んだら」と考えた時、黒柳徹子さんの言葉は「楽観的に変換できるくらい悔いのないようにしよう」と気持ちを後押ししてくれるものでした。

【「徹子の気まぐれTV【公式】」Twitterより 

 

黒柳徹子 結婚したい王子様が出現!?

2023年4月29日、黒柳徹子さんの公式YouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」にて、「【神対応!】羽生結弦さんが徹子の部屋へ!」と題した動画が投稿されました。

これは、2023年5月2日放送のテレビ朝日「徹子の部屋 2時間SP」にゲスト出演する羽生結弦さんが、収録前に黒柳徹子さんの楽屋を訪れた時のもの。

黒柳徹子さんはドレス姿、羽生結弦さんは3ピースのスーツ姿で、まるで王子様とお姫様。

羽生結弦:「ご無沙汰しております。」( ひざまづきながら )

この姿勢で黒柳徹子さんと最後まで会話しています。2022年、大みそかに放送された「第73回NHK紅白歌合戦」でゲスト審査員を務め、隣同士だった2人。

マイクを持たずに話し始めてしまった黒柳徹子さんに、マイクを差し出すという「神対応」が話題になりました。この時、「ゆっくり羽生結弦さんとお話ができなかった」という黒柳徹子さんですが、「徹子の部屋2時間SP」で夢が実現!

YouTube動画では、本音のやり取りも。

黒柳徹子:「元気なの?」

羽生結弦:「体は元気なのですが精神的に疲れるところも…」

スポーツに関してはまったくの無知だという黒柳徹子さん。過去には生放送で相撲部屋の親方に対して「親分」と呼んでしまったこともありました。

しかしフィギュア界の王子、羽生結弦さんには心を動かされたのではないでしょうか。

黒柳徹子さんはいくつになっても可愛らしさがありキュートな女性。長年輝き続けている姿を拝見すると神々しさもあります。

元気やパワーをくれる存在。今後も素敵な衣装と玉ねぎヘアで、みんなに笑顔を届けてほしいですね。

 

黒柳徹子 プロフィール

本名・黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)

生年月日・1933年8月9日

出身地・東京都

血液型・A型

身長・163センチ

学歴・トモエ学園、香蘭女学校、東洋音楽学校声楽科卒(現:東京音楽大学)

職業・女優、タレント、作家

東洋音楽学校を卒業後、オペラ歌手をあきらめて俳優募集の広告に応募。1953年にNHK放送劇団「文学座」を経て、NHK専属のテレビ女優第1号としてデビューしました。

女優になった理由については、「母親になった時に子供に絵本を読み聞かせられるようになりたかったから」と話しています。

1954年、NHKラジオ第1で放送された主演ドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」がスタートし、「ブーフーウー」や「夢であいましょう」などの人気番組に出演。

20代後半にはレギュラー番組が週10本になり、過労から1か月入院生活を送ったことも。1976年からは日本初のトーク番組としてテレビ朝日「徹子の部屋」がスタート。

著書「窓ぎわのトットちゃん」は世界35ヶ国語に翻訳され、大ベストセラーとなりました。これまで社会福祉活動に力を注ぎ、ユニセフ親善大使としても活躍。

黒柳徹子さんは、日本でテレビ放送が開始された初日からテレビに出つづけています。

タイトルとURLをコピーしました