仲代達矢 現在も妻の遺言守る「無名塾だけは…」娘・奈緒は女優で養女

芸能

 

2022年8月15日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に仲代達矢さんが出演。現在も、妻で女優の宮﨑恭子さんと創設した「無名塾」を守り続けています。

亡き妻・宮﨑恭子さんとの馴れ初めや結婚生活とは…。娘で女優の仲代奈緒さんの現在の活躍にも注目。

仲代達矢さんは、2022年12月で90歳を迎えます。

 

仲代達矢 現在【画像】2022年

仲代達矢さんは、役者生活70周年を迎えました。記念作品として、舞台「いのちぼうふろう物語」を石川県能登限定にて公演されます。

 公演日は、2022年9月4日(日)~10月10日(月・祝)。 

5月には石川県七尾市へ訪れ、記者発表を開催。その時の様子が、石川県七尾市の公式Twitterにて公開されています。

【 2022年5月30日、石川県七尾市 公式Twitterより 】

 

仲代達矢 プロフィール

本名・仲代 元久(なかだい もとひさ)

生年月日・1932年12月13日

出身地・東京府東京市目黒区 ※現在の目黒区

血液型・B型

身長・178cm

学歴・世田谷区立烏山中学校、都立北豊島工業高校を中退し、都立重機工業高校と都立千歳高校定時制を卒業

仲代達矢さんは4人兄弟の長男。小学2年生の時に父親が他界し、母子家庭で育ちました。生活は困窮し、子供の頃から弟と共に働きます。

高校時代は中学校で用務員を務めながら、食事や交通費を切り詰めて、映画館で年間300本ほど映画を観ていました。

卒業したある日、俳優座の舞台を鑑賞。千田是也さんの演技に魅了され、19歳の時に俳優座養成所に入所します。

1955年、22歳の時に舞台「幽霊」にて初出演。この舞台を観た女優・月丘夢路さんに見初められ、映画「火の鳥」で月丘夢路さんの相手役に抜擢されました。

以後、舞台や映画、テレビドラマで活躍。日本を代表する大物役者となりました。

 

仲代達矢 結婚した妻・宮﨑恭子との馴れ初め

仲代達矢さんは1957年に、俳優座養成所の先輩女優だった宮崎恭子(みやざき やすこ)さんと結婚しています。

2人は、1955年の舞台「森は生きている」での初共演がきっかけで交際を開始しました。

この作品は俳優座が日本で初めて公演し、俳優座の代表的な作品として上演を繰り返しています。2019年では上演回数が2100回を超えたとのこと。

そんな素晴らしい作品を通して出会った2人。妻の宮﨑恭子さんは結婚後、仲代達矢さんの俳優人生をサポートするため、女優業を引退しています。

その後、1965年頃から宮﨑恭子さんは、脚本家に転身。「隆巴(りゅう ともえ)」という名前で、テレビドラマや映画を脚本を執筆されました。

舞台「いのちぼうふろう物語」もまた、妻で「隆巴」の脚本によるもの。仲代達矢さんが最後にやりかった舞台でもあるそうです

2人は若い頃、舞台「森は生きている」の共演以外にも、シオノギ製薬の「パンテーン」のCMで共演しました。

 

仲代達矢 妻・宮﨑恭子【画像】

シオノギ製薬「パンテーン」のCMで共演した仲代達矢さんと宮﨑恭子さん。当時は、とても若くて初々しい雰囲気でした。

妻・宮﨑恭子さんはセミロングの黒髪が綺麗な美人です。

※ 黒髪美人 イメージ画像

2022年5月31日、「読売オンライン」記載の “9月七尾で仲代さん公演 意気込み語る“ の中で、亡き妻・宮﨑恭子さんの写真画像が掲げられています。

 仲代さんは今年、役者人生70周年。この作品は「左の腕」に次ぐ今年2作目の時代劇だ。仲代さんは「節目の年に時代劇に2本も立てることを幸せに思う」と話し、「健康に感謝して足腰がきく限り、体力が続く限り、声が出る限りもう少し頑張りたい」と続けた。

引用:「読売オンライン https://www.yomiuri.co.jp/local/ishikawa/news/20220530-OYTNT50129/ 」

 

仲代達矢 妻・宮﨑恭子の女優業から「無名塾」を創設まで

宮﨑恭子さんは女子学院卒業後、1950年に俳優座養成所に入所しました。卒業後は、同期の俳優たちと「劇団新人会」を結成。女優として活躍します。

TBS「東芝 日曜劇場」には、1970年から1977年まで毎年のように出演していた宮﨑恭子さん。

1975年、稽古場に集まる若手俳優たちに指導していたことをきっかけに、仲代達矢さんと「無名塾」を立ち上げます。

この俳優養成所は、仲代達矢さんが主宰。宮﨑恭子さんが運営、脚本、演出を務めました。

入塾性には、役所広司さん、若村麻由美さん、真木よう子さん、滝藤賢一さんなど、数々の有名役者がいます。

1977年より、「もっと多くの俳優を育てたい」という思いから公募も開始され、演じることへの熱意ある役者が集まっています。

宮﨑恭子さんは「無名塾」に力を注ぎながら、1977年の仲代達矢さん主演のドラマ「砂の器」に出演。脚本と同時に劇団の事務員役として登場しました。

さらに、1983年の仲代達矢さん主演のドラマ「樅ノ木は残った」にも出演しています。

 

仲代達矢 妻・宮﨑恭子が「すい臓がん」で他界

妻の死で、後追いの気持ちも…

「無名塾」創立後、20年近く役者の指導に努めてきた仲代達矢ご夫妻。1995年の夏に行われた「無名塾」の全国公演中に、妻・宮﨑恭子さんが体調を不良を訴えました。

病院にて検査したところ、「すい臓がん」であることが発覚。宮﨑恭子さんは2か月後に手術を受け、成功。しかし、後にすい臓から転移していることが判明しました。

この時、仲代達矢さんは医師から「余命半年」と伝えられますが、宮﨑恭子さんには伏せていたそうです。

すると宮崎恭子さんは自身の運命を悟ったのか、結婚記念日に「おいしい人生を有り難う」と書いた色紙を手渡してきたとのこと。

1996年6月、宮﨑恭子さんが他界。享年65歳でした。

僕に強さがあったとしたら、宮崎恭子という相棒がいたからです。彼女が亡くなり、手足をもがれたような喪失感のなかで切実にそう思いました。後追い自殺すら考えました。

引用:2012-03-04「週刊朝日AERAdot.」俳優・仲代達矢 「後追い自殺すら考えました」と妻の死語る。

奥さまの存在の大きさが伝わりますね。ここからの仲代達矢さんの立ち上がりが素晴らしいです。

 

現在も妻の遺言守る「無名塾だけは…」

宮﨑恭子さんが他界してまもなく、仲代達矢さんに南半球の島を1年かけて回るドキュメンタリー番組のオファーが入ります。

周囲に反対されるも、「妻のいない日本から逃げ出したい」という思いもあり、独断で受け入れたとのこと。

道中では、小さなカヌーの中で「これで死ねるな」という気持ちもよぎったとか。しかし、旅を続ける中で大自然の大きさに感動し、「ぶっ倒れるまで役者をやろう」と決意。

この旅を通して、寂しさを乗り越えたそうです。

この後、自宅の様々な場所から宮﨑恭子さんからの手紙が出てきたといいます。

「ふたりで作った無名塾だけは絶対にやめないでね」

「エレベーターを造っておいたのは、たとえあなたが車椅子になっても塾生の指導ができるようにです」

今も仲代達矢さんが役者として舞台に立てているのは、宮﨑恭子さんに将来を見通す賢さがあったからだと話しました。

そして塾生が支えてくれるおかげで、今も舞台に立てているとのこと。塾生は夫婦にとって、我が子のような存在かもしれませんね。

 

仲代達矢 妻・宮﨑恭子との子供 (娘)「仲代奈緒」は女優で養女

仲代達矢さんと宮崎恭子さんの間には、一人娘の「奈緒 (なお)」さんがいます。

奈緒さんは、フジテレビアナウンサーだった山川建夫さんと宮崎総子さん夫妻の長女として生まれました。

この後、4歳の時に仲代達矢さんと宮崎恭子さんの養女となっています。アナウンサーの宮崎総子さんは、宮﨑恭子さんの妹。

仲代達矢さんと宮﨑恭子さんの間には、実子は誕生していません。奈緒さんは、1973年12月11日生まれで48歳。(2022年8月時点)

中学時代から歌手を夢見ており、現在は女優・歌手として活動しています。幼少期から俳優養成所や無名塾の稽古場が遊び場だったという奈緒さん。

1982年、8歳の時に無名塾公演の「マクベス」で初舞台を踏みました。1991年、「きっと忘れない」で歌手デビュー。1996年には、NHK大河ドラマ「秀吉」で仲代達矢さんと共演しています。

他には作詞や作曲も手がけ、CD作りや各地でライブも開催。

これまでに、南こうせつさんプロデュースの「花よ」や、セルフプロデュースアルバム「BEST FRIEND」などをリリースしました。

美声と歌唱力が素晴らしい奈緒さん。「​仲代奈緒Officialsite」には歌唱する動画が公開されています。

 

仲代達矢 娘・仲代奈緒【動画・画像】

「​仲代奈緒Officialsite」では、歌と朗読を表現方法のひとつとして、“ねねぷろじぇくと“ にて公演されているようです。

サイト内では、”NAO NAKADAI 2017firstLIVE”より、南こうせつさんプロデュースの名曲「花よ」が公開されています。

透き通るような美声に魅了されますよ!

 

こちらは仲代奈緒さんのインスタグラム。仲代達矢さんとのツーショット画像は微笑ましいですね。

【 仲代奈緒さん インスタグラムより 】

仲代奈緒さんの活躍の様子は、「仲代奈緒Officialsite」や Twitter、インスタグラム、オフィシャルブログ「ココロの部屋」に掲載されています。

仲代達矢さんといえば、1987年に公開された映画「ハチ公物語」。優しくハチに接する場面は、今も深く胸に残り続けています。

日本を代表する名優、仲代達矢さん。今後もお元気に、長く活躍し続けてほしいですね。

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