沢村一樹 父が借金 母スナックで仕事「両親は離婚して…」実家の家族兄弟

芸能

俳優・沢村一樹さんの実家での家族構成は父親、母親、兄弟には年齢4歳下の妹がおり4人家族。父親は仕事か何かで失敗し多額の借金。母親は美人で、職業はスナックなどを掛け持ちしていた。

沢村一樹さんの実家の場所や両親の離婚、父親や母親、兄弟エピソードとは…

◆沢村一樹さんのインスタグラムより

沢村一樹 家族構成~父・母・妹~実家の場所

沢村一樹さんの実家での家族構成は父親、母親、年齢4歳下の妹の4人家族

本名は「野村」という姓の沢村一樹さん。父親の名前は不明ですが、母親は野村リツ子さん、妹は野村真美さんといいます。

兄弟の野村真美さんですが、女優の野村真美さんと同姓同名。そのため沢村一樹さんは、女優の野村真美さんと「兄弟なの?」とたびたび噂されました。

これを受け、女優の野村真美さんが自身のブログで真相を伝えています。

面白いのが沢村さんの本名は、野村なのです。そして妹さんが、真美さんなのです。つまり私と全く同じ ‘野村真美, さんです。そんな話を昔しましたね!と、盛り上がっています。

引用:野村真美オフィシャルブログ 2010-04-04

この投稿で沢村一樹さんと野村真美さんが兄弟だと間違われることがなくなりました。

子供の頃、内向的な性格でいつも一人遊びをしていた沢村一樹さん。家庭生活は裕福な暮らしではなく、実家は6畳と4畳半の2間。風呂なしで汲み取り式トイレの古いアパートで過ごしました。

そんな沢村一樹さんの実家地元は鹿児島県鹿児島市。出身小学校が鹿児島市内の公立校「中郡(なかごおり)小学校」であることから、実家の場所は鹿児島市「郡元」付近にあるといわれています。

近くの郡元駅は、鹿児島市電谷山線が運行。周辺にはスーパーやコンビニなど、たくさんの商業施設があり生活利便性が高い街です。

学校の数も多く教育面でも充実しており、緑豊かな場所。こうした環境で沢村一樹さんは家族と共に過ごしました。

グーグルマップ「鹿児島市立 中郡小学校」

また、沢村一樹さんは

小学生の頃、父と一緒にこれに乗り、映画館へと向かいました。中学生の頃これに乗り、貯まったお小遣いを手に映画館へと向かいました。

沢村一樹さんのインスタグラムより

沢村一樹 父親と母親の職業~両親が離婚~

幼少期、貧しい生活環境だった沢村一樹さん。さらに12歳になると父親が蒸発し、中学に入ると両親は離婚

沢村一樹さんの父親の職業は定かではありませんが、仕事か何かで失敗してしまい借金を作ったといいます。その額は、2000万円から3000万円ほど。

母親は借金を返済するため、昼は化粧品販売、夜はスナックの仕事を掛け持ちしながら、女手一つで子供2人を育て上げています。

「小学生から中学生の頃にかけて、あいつの家によく遊びに行きました。借家で6畳と4畳半の2間。風呂もない。小遣いもなくて、買い食いなんてできなかったみたいです。父親はいるのを見たことがなかったですね」(沢村一樹の2つ年上の幼なじみ)

「家賃は2万円ほど。お父さんが事業か何かに失敗したようで、引っ越してきたみたい。お母さんは若いころ美容部員をしていたそうで、キリッとした美人でした」(近所の住人)

引用:2017年4月20日「exciteニュース」『ひよっこ』父役の沢村一樹 実父“失踪”した悲しき少年時代

ただ母親は明るくポジティブな性格で、「父親が家にいないからってグレることは絶対に許さん!甘えは厳禁!」と口ぐせのように言い聞かせて育てました。

波乱の子供時代でしたが母親から温かく育てられたことが救いで、感謝しているようです。

沢村一樹 父親と再会し葛藤

高校を卒業する直前、父親がひょっこり実家に戻ってきたそうです。そのとき父親が沢村一樹さんに「おまえ将来どうするんだ。大学とか考えているのか?」と今後の道を聞いてきたのだとか。

沢村一樹:「 “あんたはそんなこと言えた義理か!“ と。」

これまでの行動を棚に上げた父親の無責任な発言に激怒し、殴りかかったといいます。そんな対立から2年後に父親は他界。このとき葬儀には参列しませんでした。

人気俳優になったあと、父親の遺骨が無縁仏のままになっていることを知り、お墓を立ててあげた沢村一樹さん。毎年、帰省した際はお墓参りをして手を合わせているそうです。

沢村一樹:「命日はできるだけ帰るようにして、2、3時間ぐらいかけて墓参りをしています。墓石だけは新品のタオルで拭いて…」

父親が作った借金のせいで若い頃は苦労を重ねましたが、最後は父親を許しています。

沢村は『女房の母親に言われたんだけど、自分の仕事は人を喜ばせるのが仕事。たとえば誰かが自分に会いたいと言ったら、できるだけその気持ちを汲んで受け入れることで喜んでもらえる』と言っていたんです。

そういうことを繰り返すうちに、昔は恨んでいた父親にも何か事情があったのだろうと受け入れる気持ちになったんじゃないかな」(前出・別の同級生)

引用:2017年4月20日「exciteニュース」『ひよっこ』父役の沢村一樹 実父“失踪”した悲しき少年時代

沢村一樹 父親が他界し母を支え~アルバイト生活~

2018年3月23日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に沢村一樹さんが出演。父親や母親とのエピソードを明かしました。

放送当時、沢村一樹さんは高校2年、中学2年、小学1年生の3人の息子の父親。親子関係は良好で、反抗期がないように子育てしていると話しています。

沢村一樹:「(息子たちが母親に)”くそババア” っていう言葉を使ったその瞬間に勘当です。これは、おどしじゃなくて本気なので。その1個だけを子供の頃から言い聞かせてます。」

沢村一樹さん自身は父親や母親に対する反抗期はなかったものの、息子たちにはしっかり伝えているのだとか。

沢村一樹:「 (僕自身は) 反抗期を起こす余裕もなかったので…物心ついて反抗期と呼ばれるころにはもうおやじがいなくて、会う機会もそんなになかったので、おやじがいたら、もしかしたら反抗期があったかもしれないですけど…」

役者を目指して上京し、資金を貯めた沢村一樹さん。このアルバイト生活を送っていた19歳頃に父親は57歳という若さで他界しました。

沢村一樹:「言い方が良くないかもしれませんけど介護もしなくていいし、僕らにとってはいわゆる “子孝行” だったのかなって…」

独りでこの世を去った父親を偲び、番組では葬儀に参列しなかった理由についても明かしています。

沢村一樹:「当時は合わせる顔もないし、母親に対する気づかいもあって…そのことへの後悔もあって、鹿児島に墓を建てました。」

もともと父親に対して憎しみはなく、「母親の見方をした方がいいのではないか」と思っていたのだとか。

現在は母親も高齢になり、父親についてあまり語ることがなくなったといいます。沢村一樹さんにも妻や子供ができ、今はただただ母親に感謝しているとのこと。

子供の頃からよくテレビで映画ロードショーを観るなど、映画好きだった沢村一樹さん。母親も芸能界に憧れがあったようで、反対せず応援してくれました。

小学生になると映画の仕事をしたいと思うようになり、卒業文集にはこんな一言も…

“大スターになって女の子にモテモテのところを(担任の)先生に見せつけること“

芸能界を目指したきっかけは「金銭面」も理由にあったそうです。

「僕が芸能界を志すようになったのも、僕が普通に会社に勤めていたら家族を養えないと子供心にも思っていたのと、おふくろも芸能界に憧れていたみたいで、その思いを僕に託すようなことを言われていたという影響もあると思います。」

引用:2020-09-03「ローリエプレス」沢村一樹「初の下ネタは“清水の舞台から”だった」幼少期から俳優として活躍するまで|インタビュー

また、沢村一樹さんは「AERA dot.」のインタビューにて両親について次のように語っています。

  • 母親にものごころついたときから「テレビの仕事をしなさい」と言われていた
  • 母親は若い頃はきれいだった
  • 父親が甲斐性なしのため、早い段階で沢村一樹さんが母親の面倒を見なきゃいけないんだろうなと思っていた

沢村一樹さんは20歳になり、19万円を握りしめ鹿児島から上京。歌舞伎町のライブハウスでアルバイトをしていたところ、客の紹介でモデル事務所にスカウトされます。

そして25歳で雑誌「MEN’S CLUB」の専属モデルに。しかし現場に行くとみんな知り合いで、居心地の良さからモデル業に危機感を覚えたとか。

本当は俳優になりたかった沢村一樹さん、「このままではいけない」と人生で一番焦ったそうです。

モデルとしては大成功し高収入でしたが、夢と現実のギャップに眠れない日が続いたとのこと。

沢村一樹:「“モデルは一生やろうとは思ってません“ って、モデル現場で言うようにしてました。」

こうして周囲に本音を伝えたことで気持ちをくみ取ってもらえ、役者の道が開けたようです。収入はモデル時代より4分の1に減ったものの、心は満たされていました。

沢村一樹:「もうワクワクしかなかったです。」

しかし、俳優デビュー後も苦悩が長く続いたそうです。

沢村一樹 母親への恩返し、なかなかできず

沢村一樹:「“思ってたようにうまくいかないんだな“ っていうのはありました。」

当時はバブル時代。広告も多くモデルから俳優へ多くの人が転身したといいます。同期には大沢たかおさん、竹野内豊さん、反町隆史さん、田辺誠一さんがいました。

先に俳優になり追い越されるも悔しさはなく、うらやましさが募ったのだとか。同時に、道を切り開いてくれたおかげで役者になれたという感謝の気持ちも沸いたそうです。

そして、いざ俳優になって見ると…

沢村一樹:「お小遣いがたまったら映画館に行くっていうような子供だったんですけど、やっぱ観るのとやるのは全然違うから…」

デビュー当初は演じることの難しさに苦しんだといいます。

沢村一樹:「こんなにもできないかなって、現場に行ったら何にもできなかった。」

デビューするも主演はわずか。しばらく脇役の日々が続きました。実家の母親が応援してくれている中、葛藤の日々。

しかし2000年になると、TBS系の2時間サスペンス「浅見光彦シリーズ」で、辰巳琢郎さんから主人公の浅見光彦役を引き継ぐことに。

さらに同年、5歳年下の元モデルの女性と結婚。子供も3人誕生し、公私ともに順調な日々が続きました。

その後、40歳の直前になると再び危機を感じたそうです。

“二枚目役のオファーばかりだ…“

沢村一樹さんはバラエティ番組で下ネタを披露。これが予想以上の反響を呼び注目を集めました。

2006年、NHKのコント番組「サラリーマンNEO」で “セクスィー部長“ に扮したことで視聴者の心をわしづかみ。「エロ男爵」という異名も付けられ、意外にも人気上昇。

ドラマ出演がますます増え、注目の俳優となりました。鹿児島で暮らす母親も、人気が出たことをうれしく思っているようです。

沢村一樹さんが鹿児島に帰省して飲み屋に行くと、「お母さんにお会いしました」と言う人がたくさんいるのだとか。

出会った人がたくさんいる理由は、母親が路面電車を待っている人などに「私は沢村一樹の母なんです」と話しかけているため。

息子が有名俳優になったというよろこびが伝わりますね。

沢村一樹 体調管理は母親から妻と木村拓哉へ

実家暮らしのときの体調管理は母親が、結婚後、自宅では妻がサポートしていますが、芸能界では木村拓哉さんに助けられているそうです。

2022年4月3日放送の日テレ「おしゃれクリップ」では、沢村一樹さんが木村拓哉さんとのエピソードを告白。

Q. 沢村一樹さんは体調管理をどうされているんですか?

沢村一樹:「木村拓哉くん見てて…。彼は “ヤバい” って、疲れてくるじゃないですか、そうすると出るんですよ、アドレナリンか分かんないですけど、それが出たとき “グッ“ って元気になるところを使ってるなと思って。」

木村拓哉さんは追い込まれて疲れてきたときに、逆に元気になるアドレナリンが出るのだとか。それが共演したときに深く印象として残っているようです。

沢村一樹:「本当にしんどいなと思った時は、木村くんを思い出すようにしてます。」

役者は時に闘うアスリートのような状態に。木村拓哉さんのストイックな姿が、沢村一樹さんに大きな影響を与えているようです。

沢村一樹:「あれは刺激になりましたね。一緒に連ドラやらせてもらった時に、この人すごいなと思って。」

◆沢村一樹さんと木村拓哉さんの共演作品
スペシャルドラマ『宮本武蔵』
ドラマ『アイムホーム』
ドラマ『グランメゾン東京』
映画『マスカレード・ナイト』

今後も一番刺激をもらえるという木村拓哉さんとの共演が楽しみですね。

「TBS」公式 X (旧:Twitter) より

沢村一樹 亡き父や母への感謝を語る

2024年4月18日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に沢村一樹さんが出演。鹿児島で暮らす母親や亡き父親について語りました。

沢村一樹:「 (母は) 派手な服が好きなんすよね~。保護者会のときは、”一番目立つ格好で行くんだ” っていうポリシーで来てました。保護者会が終わって家に帰ると、”私が一番きれいだったでしょ” って聞かれて (笑)」

また、沢村一樹さんが19歳のときに他界した父親への思いも。

沢村一樹:「 僕が中学に入る頃に離婚していたので、父とは年2、3回会うかなっていうくらいだったんですけど。母は大変だったと思います、女手ひとつで…」

小学校の頃から父親は家にいることはほとんどなく、母親や妹と3人での生活だったそうです。

コロナ禍ではしばらく母親に会えずにいたそうですが、久しぶりに鹿児島に帰ったという沢村一樹さん。

沢村一樹:「 (母は) もう施設に入っているんですけど、意識もほとんど…声は聞こえてるのかなっていうぐらいです、今は。」

87歳になるという沢村一樹さんの母親。意識はほぼ無いものの、心臓が強くて体は元気だといいます。

あるとき言動がおかしいと感じて調べたところ、脳が委縮し始めていたそうで、実際に無いものがあるように見えたりするように。

沢村一樹:「それがわかるまで、すごく時間がかかって、ご近所の方たちにご迷惑をかけてしまったんですよね…。僕もそれに気がつかなくて、本当に申し訳なく思うんですけど…」

母親の症状は地元のボランティアの方が見つけ、検査の手続きなどもサポート。沢村一樹さんの母親は難しい病気だったため、優先的に施設に入ることができたそうです。

沢村一樹:「ボランティアの方に、本当に感謝だなと思って。5年くらい母の病気に気がつかなかったんですよ。」

意識がほとんどない母親ですが、沢村一樹さんが施設に訪れると看護師たちが驚くほど意識が戻るのだとか。

沢村一樹:「やはり母親だな~と。とくにうちの母は僕らに愛情を注いでくれて…過保護なくらい。お金はなかったんですけど、すごい楽しい家で、うちの妹もけっこうしゃべるのが好きなんで、いつも3人で楽しくやってました。」

沢村一樹さんは「妹と結束しないといけない」と思い、今でも兄弟で仲よく過ごしているとのこと。

そんな家族を大切に思いやる沢村一樹さんですが、日頃はトイレ掃除を率先して行っているそうです。

沢村一樹:「僕らの仕事って運を大事にしないと、他の仕事よりも運のウエイトが大きいので、片付けや良いとされているものはできるだけ…」

息子たちにも「トイレはきれいに使いなさい」と伝えているのだとか。沢村一樹さんは苦労を重ねた分だけ、息子さんたちへの愛も大きいようです。

現在、芸能の道で活躍する息子さんたちについては、こちらからどうぞ ↓

沢村一樹:関連記事

◆2024年4月18日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」沢村一樹 番組内容詳細

多岐にわたり大活躍の俳優・沢村一樹さんがゲスト。

私生活では24年前に結婚し、息子3人を育て上げる父としても奮闘を。長男はモデルに、2年前には次男が俳優デビューを…同じ職業を歩む息子への思いを明かす。

この春に中学2年生になった三男には芸術的才能が!?現在の暮らしぶりも語る。19歳で俳優を目指し、鹿児島から単身上京。

今年、俳優生活28年を迎え…女手一つで育ててくれた故郷の母への感謝と家族での思い出を振り返る。また“片付け”には厳しいというその理由も。

朝ドラ「虎に翼」公式 X (旧:Twitter) より

沢村一樹 プロフィール

本名・野村 耕蔵(のむら こうぞう)

生年月日・1967年7月10日 

出身地・鹿児島県鹿児島市

血液型・B型

身長・184cm

学歴・鹿児島県立松陽高等学校

幼少期から俳優になりたいという夢を持ち、20歳で地元の鹿児島から上京。その後、29歳までアルバイトをしながらファッション誌のモデルを9本務めました。

歌舞伎町でアルバイトをしていたところスカウトされ、内村光良さん脚本・監督のドラマ「松田のドラマ」で念願の俳優デビュー。

その後、木村拓哉さんを始めとする名だたる俳優たちと共演します。自身が主演を務める作品が軒並み大ヒット。

1996年、連ドラデビューしたドラマ「続・星の金貨」、2000年「後鳥羽伝説殺人事件」、2005年「雨と夢のあとに」、2011年「ザ・ミュージックショウ」、2016年「レンタル救世主」、2018年「絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜」、2021年の映画「マスカレード・ナイト」など、数々のテレビドラマや映画に出演しています。

2024年はドラマ「ミス・ターゲット」、NHK朝ドラ「虎に翼」、「徹子の部屋」などに出演。

日10ドラマ『ミス・ターゲット』【公式】X (旧:Twitter) より

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