加藤登紀子 現在 娘のYaeと夫の農園を守り…自宅で涙

歌手生活55年を迎えた歌手の加藤登紀子さん。2020年12月7日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演。現在の私生活を明かしました。

歌手で娘のYaeさんとコラボレーション。アルバムを発売しています!亡き夫、藤本敏夫さんとの思い出とは!?

加藤登紀子 娘・Yae【画像】

【 加藤登紀子さんのインスタグラムより 】

歌手で娘のYaeさんと一緒に。

 

加藤登紀子 プロフィール

本名・藤本 登紀子 (ふじもと ときこ)

生年月日・1943年12月27日

出身地・満州国・ハルビン市

血液型・O型

学歴・東京都立駒場高等学校、東京大学文学部西洋史学科

京都育ちの加藤登紀子さん。父親は南満州鉄道に勤務していました。東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクール優勝し、1966年 「誰も誰も知らない」で歌手デビューを果たします。

「赤い風船」という楽曲で、第8回日本レコード大賞新人賞を受賞。1969年、「ひとり寝の子守唄」では第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。

1971年、森繁久彌さんが作詞・作曲した「知床旅情」は大ヒット曲となり、第13回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。この年の「第22回NHK紅白歌合戦」で初出場を果たしています。

 

加藤登紀子 結婚した夫・藤本敏夫とは

加藤登紀子さんの夫は、2002年に肝臓ガンのため58歳で他界されています。

藤本敏夫(ふじもと としお)

生年月日・1944年1月23日

出身地・兵庫県西宮市甲子園

学歴・兵庫県立鳴尾高等学校卒業、同志社大学文学部新聞学科中退

職業・学生運動指導者

新聞記者を志していた藤本敏夫さん。大学2年生の時に学生運動に参加しました。

1968年、国際反戦デー防衛庁抗議行動に参加したことで、逮捕されてしまいます。さらに1972年 4月、学生運動での公務執行妨害などから刑務所に収監。翌月の5月に加藤登紀子さんと獄中結婚をしました。

1976年、「大地を守る会」を設立し初代会長に就任。有機農業の普及に務めます。1981年には千葉県鴨川市嶺岡山中に移住し、農事組合法人自然生態農場「鴨川自然王国」を設立。

さらに1992年、参議院選挙比例区に環境政党 “希望“ から立候補。しかし落選しています。

 

加藤登紀子 結婚した夫・藤本敏夫【画像】

夫の藤本敏夫さんはハンサムだったようです。

夫・藤本敏夫さんとの写真

加藤登紀子 結婚した夫・藤本敏夫 思い出の品

2020年12月7日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した加藤登紀子さん。亡き夫、藤本敏夫さんとの思い出を明かしました。

加藤登紀子:「味噌にはすごく思い出があって・・・」

夫・藤本敏夫さんは58歳という若さで、肝臓がんのため他界。日頃、食事を共にしていたため、他界後は朝ごはんが寂しかったそうです。そんな時、夫が作って残した「味噌」を発見。胸に染みる美味しさだったといいます。

加藤登紀子:「それからとくに味噌汁が好きになりました。」

藤本家の伝統で、大豆から育てて味噌を作っているんだとか。現在は次女のYaeさんが受け継いでいるようです。最近では醤油も手作り。美味しい生醤油で家族団らんの時を過ごしているとのこと。

夫・藤本敏夫さんが他界し18年。加藤登紀子さんの表情は優しく、夫への愛情が伝わるものでした。

 

加藤登紀子 娘・Yaeは歌手生活20年!

加藤登紀子さんには子供が3人います。1972年12月、長女・美亜子さんが誕生。1974年12月、次女・八恵さんが誕生。1980年に三女の娘が誕生し、3人の娘の母親です。

次女のYaeさんは父親の農園を守りながら、シンガー・ソングライターとしても活躍中。2020年10月には、デビュー20周年記念アルバム「On The Border」を発売しました。

母親で歌手の加藤登紀子さんも発表会に出席。

Yae:「ふと隣を見たら55年歌っている人(母親)がいた。この人から何を繋いで行けるか。」

今回、アルバムのプロデュースを母親に依頼したとのこと。加藤登紀子さんはこれまで、娘の歌に口出しをしてこなかったようですが、このアルバムで初めて意見したんだとか。

コンサートで親子共演したことがきっかけで実現したアルバムプロデュース。歌を愛する親子のアルバムは興味深いですね。

 

加藤登紀子 娘・Yaeと会えず自宅で涙!?

加藤登紀子さんは母親が洋裁屋だったこともあり、洋服のリメイクが得意なんだとか。若い頃に着ていたロングドレスの裾部分を切り、その裾をフリルのトップスにするなど見事なアレンジ。

「徹子の部屋」にもリメイクしたミニドレスで登場しました。

加藤登紀子:「(リメイクなど) 楽しんでいると女心がトキメキますので。」

コロナ禍の自粛期間中は、自宅で1人ファッションショーをすることもあったようです。加藤登紀子さんの歌声も素晴らしいですが、こうした発想力も見事ですね。

加藤登紀子:「アイデアが浮かぶと、すぐ布を引っ張り出したくなるんです(笑)」

しかし歌手生活55周年にも関わらず、コロナ禍でコンサートなどのイベントが続々と中止に・・・ずっと自宅にいた時、一人で涙を流したこともあったとか。

次女のYaeさんの農園へ行こうにも、「(感染したら大変) 絶対に来ないで」と言われてしまったそうです。野菜を度々送ってくれるYaeさん。その野菜に付いてくるカタツムリやカエルが可愛くて飼ったりしていたとのこと。

「孫との電話が楽しい」と優しい祖母の顔も見せていました。

加藤登紀子:「高齢だからといって、おうちに引っこんでろっていうのは寂しい(笑) やっぱりできるだけ良い暮らし方や過ごし方を見つけていきたいですね。」

70代の加藤登紀子さん。パワフルな姿は元気をもらいますよね。

「ほろ酔いコンサート2020」など、2021年も活動的に開催予定です!

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