コシノ三姉妹 父親は仕立屋 母親は店経営「戦死で仕事没頭」実家 家族構成

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コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の実家での家族構成は、父親、母親、三姉妹の5人家族。父親は戦死したため、母・小篠綾子さんが女手一つで子供たちを育てた。

コシノ三姉妹、コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんの実家の場所、父親や母親の職業とは…

◆右から、長女のヒロコさん・次女のジュンコさん・三女のミチコさん

コシノ三姉妹(コシノヒロコ コシノジュンコ コシノミチコ) 実家 家族構成

世界的に有名なファッションデザイナー・コシノ三姉妹。それぞれの個性的なデザインは魅力的で目を引きますよね。

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の実家での家族構成は、父親、母親、三姉妹の5人家族。父親は戦死したため、母・小篠綾子さんが女手一つで三姉妹を育て上げています。

母・小篠綾子さんを「お母ちゃん」と呼び、慕っていたコシノ三姉妹。祖父が借りたコシノ生家は、子供の頃すでに築100年以上だったといいます。

ジュンコさんは戦時中、地下の防空壕に避難したとき染み出す水が多くて、それを汲み上げていたことを今でも覚えているとのこと。

食料を手に入れるため、手持ちの反物を下着にして売ったり、子供の頃の生活はとても苦しかったというヒロコさん。

それでも母・小篠綾子さんは「あんたは才能を伸ばし!」といい、文具店で高価な油彩絵の具セットを買ってくれたのだとか。このときの「才能」という言葉は今でも励みになっているそうです。

子供の頃からにぎやかだったというコシノ三姉妹。

ジュンコさんは「母は、やかましい三姉妹を少しでも職場(コシノ生家)から追っ払うため、日本舞踊や三味線、書道など多くの習い事をさせてもらった…。今ではホンマ感謝してる」と話しました。

ミチコさんはそんな母・小篠綾子さんから、ハナから相手にされていなかったそうで、「スポーツ(テニス)ではナンバーワンでも、教室に入るとビリ。”才能”がないと思われたんやな」と振り返っています。

戦時中の苦労に重ね父親が戦死。母・小篠綾子さんは3人を育て上げるために必死だったようです。

コシノ三姉妹(コシノヒロコ コシノジュンコ コシノミチコ) 実家の場所

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の実家の場所は、大阪府岸和田市五軒屋町。

2019年3月26日にはコシノ三姉妹の生家があるこの場所に、「アヤコ食堂」をオープンさせています。

同日、岸和田市内にある母・小篠綾子さんの墓参りを終えたコシノ三姉妹は、インタビューにて開店への思いを明かしました。

ヒロコさんは「ここは1年に1度おまつり(岸和田だんじり祭)で集まる以外は空き家同然だったので、どう生かしていくかが私たちのテーマだった。このように、食堂という形になってとてもうれしい。この場所をきっかけに岸和田観光のパワーになればいいなと思います」とよろこびを報告。

「アヤコ食堂」は、「かっぽうぎ」などのチェーンを展開するフジオフードシステムが運営しており、母・小篠綾子さんの得意料理の卵焼きをはじめ、地元産の素材を使った季節のお惣菜を中心としたメニューが並んでいるとのこと。

グーグルでのクチコミは評価が「4.2」となっています。※ 2024年5月時点

グーグルマップ「アヤコ食堂」大阪府岸和田市五軒屋町16-11

コシノ三姉妹(コシノヒロコ コシノジュンコ コシノミチコ) 父親

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の父親は川崎武一さんといい、職業は紳士服のテーラー (仕立屋) でした

22歳だった母・小篠綾子さんは実父から見合わせられた男性、川崎武一さんと出会い、「婿に来たい」と言われ結婚。

父・川崎武一さんは1934年(昭和9年)11月に小篠家の婿養子となり、名前が「小篠武一」に。

その後、父・小篠武一さんは太平洋戦争に召集されて出征先で戦死。コシノ三姉妹の父親が亡くなったのは1945年(昭和20年)のことでした。

戦後、女手一つで娘3人を育てた母・小篠綾子さんの苦悩は、NHKでドラマ化されています。

2011年10月から放送された連続テレビ小説「カーネーション」は、母・小篠綾子さんの生涯を描いたストーリー。

この物語のヒロインは小原糸子(おはら いとこ)といい、女優の尾野真千子さんが務めています。

連続テレビ小説「カーネーション」あらすじ

糸子は大正二年、大阪・岸和田の呉服商の娘として生まれました。生まれながらにおてんばだった糸子はだんじり祭が大好き。

でもだんじりを曳くことができるのは男だけでした。「女より男やったら人生どんなに楽しいんやろ…」そう思った糸子は「女にしか出来んことを見つけて自由に生きたい」と裁縫の道を選びます。

やがて岸和田のパッチ屋で一台のミシンと運命的な出会いを果たした糸子は、父の反対を押し切って女学校を中退。ミシン修業を積んで、20歳のとき、夢にまで見た洋装店を開業します。

その後糸子は22歳で父の見合わせた仕立て屋の男性と結婚。しかし三人目の子供をみごもったとき、夫は出征先で戦死し、女手ひとつで娘三人を育てることになります。

絵が得意でお嬢さん育ちの長女、だんじり好きで男勝りの次女、そしてスポーツが得意な三女。

「職場が男の戦場なら、育児はそれ以上の女の戦場です」と言ったお母ちゃんと、個性あふれる三姉妹が織りなす涙と笑いの子育て奮闘記へと展開します。

引用:「NHK」より

NHKアーカイブス」公式 X (旧:Twitter) より

コシノ三姉妹(コシノヒロコ コシノジュンコ コシノミチコ) 母親

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の母・小篠綾子さんの職業はファッションデザイナーでした

2001年、88歳のときには「徹子の部屋」にも出演しています。

小篠綾子 プロフィール

名前・小篠 綾子(こしの あやこ)

生年月日・1913年6月15日

出身地・兵庫県加西郡西在田村

職業・ファッションデザイナー

小篠綾子さんは、呉服屋の小篠甚一さんと小篠ハナさんの間に長女として生まれました。大阪府立岸和田高等女学校(現在:大阪府立和泉高等学校)に進学。

その後、中退して「パッチ店」「紳士服店」「生地店」で洋裁の修業に専念されています。

そして1934年(昭和9年)に、岸和田市で洋装店『コシノ洋装店』を開業。オープン当時はミシン一台のみ。その後、人気洋裁店へと成長させました。

『コシノ洋装店』開店当時は、お客さんがあまり入らず、町中を歩き回って仕事を探したそうです。縫い物があれば何でも引き受け、睡眠時間を削り仕事に励んでいたとか。

母親の小篠綾子さんは妊娠しても、ミシンを動かし続けたそうです。そんな中、夫の小篠武一さんが太平洋戦争に召集され、1945年(昭和20年)に戦死されました。

まだ三姉妹が8歳、6歳、1歳と小さいときのことです。母・小篠綾子さんは仕事の手を休めることなく、働きながら娘3人を育て上げています。

三人娘が世界的なファッションデザイナーになり、母・小篠綾子さんもトーク番組に多数出演。

講演会の依頼も増え、1988年(昭和63年)、74歳の時には、ファッションブランド「アヤコ・コシノ」を創設しました。

母親の生き様を見て育った三姉妹は、ある母親の言葉を大切にしているそうです。

「与うるは 受くるより幸いなり」(人にしてもらうよりも、人にしてあげる方がよほどいい)

母親の教えを受け継ぎ、三姉妹もまた生涯現役デザイナーとして活躍し続ける気持ちが強そうです。

現在も国際的にファッション界で活躍する「コシノ三姉妹」。それぞれの個性で勝負できたのは「母親の教えのおかげ」と、口をそろえて話しています。

◆コシノミチコさんのインスタグラムより

コシノ三姉妹 母親が死去~病気死因・死去時期~

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」の母・小篠綾子さんが他界されたときは、各メディアが伝えています。

死去された時期は2006年3月26日 午前3時15分、死因となった病気は「脳こうそく」で享年92歳でした

大阪府岸和田市の病院にて他界され、葬儀は28日に親族のみで営み、お別れの会を4月28日午後1時から岸和田市港緑町、「市立浪切ホール (4階交流ホール)」 で行うと伝えられています。

喪主は長女のヒロコ (弘子)さんが務めました。三姉妹がデザイナーとして活躍するようになっても洋装店を続けた母・小篠綾子さん。

ヒロコさんの二女、小篠ゆまさんも同じ道に進んで「親子3代デザイナー」と話題になったことは、祖母としてうれしかったでしょう。

2024年4月6日、小篠ゆまさんが自身のインスタグラムを更新。祖母・小篠綾子さんのお墓参りの写真を投稿しています。

小篠ゆまさんのインスタグラムより

コシノ三姉妹 父親と母親を語る「兄弟ゲンカを母は無視?」

2022年1月4日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」ではコシノ三姉妹が登場し、兄弟ゲンカについて黒柳徹子さんが質問。

黒柳徹子:「普段、お会いになってケンカすることはない?」

ヒロコ:「ないですね。若い時はよくやりましたけどね。」

ミチコ:(笑)

番組では、三姉妹が同時に発言する場面も。

ジュンコ:「あ、同時にしゃべるから~」

ミチコ:「ちょっとやめてくれる?」

ミチコさんが姉2人の大ゲンカを告白しました。三姉妹が8歳、6歳、1歳のときのこと。元旦の朝早くから母親が着物を着せてくれたといいます。

その直後、ジュンコさんが「昨年の恨み、はらすよ~」とヒロコさんに言い放ち、ヒロコさんも受け入れ取っ組み合いに。着物は、はだけてビリビリに。

ヒロコ:「だいたい、ジュンコがケンカを売ってくるんですよ。」

ジュンコ:「私がバンッとお腹を蹴るんですよ。わざわざ(姉は)お腹が痛いって病院へ行くんです。」

ヒロコさんは口が達者とのこと。ジュンコさんは口より先に手が出てしまうのだとか。妹に負けまいとヒロコさんも必死だったようです。

さらにお正月には、お餅を食べた数で大ゲンカに。そうした激しい兄弟ゲンカに、母・小篠綾子さんは見て見ぬふりで放ったらかしだったとか。

これこそコシノ三姉妹を育てた母の教育方針。この母親のやり方のおかげで今があるといいます。コシノ三姉妹みんな、そんな母親にとても感謝しているとのこと。

また、ヒロコさんとジュンコさんは子供の頃の兄弟ゲンカが激しかったものの、今ではヒロコさんがミチコさんに溺愛。

ヒロコ:「ミチコって本当に可愛かったんですよ~。お人形さんみたいで。」

ヒロコさんはそんな7歳年下の可愛い妹をみんなに見せたくて学校に連れて行き、自分の机の上にミチコさんを座らせていたそうです。

先生に「学校に赤ちゃんなんか連れてきたらあかんよ!」と叱られてしまったというヒロコさん。

ヒロコ:「ミルク飲み人形のおむつ替えしてるような感覚で (笑)」

番組では、コシノ三姉妹は「口が達者なヒロコさん」と「目立ちたがり屋で気の強いジュンコさん」が兄弟ゲンカ、「ヒロコさんに溺愛されるミチコさん」と兄弟仲が紹介されました。

コシノ三姉妹 父親と母親を語る「尊敬する両親」

2024年5月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」にコシノ三姉妹が出演し、現在の「自宅」「趣味」「新しい家族」を貴重映像で紹介。そして父親や母親と暮らした子供の頃を振り返りました。

番組冒頭では、まず兵庫県芦屋にあるヒロコさんの自宅アトリエを公開。東京と芦屋を行き来して40年になるというヒロコさんは、自宅で筋トレを行っているそうです。

ヒロコ:「月に8回飛行機に乗ってます。ファッションは東京、絵画は芦屋。自然が多いと絵が描きたくなっちゃうのよね。」

5歳のときから描き続けたのは、母・小篠綾子さんがパステルセットをプレゼントしてくれたことがきっかけ。その後の人生を変えてくれたといいます。

ジュンコさんは母・小篠綾子さんに似て世話好き。人が大好きで年がら年中、自宅に友達を呼んでいるとのこと。

ジュンコ:「徹子さんも昔よく、うちに来ましたよね。人が来るとうれしいし…それはうちの親と似てますね。」

また、ジュンコさんは2023年に「卓球Tリーグ」の始球式に参戦しましたが、アキレス腱を断裂して手術入院も。車椅子生活の方の苦労が身に染みてわかったといいます。

ミチコさんは母親ゆずりで料理が得意。ロンドンのアトリエには、業務用の鉄板を設置しているのだとか。

ミチコ:「お母ちゃんが作るのが、酒の肴みたいなものばかり作るから…”ハンバーグ作って” と言ったら、”自分で作りなさい” って言われてました。」

日頃ミチコさんは万歩計をつけて歩き、毎日だいたい9千歩超え。愛猫の「抹茶」と一緒に暮らしているとのこと。

コシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさん「コシノ三姉妹」は現在もいきいきと輝いた私生活を送っていました。

そんな三姉妹の共通点は母・小篠綾子さんを尊敬していることだそうです。

ヒロコ:「みんなに好かれるというか、求められるというか、それが素晴らしいと思います。あの母以上にはなれないです。」

ミチコ:「わたし、岸和田のお母ちゃんが寝てた部屋にバーを作ったんです。みんなが来たら、お母ちゃん、よろこぶかなと思って。」

ジュンコ:「ずっと存在感があって。今度、映画化されることになったんですよ。」

2025年には大地真央さんが主演を務め、母・小篠綾子さんが『ゴッドマザー~コシノアヤコの生涯~』として映画化されることに。

コシノ三姉妹も世界で輝いていますが、亡き母・小篠綾子さんもいまだ世に影響を与え続けていました。

コシノ三姉妹:関連記事

2024年5月13日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」コシノ三姉妹 番組内容詳細

世界的ファッションデザイナーとして現役で活躍している3姉妹、長女・コシノヒロコさん、次女・コシノジュンコさん、三女・コシノミチコさんが三者三様の衣装で登場。

それぞれが持ち寄った「自宅」「趣味」「新しい家族」の貴重映像を見ながら互いの素顔を明かす。

個性豊かな3姉妹の共通点は、朝ドラ『カーネーション』のモデルにもなった母・小篠綾子さん。コシノ洋装店を開き、女手一つで娘3人を育てた綾子さんは3姉妹にとって尊敬する人でもある。

幼い頃から全てにおいて影響を受けた母への想い、そして3姉妹で大切にしている母の言葉についても語る。

◆コシノジュンコさんのインスタグラムより

コシノ三姉妹 プロフィール

長女・コシノヒロコ プロフィール

本名・小篠 弘子(コシノ ヒロコ)

生年月日・1937年1月15日

出身地・大阪府岸和田市

身長・157cm

学歴・文化服装学院

職業・ファッションデザイナー、アーティスト

ブランド・HIROKO KOSHINO (ヒロコ コシノ)。2013年「KHギャラリー芦屋」をオープン。

イトキン傘下のヒロココシノインターナショナルは2018年春夏から新ブランド「リ エディション プロジェクト 165(RE:EDITION PROJECT 165)」をスタートさせています。

2021年兵庫県立美術館で「コシノヒロコ展」を大々的に開催。1997年第15回毎日ファッション大賞、2001年大阪芸術賞受賞。

次女・コシノジュンコ プロフィール

本名・鈴木 順子(すずき じゅんこ)

生年月日・1939年8月25日

出身地・大阪府岸和田市

学歴・文化服装学院

職業・ファッションデザイナー

ブランド・JUNKO KOSHINO (ジュンコ コシノ)。夫の鈴木弘之さんの職業は写真家です。新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を最年少の19歳で受賞。

1978年に初参加したパリ・コレクションをはじめ、北京で中国最大のファッションショー、ベトナムでは日本人初のショー、キューバでも世界初の国外デザイナーによるショーを開催。

文化功労者、2025年日本国際博覧会協会シニアアドバイザー。2021年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。

三女・コシノミチコ プロフィール

本名・小篠 美智子(こしの みちこ)

生年月日・1943年1月29日

出身地・大阪府岸和田市

出身校・神戸松蔭女子学院短期大学

職業・ファッションデザイナー

ブランド・MICHIKO LONDON KOSHINO (ミチコ ロンドン コシノ)。1973年に単身で渡英後、日英でコレクションに参加。

ロンドンを拠点に活動し、斬新なクリエーションは年齢やジェンダーの枠を超え支持されています。

代表作は “80年代ストリートカルチャーの象徴” として、「王立V&A博物館」にも。日本人初の英国ファッション協会正式会員。

ロンドンにおいて寿司店「MICHIKO SUSHINO」もプロデュースしています。藍染めなどのジーンズブランド「YEN JEANS」で、ヨーロッパを中心に成功されています。

2024年はコシノヒロコさん、コシノジュンコさん、コシノミチコさんの「コシノ三姉妹」で「徹子の部屋」に出演。

「徹子の部屋」公式 X (旧:Twitter) より

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