名優、綿引勝彦さんの妻で女優の樫山文枝さん。2021年11月8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演しました。涙を浮かべ、夫の見事な最期を告白。綿引勝彦さんの闘病生活や妻への優しさとは・・・
本日(11/8)放映の『徹子の部屋』で告知されました劇団民藝公演『集金旅行』のチケットは俳優座劇場では取り扱っておりません。
お問い合わせは劇団民藝【 044-987-7711 】(月~土 10時~18時)までご連絡をお願い致します。— 俳優座劇場 (@haiyuzagekijou) November 8, 2021
樫山文枝 プロフィール
本名・綿引文枝 (わたびき・ふみえ)
生年月日・1941年8月13日
出身地・東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺 ※現在、東京都武蔵野市吉祥寺
学歴・東京文化高等学校
事務所・劇団民藝
1966年、NHK連続テレビ小説「おはなはん」の主役を演じたことで注目を集め、一躍人気に。1992年のアニメ「フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ」ではナレーションを務めています。
他にも「3年B組金八先生」や「はぐれ刑事純情派」など、数々のテレビドラマや映画に出演。2021年は舞台「集金旅行」にて活躍しています。
綿引勝彦 樫山文枝 夫妻のなれそめ
綿引勝彦さんと樫山文枝さんは「劇団民藝」の出身。2人は劇団員として知り合い、交際をスタートさせています。樫山文枝さんの方が4つ年上。
結婚した当時はすでに樫山文枝さんはビックスターで、綿引勝彦さんはまだそれほど人気役者では無く、ギター弾きのアルバイト生活をしていました。
その後、1991年より放送されたTBSの昼ドラマ「天までとどけ」が大ヒット。綿引勝彦さんは大家族の父親役を演じ、一躍人気となりました。この時、樫山文枝さんの収入を越したとのことです。
綿引勝彦さんは大女優との結婚に引け目を感じていたのでしょうか。
樫山文枝:「とんでもない女性と結婚しちゃって?(笑) 自分の人生観とも生活感とも違って、キャリアも違う。その中でもがいて闘って頑張ってやってきたんだなって。」
「徹子の部屋」では、夫・綿引勝彦さんへの思いをこのように明かしています。
綿引勝彦 樫山文枝 夫妻、性格は正反対!?
綿引勝彦さんと樫山文枝さんはとてもお似合いの夫婦に見えますが、実は性格が正反対だといいます。
樫山文枝:「全部、正反対だと思います。私も我慢したけど、向うも我慢してくれて(笑) 我慢ができない人なのに、私だけには我慢したのかな(笑)」
お互い不満はあったようですが、幸せに暮らしていたようです。
樫山文枝:「彼がいなくなったら毎日泣いてます。」
夜遅くまで起きている樫山文枝さんを見ると、「早く寝ろ」と言ってくれたんだとか。現在、果てしない自由と孤独に、いまだ慣れずにいるとのこと。
舞台などの仕事を始めたり、近所の人に声をかけてもらうことで元気をもらっているといいます。毎日泣くほど寂しいという樫山文枝さん。綿引勝彦さんとの素敵な思い出がたくさんあるようです。
綿引勝彦 樫山文枝 夫妻の思い出の鳥かご
綿引勝彦さんが亡くなる年に、夫婦で軽井沢へ旅行に行ったそうです。軽井沢には中古で買った山荘があるとのこと。夫婦で植物の手入れを楽しんでいたんだとか。
樫山文枝:「10年 楽しめればいいねって言ってたら、本当に10年楽しんで逝っちゃったんですけど。」
綿引勝彦さんは、山荘で過ごす時間が本当に楽しく幸せそうだったといいます。野鳥のために手作りの鳥かごを作ったりしていたんだとか。
綿引勝彦の死因を樫山文枝が明かす
綿引勝彦さんは46年目の結婚記念日の翌日、2020年12月30日午後0時54分に他界されました。死因は「すい臓がん」で、東京都内の病院にて死去。75歳でした。
病名は誰にも言わないでほしいと樫山文枝さんに告げていたとのこと。
樫山文枝:「(夫は) 繊細なところがありますのでね。」
綿引勝彦さんは自分のもろさでイメージが崩れないよう逝きたかったようです。強そうで実はデリケートな心の持ち主だったのですね。生前、入院先から樫山文枝さんに電話があったようです。
綿引勝彦:「今から来られるか?」
樫山文枝:「うん行く、タクシー乗ってすぐ行くから待ってて。」
病院に着き、綿引勝彦さんにパッと手を差し出すと、ものすごいチカラで握ってきたとのこと。
樫山文枝:「あんな握り方をされたことはないですね。」
綿引勝彦さんはひとり残される妻を思い、そうした行動を取ったのかもしれません。素敵な愛情表現ですね。
綿引勝彦 妻・樫山文枝のために遺言状
他界する前、ギリギリまで我が家で過ごしていた綿引勝彦さん。入院する2週間ほど前には、酸素吸入器を付けながら公証役場へ行き、樫山文枝さんのために遺言状を作成したそうです。
長い階段を上るなど、無理せずにと伝えるも、「やらなきゃいけないから」と夫としての責任を果たしました。
樫山文枝:「本当に私はそういう生活のことがあまり得意じゃなかったので、やっていってくれたんだと思います。」
病状が辛い中、自宅ではトイレやお風呂、身の回りのことは自分自身で行っていたようです。いよいよ体調に異変を感じた綿引勝彦さんは「明日、入院する」と告げ病院へ。
そして入院して5日ほどで帰らぬ人になったといいます。
綿引勝彦さんは妻の仕事に対して大変理解があったとのこと。食事の用意はどちらかできる方が作ればいいといった考え。女優の妻にとって睡眠がどれほど大切かと、思いやりある行動で接してくれたそうです。
樫山文枝:「私の仕事に関しては、すごく理解がありました。」
「徹子の部屋」では、時おり涙ながらに語る樫山文枝さん。思い出話を聞けば聞くほど、素敵な夫婦だったことが伝わります。
綿引勝彦さんへの寂しさが癒える日は、まだまだほど遠いかもしれません。